また、あした…

私が好きな音楽のことを綴るブログ

『おかみさん』と『戦う男』

2011年04月23日17:26 『おかみさん』

この時期、mixi日記で自論を書いていた私は一部のマイミクさんから、「上から目線」の女と言われていた(笑)別に他の人を下に見ているわけではない。

今もさほど気性は変わらないけど、この頃から自分のそういう気質について見つめ直すことになる。

こうなる前はマイミクさんとのやり取りに“ユーモア”を交えて交流できていたのに、ぱったりおふざけな要素がなくなっている。もともと、文体も堅苦しく事務的な感じだったから余計にです。

これはある種のクセのようなもの。
直そうと思えば直せるのだろうと模索し始めています。

「おかみさん」4月21日(木)松山SALONKITTYで披露された1曲

時代が便利で楽になってきた矢先…
その便利さがまったく機能せず、依存しすぎていたため?

「それが無いとどうしていいかわからない」(携帯電話)

そんな、不自由さを味わった(この震災で)経験もあったでしょう。

放射線による空気や水、食べ物の制限。
物への風評被害から、人への風評被害「おもいやり」ある 日本人ではなかったのか?

いや、そもそも「おもいやり」とは?

“自己満足”という言葉で片づけられているの?

間違った事ではないのに、「言葉」にすれば叩かれる。
そして、反撃すれば、叩いた方が擁護される。

ニュースでみかける、被災地から避難した傷ついた人をそれ以上に傷つける行為…学校、宿泊施設…「イジメ」大人も子供も一緒。

「正義」は何処にあるのかな?


 ≪歌詞抜粋≫

 2100年 宇宙旅行 空気清澄 自動歩行器
 おかみさん 布団干す 南向きに布団干す

 2100年 世界政府 生命延長 人口減少
 おかみさん 布団干す ベランダにおかみさん

(中略)

 2100年 空中散歩 気温上昇 巨大イチゴ
 おやじさん 涙流す 月見ておやじさん

 胸には敗れし野望
 おやじさん あんた 辛抱強いな 進歩しねえな


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

時代は進化進歩を続けても、

おかみさんはそれでも洗濯をし、布団も干す…家族の為に。
おやじさんは相変わらず、取らぬ狸の皮算用…机上の空論にふける。

おかみさんからガミガミ言われても、ジッと黙って時が過ぎるのを待つ。


我が町のシンボルとなる東京スカイツリーには、展望台に空中回廊ができる。

東京スカイツリー天望回廊 | フロアガイド | 東京スカイツリー TOKYO SKYTREE

この歌の様に「空中散歩」をする気分になれるのです。
スカイツリーの展望台から、武蔵野台地を一望し…日本一月に近い所で、お月見したら…本当に泣けるかもしれない…。

時代が変わろうとも、おかみさんもおやじさんも変わらない。
生活の知恵は「おかみさん」から
義理と人情は「おやじさん」から
言い伝えられる…そんな時が、戻りますように…

 

2011年04月25日17:30 『戦う男』

東日本大震災から一ヶ月が過ぎたころから、一部のマイミクさんとの温度差に気がつき始めて、落ち込みはじめてきました。

なんとか自分を立ち直らせたかったけれども、何ともならなかった時期です。 

「戦う男」4月23日(土)熊本DRUM Be-9 V-1 で披露された1曲

エレファントカシマシ“悪魔のささやき~そして、心に火を灯す旅~”
ツアーも11公演が終了…

エレファントカシマシ オフィシャルブートレッグページではツアーのダイジェストがアップされている。

どの会場の動画を見ても…
なんとなく…2009年~ 私がエレカシのLIVEに行くようになってからの宮本浩次とは違って見える…

歌っている時の目が、昔の宮本の目に(戻った)… 今まで感じた“気迫”は、少しの余裕から出たもので、今回のツアーで見せてる“気迫”は、なんとも形容しがたい… あえて言うなら、ギリギリな精神の中でLIVE活動をしていた頃の感じに近いのではないか?

