また、あした…

私が好きな音楽のことを綴るブログ

2019年8月11日(日)ゆく夏、来る夏、私の夏…佐野元春とリゾート

オハラ☆ブレイク19夏 in 猪苗代湖

このフェスのことを知ったのは2015年にエレファントカシマシ宮本浩次が弾き語りのソロで出演する。と、いう情報があった時から。2016年には知り合いのイラストレーターさんも参加した。

ゆるくのんびりしたスローライフをコンセプトにしている、芸術家たちのFESTIVALいつかは私も行ってみたいと思っていた。芸術的な部分も大きく占めていて、ただ好きなアーティストが出演するから行く…と、いう動機だけではなんとなく敷居が高い感じもして(スローライフなのにw)、行く機会を逃していました。

oharabreak.com

エレカシの宮本は2015年、2017年に出演している。そして、今年の2019年も…これまでは、エレファントカシマシの活動中にオファーされてソロで出た。そんな意味合いだったけれども、今年からはソロ、宮本浩次としての出演。

ソロナンバーも

  • 冬の母
  • 解き放て、我らが新時代
  • going my way
  • 昇る太陽

と、発表し俳優、高橋一生さんへの楽曲提供

  •  きみに会いたい -Dance with you-

更に新曲「Do you remember?」も9月公開の映画「宮本から君へ」の主題歌として書き下ろされた。この間、弾き語りのソロライブも行ったし…すっかり、ソロ一色。

私は発表されたソロ曲に関してまだ、そんなに掘り下げてはいないと思っています。何故ならばソロ曲からまだ射抜かれるほどの何かを感じていないからです。

これはLIVEで聴くまでは何も起こらないのだなぁ…って、思ってました。生歌で聴いて何も起きなかったらどうしようくらいに思いました(笑)

弾き語りLIVEのチケットは取れなかったから、いつになることやら…でしたが、2019年今年の“オハラ☆ブレイク19夏”に出演が決まり、これに行けば聴ける!とは思ったのですけど、冒頭でも記した通り芸術的な分野も多く自分ごときが行って、それらを堪能することができるのか?と、躊躇をさせる感じを勝手に抱いていました。

宮本浩次だけを求めて行くって、なかなかな奇行な気がしていました(笑)ところがそこになんと!私の背中を後押ししてくれる情報が!

佐野元春&HOBO KING BAND がオハラ☆ブレイクに出演するという情報でした。大義名分ができたような気がして、一度行ってみる好機だわ!くらいの勢いで気がつけばチケットを取り、行き方を調べ宿も抑えていました(笑)

まぁ、ところが8/9・10・11の3日間のうち、8/9の前夜に会場が猛烈な防風雨に見舞われて、設営に大打撃がおきてしまいました。8/9の初日はあえなく中止となってしまい、残りの2日間の開催を目指した復旧作業が行われたのでした。

まさかだけど、まさかでない自然の猛威です。

運営スタッフの皆さんの努力と尽力で10日・11日は無事に開催となりました。

会場の猪苗代湖までの交通手段はなかなかな距離。っていうか本数が少なく距離もある(笑)郡山まで出て在来線…乗り継ぎが上手くいかないとちょっと辛い旅になりそうでしたが、遠征で鍛えた動物的勘でわりとスムーズに移動できました。

慌てたせいで猪苗代の構内を撮り忘れ、シャトルバス乗り場へ向かう途中からの駅舎。

シャトルバスの車窓からもう会場近くもうまで来たかな?と、思った時にみえたのは小平潟天満宮の社殿でした。

そして、ようやく到着!と、言ってもまだお昼前でした♪福島県で湖の近くだからけっこう涼しいかな?と、想像してきたけど意外と暑くてビックリしました。

入り口でもらったウエルカムドリンク!オーガニックコーラですって🎶どんな味なのか楽しみです。

猪苗代湖が見えてきたところで…ちょっとわかりにくいかもですが…頑張って修正しましたよ!

オ ハ ラ ☆ ブ レ イ ク

と、オブジェで書かれていました!

森の中を散策しながら進みます。芸術家たちのワークショップが立ち並んでいまして、私もやってみたいなぁ…とか、思いつつも地ビールヴァイツェン)を飲みつつ、イワナの塩焼き(今朝、仕込みしたて!)を食し…地ビールピルスナー)をお代わりし、B-1グランプリ受賞のなみえ焼きそばを食す…あ、その前に仙台から出店していた「珈琲茶屋 闇」さんの水出しアイスコーヒーも頂いた♡どれもとても美味しかった!

そして、12:00からはじまった“ラブレイクステージ”でのライブ。

トップバッターは石崎ひゅーいvs尾崎裕哉のユニット“双発機”。尾崎裕哉のお父さんは尾崎豊尾崎豊佐野元春インスパイヤ-していた。1987年阿蘇山の麓で行われた伝説の野外フェス「beatChild」に共に出演している。場所は違えど…時を経てその息子と同じ会場で音楽を奏でていた。1987年佐野元春31歳、尾崎豊21歳。2019年佐野元春63歳、尾崎裕哉30歳。ビール飲みながら裕哉さんの歌う「15の夜」を聴く…さすが、お父さんの声に似てる。ただ、違うのは尾崎豊が歌っていた時は素の心情のままで、裕哉さんのとは違うあたりまえだけどね。

そして、なんと次に出るはずだった田島貴男ORIGINAL LOVE)が、交通渋滞に巻き込まれ会場に到着できない事案が発生。急遽、時間が大きく空いてしまった。お代わりの地ビールを飲みながら、猪苗代野外音楽堂から聴こえてくる“キーチビール&ザ・ホーリーティッツ”と、いうバンドの音楽に耳を傾けていたら…心地よさに寝てしまっていた。失礼と思われるかもしれないが、サウンドと歌声が心地よすぎたのです!

目が覚めても佐野元春までの時間はまだまだありました。でも、そこで私はステージがどんな感じなのか知りたくて、近くまで行ってみることにしたの。猪苗代湖を横目に見ながらの素敵なロケーションです。元春サイドのスタッフがセッティング作業をしていました。時間が繰り上がることはないだろうけど、とりあえず待機をはじめてみました。

遠くから“ブラフ団”TOSHI-LOWさんの歌声が聞こえてきました。何やら一緒にやるはずだった内田勘太郎さんが急病で欠席になったとか(汗)今年のオハラ☆ブレイクはいろんな事件がおきました…。

そして、いよいよ…

サウンドチェックで元春以外のメンバーが出てきて、ちょろっと演奏するだけでうっとりだったのに、本番はラフなスタイルからドレスアップして登場!素敵すぎ🎶元春が登場するとその場所の空気感がまさにゴージャス!

気がつくと、それまでまったりシートの上でくつろいでいたオーディエンスは、いつの間にか立ち上がり、隙間という隙間に人が押し寄せていました。

盛り上がりました!陽気なおじ様達はご機嫌だし、元春の渾身の歌、ホーボーキングバンドの洗練されたサウンドがあの自然の中にうまく溶け込んで、オーディエンスはあの贅沢な空間を思いきり楽しんでいました。

あっというまに終演してメンバーがステージを降りて、元春が去る時にマイクをオーディエンス側に向けると“歓声”!元春の姿が見えなくなるとその後、自然発生的にアンコールの手拍子が始まった!本当に出てくるのではないか?というくらいの間だったけど、時間通り流れるのがフェス…ただ、きっとその場で聴いていた人の心に音楽の素晴らしさを刻めた時間だったことは間違いないです!

また、オハラ☆ブレイクに来てくれることがあったら私も行きたい!

そして、元春のオフィシャルレポにもあるように、出演後の元春の所に次に出る宮本浩次が挨拶をしに訪ね歓談したという…。どのくらいの時間、話したのかはわからないけれども宮本は律儀だから、デビューした頃は元春と同じレコード会社だったし、元春主催のフェス「THIS!」にも出演したから…当時はそんなに接点はなかったと思うけど、素通りはさすがにできないだろうし、ソロ活動を始めてからいろんなジャンルのいろんなステータス、キャリアのある人と接点を作っていきたいと思っているのだと思った。

そう思ったのには、宮本浩次のステージで語られたMCからも伝わるものでした。

 

つづく…

太陽が昇ったら、解き放って私の人生、強引に前に行くぜ!

通常盤ですがCDも購入してますよ。昇る太陽(初回限定盤)(DVD付)

6月21日のブログでソロ、宮本浩次のシングルCDについて佐野元春の歌を引用して感じたままを投じました。 

『昇る太陽』…タイトルが…(笑) もし、この“太陽”が自分を例えるものの象徴であるならば、「昇れる」より更に強い意志をもって「昇る」自分を表した歌なのかな?などと今の段階では想像しています。 私はこんな歌詞を思い出した 君は3個のダイヤモンドを掘りあてて そして4個のダイヤモンドをなくしてしまう やがて眠たげな太陽が色褪せたとしても 君は大丈夫さ It's gonna be alright... 『ポップチルドレン(最新マシンを手にした陽気な子供たち)』words & music 佐野元春 言い当てている気がしてならない。 「大丈夫」って、私が言ってもしょうがないけど、あえて言うよ

裸足になって駆け出した男の今… - ほゞ、エレカシ漬

これは1個目のダイヤモンドでしょうかね?(笑)

ダイヤモンドの鉱石かな?ダイヤモンドってことにしておこう(笑)

CDを手にする前に自分の感じたことが、そのままジャケットになっているなんて驚くよね(笑)

月桂冠「THE SHOT」のCMソングで書き下ろした「going my way」をフルで初めてききまして、全貌があきらかに!新人歌手らしくポップなRockですねぇ~。

“もはやルールなんてない!勝ち負けもない!”と、歌い上げてしまうことに若干違和感があって…勝負していない宮本なんて…気の抜けたビールみたいだなぁ…という感じは否めません。

ただ、「たった一度の人生楽しもう」と、言っているのは共感できる。勝ち負けは必ずしも対誰かだったりするものでもなく、自分との勝負なので「人生楽しむのも勝負」だと私も想い始めたわけです。楽しまなきゃ負け…楽しんだもん勝ち!な部分もあるだろう。そう理解して聴いた。