そんな風に伝わった。

もちろん、にこやかな場面もあったかと思うが…
勘繰りすぎかもしれないけど、3.11をうけて心境的にも心情的にも背負ってるものが全く変わってしまったような…。

アーティスト、表現者にとってもこの出来事は大きな分岐点だと思う。
エレカシにとっては、ある意味“試練”のようなツアーかもしれない。
そんな事を思いながら聴いた。

 

 ≪歌詞抜粋≫

 戦え男よ 聞こえる あのメッセージ
 燃えろよ 静かに
 昨日の喜びも 捨てちまう 道端に
 Oh 走り抜けろ
 Hey
 あのメッセージ 遠くで 聞こえる約束
 負けるな 男よ
 優しい思い出を 抱きしめて 旅立とう
 Oh 走り抜けろ

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


正直、今私は「音楽」で癒される事はあっても、
パワーを貰うまではいってません。

“NO DAMAGE”と、いうわけにはない…昨年末から今までとにかく… 走り続けて疲れた感がある…

『断捨離』って言葉が流行っていますが、いろんなこだわってきた事やわだかまり…を、一掃して少し離れたところから始めよう。

『優しい思い出』すら今は空しい。

今は走りぬける力は残ってないから、ゆっくりと歩きだします。

 
この日記にコメントしてくれた方は、私にこう諭してくれました。

「音楽」でなんとかできることは無いかと真剣に取り組む人。

「音楽」をエクスキューズに使う人。

「音楽」に救われている人。

「音楽」なんて何にもならないと思う人。

いずれにしても、「発信する」側と「受け取る」側の気持ちが一致すれば、通じて繋がるんだと思います。

それが何であれ。

「音楽」の部分を「言葉」に置き換えてもいい。

気持ちが一致しなければ何事も繋がらない…やはり、伝えたいときには人の立場に立って考えるスキルは必須なのかもしれない。

とか、

また、受け取る立場になった時には、「ステレオタイプ」の人間であってはならないと感じたあの頃…。

 

ただ、そういうことにがんじがらめになってしまったら…自分が削ぎ落されることになったりすることもあって、そうなったらきっと「言葉」を失ってしまうのだろう。

もっと表現力を豊かにしたいな…。
最近また、そんな気持ちがムクムクと湧いてきています。

そして、いろんな人の話しにも耳を傾けたい。

 

 

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『偶成』とは『極楽大将生活賛歌』

エレファントカシマシのツアーでは、これまでツアー先の土地の雰囲気に寄せた曲を“目玉”として入れてくる傾向があります。それがエレカシのLIVEの楽しみの一つでもあったりしています。

“悪魔のささやき~そして、心に火を灯す旅~”ツアーでも、ご当地ソング的に1、2曲セトリに入れてきていた。

前記事にも記しましたが、このツアーではLIVEが終わるとそのツアーのダイジェスト動画がオフィシャルからアップされていました。

2011年04月04日09:58「偶成」

2011.4.02 新潟LOT で披露された1曲。アルバム「生活」に収録。

このアルバムは持っているものの、初期の作品はじっくりと聴いたことがなく…

4月2日から始まったエレファントカシマシのアルバムツアー “悪魔のささやき~そして、心に火を灯す旅~”の初日で久しぶりに演奏したという…事です。

流し聴きしていたのですが、改めて聴いたらあまりに刺さったので…日記にあげておきたいと思います。

 ああ俺には何か足りないと
 何が足りぬやらこの俺には
 弱き人のその肩に
 やさしき言葉もかけられず
 人を思ううちが花よと
 わずかに己れをなぐさめた


まさに、こう自問自答し街中を歩いていた私。
まさに、優しい言葉もかけられず、
でも、人を想えるだけでも、まだマシかと励まし…

「何が足りなかったのか?」
と、模索していた日々…

死ぬまで結論は出ないだろうと、悟り
それでもまた、繰り返し考えながら生きるんだなぁ~って…


『偶成』とは…なんだろう?と調べてみたら、
詩歌などが、ふとでき上がること。また、その作品。
とあった、
また、中国の漢詩にこのような作品がありました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『偶成  <朱熹*1(しゅき)>』