 

さて、前回のブログではこんなことも書いた。  

謡曲(演歌)、ラップ、パンク…を自分の楽曲に取り入れていくのはいいが、ソロでは新人であるならば、歌謡曲専門・ヒップホップラップ専門・パンク専門の第一人者から楽曲提供してもらって歌う。そういうことから挑戦した方が、より自分の作品に落とし込みやすかったのではなかろうか?と、考えてしまう。

キミの胸の中、私たちの胸の中 - ほゞ、エレカシ漬

各ジャンルの第一人者からの楽曲提供ではないけど、第一人者とのセッションが実現したようだ。

横山健である。

宮本浩次の新曲「Do you remenber?」にギターとして参加してくれたようだ。この新曲がパンクなのかどうかはわからないけれども、強烈なGuitarRockになっていることは間違いなさそう。

宮本浩次は強烈なGuitarを欲していた…そんな節はある。そんなギターサウンドで歌ってみたいという願望は強かったと察する。

ファンの間ではよく言われていることだけど、宮本浩次“声”自体が楽器だから、その声という楽器の爆音に対抗するのに値するギターがどうしても必要だったのではないか? ふと、そんなことを思った。

発売されたばかりのロッキング・オン・ジャパン 2019年 09 月号 [雑誌]に、経緯的なことが書かれているらしい(現時点で私はまだその記事を読んでいない)。

Album「風」をプロデュース及びギターでも参加している、久保田光太郎氏が2004年ロック・イン・ジャパン・フェスの時にギターでも参加している。その時のパワーインザワールド、生命賛歌のギター演奏がものすごく印象深いのですが、絶叫してる宮本の声に負けない存在でRockそのものなのだ。

この横山健のギター参戦はあの感じを彷彿させるものなのかもしれないし、それ以上になることを容易に想像させてしまう。

私は2004年時点ではエレファントカシマシのファンからフェードアウトしている。ファンに返り咲いた時に、YouTubeエレカシのLIVE動画を漁って観て衝撃を受けたのがこの2004年のロック・イン・ジャパン・フェスで、宮本浩次にがっつり心を掴まれたLIVEパフォーマンスだった。

宮本浩次ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2019、WILD BUNCH FEST.2019にスペシャルバンドで出演する。横山健率いるスペシャルバンドになるようなのだ…。残念ながら私はそのフェスには行かない(笑)ロッキンがテレビで放送されることを期待をしよう…。

 

新曲「Do you remenber?」は、テレビドラマになった「宮本から君へ」の劇場版主題歌になる。映画は9月に公開ですがこの新曲はいつ発売なのかな?

 

キミの胸の中、私たちの胸の中

※閲覧注意※ 雑誌「CUT」「JAPAN」のネタバレが含まれています。

何度も生まれ変わって、生まれ変わる度に変わってきた

宮本浩次のソロ初ライブから1ヶ月経ってしまいました。

行けた人は宮本の好調ぶりと、久しぶりの生歌に陶酔気味なコメントが多かったが、行ってもないファンの言葉には辛酸な意見もあったり、ただただ羨ましいという声が広まっていました。

私が気になったのはソロのLIVEでやったセトリへの意見。

ソロなんだから、ソロLIVEはソロ曲だけでやらなきゃならない縛りってなに? バンドでやるときにはバンドアレンジ、弾き語りなら弾き語りアレンジがあるんだから、自由でよくない?。

本人の作った曲を自分のステージで唄うことに誰が否定的なこと言えるの? 賛否あるって話し見たので...

つまり、エレファントカシマシの曲をソロのステージでやるのはいかがなものか?そんな意見をみた私の気持ちがこのつぶやきです。

私もその場にはいなかったけど、さすがにこんなこと言う人がいたのには驚きを隠せずつぶやいたのでした。


このソロライブからエンタメ系の雑誌2誌に、ソロ活動から半年ということでのインタビューが掲載された。

何が書かれていてももう、驚きもしないと思うが(笑)←内容は何もリークしてません。

この「JAPAN」の前にCut 2019年 07 月号 [雑誌] でも、似たようなインタビューと話しがされていたが、「JAPAN」の方がより解放され軽妙な言葉で心境が語られていた。

エレファントカシマシの楽曲をソロでやることはつまり、エレファントカシマシじゃないバンドでやることも予感させる。

「JAPAN」ソロ記事読んだどー! うんうん。 そかそか。 だよねー。 みたいな(笑)単純に「いいね!」って思ったよ。 好みの問題は別としてね

今回のインタビューは、私がミヤジのソロ活動について捉えていた考えと概ね合致したからこういう感想になりました(⌒∇⌒)