 少年老い易く 学成り難し
 一寸の光陰 軽んず可からず
 未だ覚めず池塘 春草の夢
 階前の梧葉 已に秋声


若者はアッという間に年をとってしまい、学問はなかなか完成しにくい。だから、少しの時間でも軽軽しく過ごしてはならない。
池の堤の若草の上でまどろんだ春の日の夢がまだ覚めないうちに、階段の前の青桐(あおぎり)の葉には、もう秋風の音が聞かれるように、月日は速やかに過ぎ去ってしまうものである。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

これを知って、更に一生勉強だな…って感じてしまったけど。
きっと、ミヤジは若い頃からこんなものを読んできたんだね。
そして、苦悩してきたのか?って、勝手に想像している。それにしても初期は難しい言葉使い過ぎ。 
イチイチ調べるから少し賢くなった気にもなるけど(笑)
意味がわかっただけじゃ、意味はない自分に刻みこんでいこう!
宮本さんありがとう

 

 震災後の私は、mixi内で息巻いていました(笑)

「復興!復興!」何かやれることがあるじゃないか!って鼓舞しまくっていました。周りの気持ちなんておかまいなしでした💦

この頃、その自分の想いとマイミクさん達との気持ちが空回りし始めていました。そして、この新潟のLIVEに行っていた方がこう諭してくれました。

「リストラの歌」とかなんとか言って始まりましたよ


>「何が足りなかったのか?」
 と、模索していた日々…

良かれと思ってとってる行動言動が
相手には重荷だったり邪魔だったり

良かれと思ってる事って本当にそうなのか?
もしかして自分が気持ちいいだけなのかも?

難しいですね

まさしくこの通りだったんですよね。

 

2011年05月23日09:03「極楽大将生活賛歌」

2011.5.21 大阪国際会議場メインホール(グランキューブ大阪) 1日目で披露された1曲。

人それぞれの思いやりと行動で、人は皆、いろんな形で救われていく。

己の「我」のせいで大切な仲間を失いました。
もちろん悪気があったわけでもなく、大切な人を想うあまり猛進した為、
何も見えなくなり結果、多くのかけがえのないモノを失うこととなったの。

だけど、不思議な出来事もいっぱいあってなんていうか…
自分からはたらきかけたわけでもないのに、新しい仲間もできてきて…

ん…私は隠しごとが嫌いな方だから、昔の日記とかも見せるようにしていて、ありのままでいても、大丈夫?かなって思えはじめた。

壊れたら…もう戻らないかもしれないけど、

  極楽大将生活賛歌元気な極楽大将生活賛歌
  憐れな大将全てが希望
  にいちゃんもねえちゃんもとうちゃんもかあちゃん
  老いも若きもおめえも俺もみんなまとめて極楽大将
  楽しくやろうぜ極楽世界望みは高いぜ

これで行くしかないね

 

気づいていながらなかなか認められない自分もいて、私はもがいていました。そして、程なくして“無力”を実感したのでした。

ただ、自分が言い始めたことで当時、いろんな支援の形や方法が紹介されていたので、自分なりに実践だけは続けていました。

東日本大震災以後も日本では様々な災害が起きているから、このことだけにとどまらず何かできる支援があったら、小さなことからでも始めたいって心がけることができました。

 

fukko.yahoo.co.jp

 

*1:中国南宋儒学者

2011年06月06日11:25 『うつらうつら』

東日本大震災直後に「悪魔のささやき~そして、心に火を灯す旅~」ツアーが始まった。被災地(盛岡、仙台、水戸、千葉)でのLIVEも行われた。

水戸LIGHT HOUSEでのLIVEはいろんな意味で語り継がれている。私の東京の知り合いも何人かあの会場に行っていた。余震もまだ多かった4月上旬。小さな子供がいる人もいて道路も交通機関もまだ、安全とは言えない怪しい時期だった。私はたまたま水戸はエントリーしていなかったけど、家族を置いてまで水戸に行くという発想にいたらず、当時はその行動に奇異を感じたものでした…。

震災から7年、人の記憶も薄れて風化されていく…真剣に災害への意識はもっていたい。そこで、さいたまスーパーアリーナでの30th Anniversary Tour Finalまで、2011年のこのツアーの一部をダイジェストですが紹介したいと思います。

仙台Rensaの公演はU-STREAMで生中継されて、多くのファンが同じ時間を共有した画期的かつ貴重な時間だった。

◆6月3日:仙台Rensa

小鳥の囀る声 ベランダで微笑みながら
今日は何処へ行こうか 今日は何処に出かけようか
エレファントカシマシ「うつらうつら」より-


波はありますが、このところは出かける頻度が多いですねぇー。
先日の佐野元春コミュのイベントしかり、それに絡んでマイミクさんと会ったり…他にもLIVEにも出かけ。
普通に遊びにも出かけ…

なんですかね?うつらうつら…物憂げな時間から抜け出し、自分が動き出すと周りの景色も変化する…あたりまえの現象。

楽しくて仕方ないです
大切にしなきゃ!!

~~~~~~~~~~~~~

この6月3日の仙台Rensa公演はUstreamで生中継されまして、
私も最初から最後まで鑑賞させていただきました

被災地での公演は“水戸”…“千葉”に続いて、3ヶ所目ですか?
当初はホールでの公演でしたが、予定していたホールの損傷が激しく、使用不可…この事でも被害の大きさを物語りますね。

で、仙台Rensaに会場変更し行われたわけですが…。

ダイジェストだけでも十分つたわりますが、生中継を観てるとメンバーひとりひとりの顔もよく見えるわけで、その気迫が…すごかったです。
オーディエンスもなんていうか…“硬派”な盛り上がりで、エレカシも真摯だったし、オーディエンスも真摯で… ただのお祭りワッショイではなく、噛みしめる歓喜に深く感動をしました。

気づけばパソコンのディスプレーに顔が…ww
そんなに近づかなくても…っつーくらいに乗りだしちゃってました。

白シャツ、黒ジャケで登場し歌いますが…まぁ、途中ジャケットは脱ぎますね。
で、今回…うろ覚えですみません。たしか、“ココロに花を”の時にまた、ジャケットを着たんですよ。とにかく後半でまた着たんですね。

私はその行為にミヤジの『哀悼』を感じたりしました…。
気のせいと言われたらそれまでですがね…。


誰も知らぬ 明日に向かって


旅の途中

 いってみりゃ人生は
 偶然の風の中
 やさしさ求めさすらう
 旅の途中

 たとえばおおげさな そう俺は
 嘆きの中沈んでゆく 冬の光
 遠い風が呼んでるぜ

 喜びは突き刺さる偶然から
 風をはらみ 海原向う行く船のように
 人生はいつもでも旅の途中 行こう
 誰も知らぬ明日に向かって


進んでも留まっても、時間は過ぎてくもの…
何もみつけられず、ただ苛立ちまぎれに生きるなんてまっぴら。
いろんな人と巡り合い、広がった世界…風景…同じであって同じじゃない。
動いていれば色々と変化する。これもまた楽しい

他力本願にはなるまい。
自力本願じゃ(笑)

今では体温調整でジャケットの脱ぎ着をしてるんだ。ってわかるんだけど(笑)

この時、初期のツアーで追っかけまでしていたコアなファンの人と少し交流していて、その方が

「宮本は昔からライブ中も空調を気にしていましたよ。
 よくジェスチャーで温度を上げろ上げろと…
 私も見ていて、あっ寒いんだなって思いました」

と、ご指摘いただいてちょっぴりしょんぼりした記憶があります(笑)

私はこの「悪魔のささやき~そして、心に火を灯す旅~」ツアー全27カ所中…

この3カ所に行きました。クリックしたら当時のことを書いた記事に飛びます。

当時、各会場のダイジェスト動画も公開されて各会場の様子を垣間見ることができたのですが、残念ながら今はその動画は削除されていて観ることができません。

また、観ることができればいいのにって思ったりします。