なので、このようなつぶやきに至ったのです。

twitterでのフォロワーさんの反応は宮本浩次が語った言葉への「戸惑い」が多く見られた気がする。

私は…

何度も生まれ変わってきたから、ファンの数だけ出あったタイミングの数もあって、追いかけてきた宮本のイメージ(理想)もあるんだよね。

このたびはどこをとっても完全にフルモデルチェンジして、あとかたもない感じなのかもね?だから「戸惑い」という表現が正しいと思う。

こんな風に伝えた。

そして、ソロ初CDシングル「昇る太陽」発売の発表。配信販売した「冬の花」のヒットに手応えを感じてなのか、もともと計画されていた発売なのかはわからないけれども、聴いてみた感想は「冬の花」を方を初CDシングルカットした方がよかったのでは?である。

 もちろん、最初に配信販売してしまったので後出しだと売り上げは伸びないから、そうしなかったのは正解だけど、最初からあの曲をCDシングル第1弾にした方がインパクトとしては良かったと思う。


宮本浩次-昇る太陽

 

「JAPAN」のネタバレになってしまうが、自分の曲を他のバンドのサウンドで歌ってみたかった。と、言ったその実現のあとどう思ったのか? 

「CUT」で“自分は作詞作曲家というよりは、歌手でありパフォーマーだと思う”と、分析していた。私はこの記事を読んでとても腑に落ちて納得したのです。

何故なら…

この曲を何故、ソロにする必要があったのか?しかも初CDとして出すコンセプトがまったくわからなかった。から…

年頭発売された「JAPAN」のソロの始まりインタビューでは 

でも、どうしてソロをやりたいかの理由は人の楽曲を作り手の指示で一度歌ってみたかったと、いうことだった。つまりそれがこの先のバンド活動にどうの…ってことは語っていなくて、とにかく一度ニュートラルになって自分の歌だけで勝負してみたい気持ちがずっとあって申し出たことだとわかった。 バンドに抱くロマンや夢もあるけど、ボーカルとして好きな歌を歌わず人生が終わるのも…という葛藤があったんだね。

2018年ブログ納め!今年も大変にありがとうございました! - ほゞ、エレカシ漬

去年の終盤に椎名林檎東京スカパラダイスオーケストラの客員歌手で歌ったこともその「歌手」としてのアイデンティティがさらに強まったのであり、それがNHKの歌番組で歌ったカバー曲への挑戦が発端になっていることもわかる。

自分は「SONGWRITERではない。歌手だ」という、自覚で言うならばソロ活動は他の作家さん縛りでやってもよかったのではないかな?って思ったのです。

ソロ活動に入って「冬の花」「解き放て、我らが新時代」「Going My Way」…楽曲提供「きみに会いたい」ときて、「昇る太陽」…とくに初CDシングルになったこの「昇る太陽」に関しては…宮本浩次“挑戦”という部分があったのかどうか?インパクトが小さい…私にはわからなかった。

謡曲(演歌)、ラップ、パンク…を自分の楽曲に取り入れていくのはいいが、ソロでは新人であるならば、歌謡曲専門・ヒップホップラップ専門・パンク専門の第一人者から楽曲提供してもらって歌う。そういうことから挑戦した方が、より自分の作品に落とし込みやすかったのではなかろうか?と、考えてしまう。

そのほうが、既存のファンももっと多く熱意をもって聴いたのではなかろうか?今のところ“無条件”に褒めたたえるファン、“反射的”に購入聴いてみるファン、“拒絶反応”するファン…混在するのは当たり前でしかたないけど、“好意的”“期待度”の高い反応が少ないのが、とても気がかりになってしまうのです。

ソロ活動を始めて半年でいろいろ答えを出すのは得策ではないけど、はじまりの戦略アプローチに関しては…30年のプロ活動というプライドと彼のポテンシャルが空回りしないといいな…って、素人ながらに心配し始めているのであります。

昇る太陽(初回限定盤)(DVD付)

昇る太陽(初回限定盤)(DVD付)

 

いよいよフェスのシーズン到来です。

過去2回、オハラブレイクで公式にソロ出演したけど 、今年は下記のフェスにソロで出演する。ソロ宣伝活動の始まりです!

 

以下、個人的な話しなのでスルーで大丈夫です(笑)

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裸足になって駆け出した男の今…

Cut 2019年 07 月号 [雑誌]

CUT、半分まで読んだ。 彼の今は“エレファントカシマシ”のファンである人達(私も含む)には少し寂しさがある内容かな。 いろいろ自由やっても着地点である根幹が大切な存在なのかは、正直わからなくなった。 半分読んだところで…今はメンバーのことを考えた(メンバーのことを思ったんじゃないよ)。
午後6:37 · 2019年6月20日

そもそも、宮本浩次はロックバンドが好きでロックバンドを始めた男ではない。

児童唱歌、クラシック、流行歌(歌謡曲)などを通ってきた男。中学の時にRock好きな友達を通じて既に結成されていた『エレファントカシマシ』に、ボーカルとして加入をしたのです。

Rock好きだった少年、石くん(石森敏行)とトミ(冨永義之)は、きっとこういう音楽をやるにはどうしたらできるのか?ワクワクした気持ちでYAMAHAミュージックスクールでギター、ドラムを習ったのだろう。いわば、ロックバンドをやりたかった少年。宮本浩次は“エレファントカシマシ”の空席だったボーカルに招かれたメンバー。彼のRockとの出会いはそこからが始まり。