2011年03月13日21:18 体験した事として、綴るだけ…

mixi期に残したあの日の日記です

3月11日午後2時46分
お尻に縦揺れの振動を感じた。

嫌な予感がして、隣の社員に
「大きいかもしれない」と告げると、同時に大きな横揺れ。
オフィス内の人が一斉にデスクの下へ潜り込んだ。
私はしばらく耐えていたが、窓際の天井パネルが抜け落ち、
パソコンが倒れ…机の引き出しが開き…
さすがに私もデスクの下に潜り込んだ。その瞬間、
オフィス中央の天井パネルが抜け落ち、ダクト、配線類、
空調があらわになる。
振動と共にダクト、空調も揺れ今にも落ちてきそうだった。

多少揺れが収まって、デスクからでると棚からパンフレットが
飛び落ちて、床に散乱し抜けた天井から白い埃がでて充満。
社員さんの誘導で外へ避難…。
オフィスが駅の高架に建っているので、免振設計になっているとは
思うが、6階とはいえすごい揺れだった。

30分ほど近くの広場*1にて避難をし、すぐにその場で解散となった。
各社鉄道は止まっていたし、タクシーを拾えど道路も既に渋滞。
家まで歩くことに覚悟を決めた。
私は通勤時、少しウォーキングをしているのでその日もスニーカー。
毎日、少しずつでも歩いていたことがこんな事に役立つとは…

コンビニで菓子パンと水、携帯用の電池を購入し出発。
会社から家までの距離は10.8km、時間にして3時間。
思ったより遠くなくて逆に驚いた。
40数年生きてきた中で初めて観る光景…道と言う道が人であふれ、
道路が車でいっぱいだった。
一人で歩く心細さもなく、なんというか家に向かう目的が一緒。
そんな風に思えて、歩くのも苦じゃなかった。

家は築40年以上(実際は築70年)の古い家屋…倒壊しているのでは!?
そんな不安が頭から離れない。
電話もつながらないし…信じるしかなかった…。
歩き始めて1時間位した時、やっと長男に電話がつながり
「母ちゃん!大丈夫か?」と、言われた。
内心、大丈夫だから電話してんだろ!とか思いつつww
「大丈夫だよ。それより、おばあちゃんは?○○(次男)は?」
「皆、無事だよ」
「○○(次男)は泣いてない?」
「ぜんぜん…すごいテンション高いよ…」
そんな、会話を交わし安心して歩きを開始した。

人も車も途切れず…こういう非常事態の時って人はハイテンションになり、 一瞬、「不謹慎」とも取れる発言をする。
「一生にこんなこともうないよね!ある意味、貴重だよね!」と
言いながら、人ごみを写メする若者。
そんな、私も自分を励ますかのように写メして、ボイスしたり…。
河を眺めながら
「こんな時こそ屋形船で送迎してくれればいいのに」
とかいうサラリーマン…さすがにこれには呆れたけど…
現実から逃れたいという思考が、そういう発想にさせるのだと感じた。
3時間強で家に無事到着。
家に着くと玄関に水のペットボトルや、お菓子類の入った袋が置かれていた。
旦那から電話があり、職場待機命令が下され帰らないとの事。
何かあれば、私が家族を守るのだが…私の家族も案外頼もしい事がわかり
安心していた。

深夜、テレビを見ていると…想像を絶する光景が目に飛び込んできた。
9.11 *2の起きた朝、テレビを付けた時の感覚… と、同じ。
「え?なに?」
CGなんかじゃない現実の災害が目に飛び込んで来て、一気に鼓動が強くなった…
何とも形容しがたい感情が湧きあがった…。
心配に思う友の顔がいくつも浮かんだ…安否を確認したい…でも、
不用意にメールやら電話する事は出来ない…そんな状況じゃない事は、
想像がつくから…
『何もしないことも“勇気”だ』と、言い聞かせた。
きっと、mixiになんらかアクションしてくれる!そう信じて祈るしかなかった。
幸いマイミクさんの安否は確認できた。
今はその事だけにでも感謝だ…マイミクさんの親類や友人の安否を考えると、
両手離しでは喜べない…だから、それ以上の事は言えない。