ここからは私の想像で語らせてもらうのですが…。

宮本は石くんやトミと話を合わせるために勧められるがままに、当時石くんとトミが夢中で聴いていたロックミュージックのいくつかを聴き…その中のいくつかを好きになって、それほどまでにRockに心は揺さぶられなかったのではないかな?と思う。もし、揺さぶられれば貪るように聴くだろうし、Rockの事ももっと探求するでしょう。でも、宮本少年はそこまでRockには興味がわかなかったのではないかと思う。

ただ、元来児童歌手だし身近に音楽は存在していて、エレファントカシマシの中にいる時は自分が常に中心にいて、バンドをやるということは仲間もいて楽しい時間だったのだと思う。

そして、彼の中にあった「才能」の芽が芽吹き花が開花してしまったんだ。

それを見逃さなかった大人がコンテスト出場へと導き、その「才能」を世に送り出したいという大人の耳にも届いてしまった。

宮本浩次に課せられたのはRockSingerとしてのスタイル。“ロックバンドたる姿はこうだろう?”と、いうイメージから、何処にもないエレファントカシマシとしてのスタイルを模索し演じてきたのだろう。

そして、いつしかそのスタイルが宮本の作り出す音楽や歌によって、その時代に生きる一部のファンに承認されることになり、エレファントカシマシのスタイルはこうあるべき的な型が確立してしまった。それを演じ続けてきた。「大地のシンフォニー」の歌詞のように…

私は思った。

エレファントカシマシを立ち上げた初期メンバーで、宮本浩次をボーカルとして誘った石くんとトミはそもそもどんなバンドのイメージを持っていたのか?どんな理想があったのだろう?と…。二人にもあったであろうバンドの理想が…私はそれを聞いてみたいと思った。

CUT、残り半分読んだ。 当然、ここで結論は出ない出すものでもない。明解になった部分もあって、他に知りたい事もでてきた。 だから、ブログに記録しておこう(笑) 
午前8:14 · 2019年6月21日

確立されたエレファントカシマシのイメージという鎖はきっと重かったのかもしれない。『ソロ活動』が発表されたころのインタビューと半年後の今のインタビューを読んでも、その動機の部分は「解放されたかった」しかなく、バンド活動を続けていく上での向上を目的とした考えは毛頭ない感じがした。

ただ、どうなるのかはわからない。バンド活動を始めた時に何かいい効果があるかもしれない。結果ソロ活動を経てよかったね。と、いう流れになるのかな?という感じなのだろう。

「運」を気にする宮本。以前(9年前くらい)も雑誌のインタビューで語っていた。

「オレは才能と運だけでここまでやってきた男」

「詞を書いていて虫唾がはしる…」と…。

私はその時、心にもない事を歌詞にして歌っていることに嫌悪しているのかな?と、思った。レコード会社の意向やその時代の求めてる音楽感がそうさせざるをえなかったのでしょう。

その全てが嘘だとは言わないけれども、それ以上でもそれ以下でもない突き抜けられない“言葉の壁”が勝手に積み上がっていったのではないか?と、想像してしまうのです。

昨今、言葉が枯渇してしまっているから、あのインタビューになったんだろうな…。そして、楽曲提供したあの曲の歌詞を書いている時に「泣けてしかたなかった」のは何かに助けを求めているようにしか思えなかった。

楽しそうではあるけどどこか寂し気な感じがするのは何故だろう? 例えるなら「まぬけなJohnny」「ジョニーの彷徨」みたいな?大好きだった恋人に去られて好きでもない女を侍らせご満悦してるような…そんな憂い?
そんな雰囲気を私は感じてしまったんだよなぁ。
午後6:04 · 2019年6月21日

音楽に詳しい優秀な人達が自分の作品を良い感じに仕上げてくれる。沢山褒められもしているだろう。今またバンドデビューをしたときのようにたくさん褒めたたえてくれる人に囲まれて、一番楽しいはず…なのに「泣けてしまった」。その涙はどんな涙なのだろう…いつもの通り俺ってすごい!っていう感動の涙なのか?

楽しく充実した時間を過ごしながらも、まだ不安に押しつぶされそうなのではないか?「きみに会いたい」と、歌っている“きみ”とは唯一無二、無償の愛で

「あんたなら大丈夫」と、言ってくれたお母さんなのかもしれない。

お母さんからの「大丈夫」という言葉が欲しいのかな?そんなことをふと考えてしまったのです。

そう思ったのは私の次男が祖母(私の母)が亡くなって2年経った中学生になった時、

「おばあちゃんに会いたいな。幽霊でもいいから出てきてくれないかな」

と、言ったことがあった。中学生になって新しい生活の中、彼の中に不安が渦巻いていたのかもしれない。無条件に可愛がってくれた祖母の愛情が恋しくなったようです。

宮本浩次も今はちょうどそんな心情になっている時なのかもしれない。二度と会えないとわかっているからこそ、何度も会いたいと吐露してしまったのでは?まぁ、自分の才能に感動して泣けたという説の方が有力だとは思うけど(笑)

そして、いよいよソロとして初のCDが出るらしい。

昇る太陽(初回限定盤)(DVD付)

昇る太陽(初回限定盤)(DVD付)

 

『昇る太陽』…タイトルが…(笑)

もし、この“太陽”が自分を例えるものの象徴であるならば、「昇れる」より更に強い意志をもって「昇る」自分を表した歌なのかな?などと今の段階では想像しています。

私はこんな歌詞を思い出した

君は3個のダイヤモンドを掘りあてて
そして4個のダイヤモンドをなくしてしまう
やがて眠たげな太陽が色褪せたとしても
君は大丈夫さ It's gonna be alright...