今は自分にできる事と確かな情報を自分で収集し協力するだけです。

あれから7年なのですね…。

あの東日本大震災はいろんなことを学ばせてくれたし、いろんなものを奪っていったし、いろんなことを変えてしまった気がします。周りばかりでなく自分も。

失くしたモノ壊れたモノはまた築きあげればいいけど、かけがえのないものだったと気づくきっかけにもなった。

ときどき、あの子は元気かな?あの人はどうしてるだろう?あの子のお子さんも大きくなっただろうなぁ…うちの子と意気投合してたし…とか、いろいろ巡る。

このあとも心は大きくうねって…グラグラ揺れて傷ついたり傷つけたりいろいろあった。そして、今もこうして生きてる。

ありがたいことです。

そして、ちゃんと今日の日はあの日を思い出さなきゃいけないなって思います。

mixi日記のお引越しをしているので、この数日は震災後のことをここに少し移動しようと思います。30周年祭り関連でなくてなんだかな…ですが(笑)

 

 


もしも、2011年3月11日が、いつもの一日だったとしたら。|3.11、検索は応援になる。 - Search for 3.11

 

*1:聖徳記念絵画館前広場

*2:2001年9月11日にアメリカ合衆国内で同時多発的に発生した、航空機等を用いた4つのテロ事件

30th ANNIVERSARY TOUR ”THE FIGHTING MAN” FINAL まで…

3.17 さいたまスーパーアリーナ公演

まで、一ヶ月を切りました。曲予想、勝手にリクエストとか(笑)いろいろやれる企画はありますが、最近、ずっと考えていることがあるのでそこから…。

通勤中に聴いてて「あれ?」と、気がついたというか…「ん?」って思った事。

 

「未来の生命体」*1を聴いていたら “全てを未来に預けてきた” とか、

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まずはこの部分がひっかかった。

次は「勝利を目指すもの」*2 を聴いていて

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“友” とは分の事で…知ってか知らぬか、昨今の自分を予想したかのように信じて歌ってきた証だな…って…。

この2曲を拾っただけでも、ミヤジの未来予想図はちゃんと歌の中にあった!って改めて思った。

未来の生命体が収録されているミニアルバム「DEAD OR ALIVE*3は、直訳すると“生死”生きるか死ぬかの瀬戸際って意味で、ある意味遺言のように作ってたのかな?預言書のように残したのかな?って思ったくらいで…当時の状況を知ろうと思って、ようやく 俺たちの明日 上巻―エレファントカシマシの軌跡を開き読んだ。 

ポニーキャニオンから東芝EMIにレコード会社が変わって、一時期バンドメンバーとの間に空白の期間があった。本を読むにつれ…“エレファントカシマシ”を名乗りながらも事実上は“宮本浩次”の単独期間があった。バンドとしての再始動がこの「DEAD OR ALIVE」。

次の勝利を目指すものが収録されている「風」*4は、バンドに帰ったものの…なんとなく風に揺れているのでは?っていう宮本の心情も見えたりなんかして…。でも、このアルバムには友達を心のよりどころにしてみたり、期待を持っていたり…夫、父親のような心境にも近かったのかな?

「俺がやらないで誰がやる。こいつらがいるのに…」

そんなアルバムだと思っていて、“勝利を目指すもの” “友”は実は宮本自身の事と思ったのは、自問自答して己と対峙し自分の心を確認しながら歌っている…って、思えた。意識してたかそうでないかはわからないけど…私には展望がちゃんとあって作っていた時期のような気がした。