『ポップチルドレン(最新マシンを手にした陽気な子供たち)』
words & music 佐野元春

言い当てている気がしてならない。 

 

「大丈夫」って、私が言ってもしょうがないけど、あえて言うよ

「キミなら大丈夫」

尾崎世界観の日“特別編”@日比谷野外大音楽堂

令和元年5月18日(土)

ブログのペースがガタ落ちです(笑)

ですが、残しておきたいことは簡易的でも残します!去る約一か月前にクリープハイプのボーカル、尾崎世界観が催した「尾崎世界観の日-特別編-」に行ってきました!

尾崎世界観の日」には2017年に初めて行きました。

yumcha-elekashi.hatenadiary.com

前回はCD先行で貴重な機会をゲット!今回はファンクラブ先行で行くことができ、オバサンはご満悦でございます。

 

日比谷野外大音楽堂へはエレファントカシマシの恒例ライブに行くことが多いのですが、去年から改修工事をしていて終了した野音に行くのがこれが初となりました。

周辺が整備されて入場ルートがきちんと確立されたので、指定席・立ち見の入場が非常にスムーズになるのでは?と思います。

イスもウッドベンチに変わりました。まだ、新しいので木の香が爽やかでしたよ。

このLIVEは尾崎世界観が呼びたいゲストを招いて、一緒にセッションしたり歌ってもらったりするという趣旨のものですが、今回は主に尾崎世界観がソロで歌うがメインでした。主にってことはゲストも出演しましたけどね。

一人目は女性シンガーのコレサワさん。

二人目は椎木知仁(My Hair is Bad)さん。

さて、以下はTwitterのTLから抜粋しながら記憶をたどって記します。

終了!

アコギのワンマン。アンコールなし。

クリープハイプの時ははっちゃけるファンも今夜は尾崎世界観のファンとして来ているのね。

ホントに静~かな感じ。じっと歌に聞き入る感じ。始まる前も終わったあとも整然としてました。若い子ばかりだったけど、なんて落ち着いた!っていう印象。

みんなが曲に集中している。そんな空間でした。

なんだろう?保護者みたいな立ち位置の私だったけど、ものすごく居心地がよかった。 何度目かのこのイベントライブでしょうに、野音だからかめっちゃ緊張してたんだね。本人もファンも… 

今夜の尾崎世界観の佇まいも今では超人気アーティストであるのにも関わらず、メジャー前の不安定な時期に陥ったあやうい精神状態が、彼のトラウマでありながら「支え」でもあり、その支えで歌わせていた。

今夜、尾崎世界観のワンマンを日比谷野外大音楽堂に行って、宮本浩次の病気療養活動休止前にやった日比谷野音を思い出した。

バンドマンがたった一人であのステージで歌うという姿。

尾崎世界観はやや緊張気味。それがだだ漏れしてたけど(笑)

エレカシ宮本は勝手知ったステージと持ち前の歌唱で本当に療養前なの?と、思わせるほどの歌声だった(実際はかなり抑え気味で歌ったけど)。

それとは別にソロ活動を始めた宮本はソロでも日比谷野音に立つのだろうか?ということ…。それも予想の範囲ではあるでしょう。

でも、あの時の

「少しだけオレを野音で歌わせてくれ」の気迫はないような気はする。

宮本はギリギリの状況の瞬間的に発する発光体のようなオーラで、人の心を貫く男ではないかな?と思っているので、それが原動力だったころの宮本浩次…は、もう見れないのだろうな。

本当は喜ばしい事ではあるけどそれはそれで寂しい。なので、ソロで野音はやってほしくない…と、言うのが私の本音。

 

▶セットリスト 

01.自分の事ばかりで情けなくなるよ
02.ヒッカキキズ
03.ボーイズENDガールズ
04.二十九、三十
05.大丈夫
06.イノチミジカシコイセヨオトメ
07.笑えよ乙女(コレサワ
08.燃えるごみの日(尾崎世界観コレサワ
09.あたしを彼女にしたいなら(尾崎世界観コレサワ
10.商店街、手紙、天気予報
11.風邪をひく日
12.百日紅
13.ハロー
14.週刊誌(椎木知仁)
15.一生のお願い(尾崎世界観 ✕ 椎木知仁)
16.優しさの行方(尾崎世界観 ✕ 椎木知仁)
17.さっちゃん
18.タイトル未定
19.exダーリン
20.傷つける

“イノチミジカシコイセヨオトメ”のあとにゲストアクトのコレサワさんが登場して、尾崎世界観が「オレの好きなアノ歌うたってくれよ」と、リクエストされたという“笑えよ乙女”がとても良い曲で、イノチミジカシコイセヨオトメがアンサーソングなのかしら?とか、想像してしまうほど胸キュンな流れでありました。

コレサワさんのあたしを彼女にしたいならは、何故かオバサンの私にもウンウン頷ける共感ソングで、あぁ素敵な曲書く子だなぁ…音楽の世界って本当に広いなぁって感動しました。私が知らないだけで彼女だって世には知れてるミュージシャンなのだもの。

つづきまして椎木知仁さんは新潟を拠点にしている人気急上昇中のバンド、My Hair is Badのボーカル。彼はもともとクリープハイプの大ファンで追っかけをする程のガチファンだったという。

ある日椎木さんもバンドを持っていることを知った尾崎世界観が、「おまえたちいつまでも俺たちを追っかけてばかりでいいのかよ」と、諭してくれたという。

最初の“週刊誌”はどうしてもクリープハイプの曲をカバーしたい曲と言って歌い、椎木さんの持ち歌優しさの行方は二人で歌い上げた。この曲もいちいち頷きながらギューッとさせる曲で、尾崎世界観のことをこよなく好きだという気持ちがひしひしと伝わる曲でした。

今日のライブのお客さんの大半がお一人様だったなぁ。

世界観が
「どうせ皆お一人様なんだろう?今日、お一人様で来た人?」って

聞いてくれて(笑)上がった手を見て
「うあっ、気持ち悪」って言ったよ(笑)冗談でだけどね。

一ヶ月近く前のLIVEでしたが書き始めると少しずつ思い出すものですね。 

【宮本三十三景其の③】「静勝寺」

「宮本三十三景」の散歩シリーズを復活させて、まだ行った事のない場所をピックアップしている中で見つけた。


『静勝寺』ここへもまだ行った事がありませんでした。

令和元年!最初のブログ記事はこの“静勝寺”についてです。

 

宮本浩次の地元、北区赤羽にあります。どこにでも地元の神社や寺院ってあるので、この静勝寺にどういう由来があるのか?なんて、宮本浩次が紹介しなければ絶対に訪れないし、知る由もないからいろいろ調べていていろんなことに繋がっていて、本当に楽しいし面白いなぁって思いました!

“静勝寺”赤羽駅から徒歩4分、赤羽台団地から東南に位置(地図参照)する丘陵にあります。この丘陵一帯には室町時代頃に「稲付城」というお城があったようです。

goo.gl

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太田道灌”という人が、この静勝寺のあるこの丘陵に『稲付城』を城築した記録があり、静勝寺に参るまでの石段のところには「稲付城跡」の石碑があります。

稲付城自体は廃城となっているので今はありません。道灌の死後この場を静勝寺として建立したようです。

清勝寺境内の一角に太田道灌の木像が安置してあるお堂があって、毎月月命日の26日に開帳されているようです。太田道灌は戦国時代の江戸氏という人の領地(皇居周辺)に(後の江戸城の基礎となる)、城を築城した人でもあります。

ちなみにこの日(訪れたのは令和元年5月3日)は、野良ネコちゃんには出くわしませんでしたが(笑)見学に来てる人、お参りに来る人など数名の人と出くわしました。閑静な住宅街の中ですのでお参り散歩するにはとても良い場所です。

 

さて、私は令和元年5月1日に埼玉県川越市まで日帰り旅行をしました。

この川越には太田道灌と道灌の父(道真)の城築した「川越城本丸御殿」があります。

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この川越城の城主でもあった太田父子のことは、のちに出す宮本三十三景の場所とも縁が深くて更に興味深く面白いです。

また、エレファントカシマシが主題歌(ズレてる方がいい(初回限定盤)(DVD付))を歌った映画『のぼうの城 』は、埼玉県行田市にある「忍城」がモデルになっていたと思います。

この“忍城”の成り立ちは割愛します(“のぼうの城”を観ましょうw)。忍城の城主は成田氏ですが、その経緯の中で太田道灌の仲介があり城主になれたと残っています。

 

どうでしょう?ざっくりとした内容になってしまいますが、地元の小さなお寺からここまででも調べ進めると、いろいろなつながりなどもわかって非常に面白い!と、思いませんか?