EMIの契約が打ち切られる予感を口にしていたエピソードを何かで読んだ。宮本に何か秘策があったのかどうかはわからない。でも、もうすでに次が見えていたとしか思えないし、見えていたとしてプロモーションや音楽的な方向性も決めていたのか?だとしたらやはり、宮本は相当な策士だと思う。

その生き様が まだ見ぬ友へ
未来の人の“笑い”となるように…

極めつけはこれ。

未来の自分(仲間や関係者)とファンの笑顔になるように…“行かなきゃなるまい”で、ここまで来ちゃったよね。 今が思い描いていたものではないかもしれないけど、あのころ未来に置いてきたものが花を咲かせている。その花を摘んで花束にできたのではないだろうか?

30th ANNIVERSARY TOUR ”THE FIGHTING MAN” FINALは、いったいどうなってしまうんだろうね…?25thの時に

エレファントカシマシは、さいたまスーパーアリーナを埋めることができるんだ!」

っていう自信が芽生えた。でもあの時は活動休止明けのご祝儀要素もあったと思うから、今度の30thこそが真価なんだよね。

エレファントカシマシは確実にこの5年間で盤石な活動基盤を作ってこれたと思う。今まで出していなかったことを切り売りしながらでも、この先は充分にやりたいことはやっていけるのではないだろうか?例えばマイナー路線でマニアックにいったとしてもそれはそれで目新しくみえるだろうし、何をやってもそれはそれであたりそうな気はしてる(笑)

 

 

*1:2002.12.26 13th ALBUM「DEAD OR ALIVE」(ミニ・アルバム)

*2:2004.09.29 16th ALBUM「風」

*3:Dead or Alive

*4:風

二十歳のとき、私は何をしていたか…

昨日発売されたPOPEYE 851号のテーマが『二十歳のとき、何をしていたか?』で、各界の有名人の二十歳のエピソードが紹介されている。 

POPEYE(ポパイ) 2018年 3月号 [二十歳のとき、何をしていたか?]

POPEYE(ポパイ) 2018年 3月号 [二十歳のとき、何をしていたか?]

 

この中にエレファントカシマシ宮本浩次のエピソードも…

ミヤジのインタビューは目新しい情報はなかったけれども、最近はあまり語られなかった、20歳の頃に恋愛していた人との話が頁の片隅に載っていた。

この彼女とのことかは不明ですが…クリスマスイブの晩に、彼女が作ったフライドチキンを空腹の苛立ちでチキンの皿をひっくり返した話しは有名。

胸が痛むけど私にも似たようなエピソードがある。

私も20歳の時にはお付き合いしている人がいた。出会ったのは19歳。

思い出すのは…セピアやモノクロの思い出ではなくて、色鮮やかで輝きに満ちた思い出です(笑)

待ち合せの時間に遅れて来た彼。一緒に食べようとファストフードを買って待っていた私。携帯なんてない時代。“遅れるよ”と伝える術もなく仕事をやっと終えて登場した彼。若気の至り…私はかなり不機嫌で謝る彼をなかなか許さない。

とうとう、彼は逆ギレする。
私はファストフードの袋を駅のゴミ箱に捨てる。

離れて歩きながら家に帰る。途中、私は道を変える…また、合流する。泣きながら私謝る…。そのあとは……。

こんななんでもないよくある?恋人同士の痴話喧嘩も30年以上も経つとホントキラキラするものだ(笑)

私は成人式の振袖を自分で買った。そんなことで大人になった気持ちを味わっていた気がする。22歳で当時の彼と別れた後に運転免許を取って、軽自動車(SUZUKIアルト)をローンを組み新車で買った。

友達や母を載せてドライブしたり買い物に行ったり、夜中に一人ドライブしたり…今みたいにナビもなかったから、誰かといった場所が多かったけど湾岸線を走るのが好きだったなぁ。

私が失恋後の立ち直り期間中(笑)に、エレファントカシマシはメジャーデビューをしていたのね(笑)私は彼らの存在を全く知らないで、結婚や育児で10年ばかり生きてきました。