 

 

正午向嶋…私の徒然『新・正午浅草荷風小伝』を観て

2019年4月24日(水)『新・正午浅草荷風小伝』を観劇しました。

www.gekidanmingei.co.jp

このブログ内でも永井荷風をカテゴリーにしていくつか記事があります。

永井荷風に絡めた記事を記す理由も既出してますが、改めてお話ししますと…。

エレファントカシマシ宮本浩次永井荷風のファンで会ったという事から、調べていくうちに永井荷風が晩年、私の暮らしている街の辺りを気に入り心のよりどころにしていたことがわかり、小説『濹東(ぼくとう)綺譚 (岩波文庫)』がその舞台であると知り、『日和下駄 (講談社文芸文庫)』や『永井荷風という生き方 (集英社新書)』を買って読み…いつしか自分の興味関心になっていきました。

エレファントカシマシの宮本がどういう過程で永井荷風のファンになったか?それはわからないのだけど、彼は森鴎外の熱烈なファンでもあって永井荷風森鴎外を師と仰いでらしたので、その関連から荷風を知り荷風の魅力にも魅せられたのかしら?と思った。

かつて雑誌で紹介された宮本浩次の部屋には永井荷風の写真が飾られている。

 

さて、『新・正午浅草荷風小伝』ですがネットのリサーチ力のたまものか?私の好きそうな情報を広告で知らせてくれる。その中にこの観劇のチケット情報があがってきた。

私はお芝居というものを自ら進んで観に行ったことがない。よしもと新喜劇くらいです(笑)あとはお友達のお誘いで宝塚を数作品、黒栁徹子さんの「想い出カルテット」を観たことあるくらいです。それが初めて自ら観に行きたい!と、思いチケットを購入したのがこの『新・正午浅草荷風小伝』でした。

お芝居の舞台は荷風が晩年暮らした千葉県八幡の家での回想シーンですが、我が街に足を運んでいた場面も登場すると知ったからです。題名にもある「浅草」も私の散歩圏内。本を読んでその場所を廻ったりしますが、お芝居を通して観た時にまるで本物の荷風が現れ、その思い出の土地を語っているように見えて…どんな思いで下町を訪れていたのか?その機微の部分がリアルにつたわった思いがしました。

もちろん荷風の肉声は聞いたことはありませんが、きっとこんな風にお話しをし声をしていたのでは?と感じるほどでした。演じられた水谷貞夫氏は御年84歳、劇中の荷風は40代頃から亡くなるまで(79歳)の年齢。当時の79歳と現在の84歳はあまり変わらない気もして、荷風の雰囲気というものが画として見ることができたのは嬉しかったです。

ストーリーは二人の女性を中心に展開された。荷風のお妾だったという元新橋の芸子「お歌」、『濹東綺譚』に出てくる玉ノ井の娼婦「お雪」。この二人の女性の境遇と立場の違いから、荷風の中にある“女性像”というものが二種類対極に存在しそれが、真実味のある女の実態として如実に表わされていたと感じた。

その実態を知った時、荷風にとって女性というのは常にそばに居て欲しい者ではなく、「理想」の女性のままで存在してほしかったのだろう。そして、都合よく逃げ込める心地よい場所であってほしく、実際そうであったのだと思う。

最後、キャストの皆さんが登場し荷風を演じた水谷氏が出てきた瞬間、私の眼には涙が溢れた。お芝居を観て泣くなんて思いもしなかったので、自分でも驚いた…。正直、永井荷風の「断腸亭日乗」も読んでいないし、小説も「濹東綺譚」しか読んでおらず、もっぱら永井荷風の生きた軌跡に魅力を感じているだけの“にわか”にしかすぎない私が何故でしょうね…。

たぶん、人間の本質的な部分に魅力を感じてきたことや、その人間味という部分では冒頭で紹介した、私が大ファンのエレファントカシマシ宮本浩次と重なる部分を見出したからだと思います(歳を数えで言ってしまうとか、馴染みの女性の家に行っても泊まらず必ず帰宅するとか、そういう細かい部分も)。

 

彼は若い頃に作った『道』や『歴史』歌の中で「死にざまこそが生き様」と歌っている。劇中の荷風の台詞に

「生まれ方は選べない。人の手を借りなければできないけれども、死に方は選べるから」と、「鴎外先生の命日と同じは無理でも同じ“9”の付く日に死にたいなぁ」と、記者に話すシーンがあった。

私ももうじき53歳になります。プレ終活期に入ったと思ってます。荷風がやりたいことをやり始めた年頃と同じです。そして、そのやりたいことを52歳でやりはじめた宮本浩次とますます被って見えてしまったのです。

大きなことはできませんけれども私もできるだけやってみよう!行ってみよう!と思った事は行動に移していける生き方をこれからはしようと思っています。

まずはこのブログ記事でも記した通り、荷風ゆかりの場所を散策することがちょっとしたライフワークになるかと思ってます。

yumcha-elekashi.hatenadiary.com


この本を参考にしながら巡るつもりでおります。

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そして、ゆくゆくは終焉の地、八幡へも足を運べたらと調べものをゆっくりペースでやっております(笑)

いろいろな巡り合わせでこのお芝居とも出逢って、自分のこれからというものを再確認できるきっかけの良いお芝居でした。

「新・正午浅草―荷風小伝」 を観劇後、帰ってきてから早速、この本を開いてみる。お芝居の舞台となっている場所、晩年の荷風の様子がわかる一冊「荷風極楽」。

劇中にも出てくる、身の回りの世話をしてもらっていた女性がいるのですが本の最後の方に、荷風の葬儀後に撮られた関係者の集合写真が納められていて、そこにその方も写っていました。 その女性が荷風の遺体の第一発見者でした。

八幡編はこの「荷風極楽」が基本となりそうです。