ほゞ、エレカシ漬

私が好きなエレファントカシマシの事を軸に音楽のことを綴るブログ

東京『江戸』からまんまで…

2010年01月21日21:10

テレビCMが流れるたびに気になっておりました、Deagostiniから発刊された、 週刊「江戸」創刊号を入手してまいりましたよぉ~~~ん。

時代劇は嫌いな方ではないので、なんとなくワクワクしながら読んで みたいと思っております。

今、私の頭ん中では・・・いつか『浅草から江戸東京博物館に皆で行こう!』 そんなオフ会ができたらいいなー・・・などと思っております もちろん、ここは・・・夜の部もありってことでw 実現するかどうかはわかりませんが、そんな時は是非、ご参加下さいませ(笑)

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2012年11月02日 19:51

『東京』を知る上で欠かせないのは、まず“江戸”を知ることです。そう、教えてくれたのは宮本浩次

宮本が自分の足で探求した『東京』は実に参考になるし、私の好奇心をくすぐるのに十分なくらい魅力的であった。

ある日・・・2年前くらいかなぁ、ディアゴスティーニから「週刊江戸」っていう冊子が創刊になっちゃって(笑)私は全巻集めちゃおうかな?とか思ったくらいに、購買欲をかきたてましたわ。

でも、結局はNo.3までしか買わなかったけど しかし、これは買ってよかったなぁって思いました。ミヤジが東京と江戸について色々と語るときの話(赤本とか)で、あとで検証できたり絵で解説されていたりするので、イメージが湧きやすいですしね。昔、江戸城(皇居)の周りは海だったとか・・・中学の歴史か何かで習ったかもですが私も独自でいろいろ調べてる中、再確認ができてですねホント楽しいものです。

神田のあたりは山だったとか、日比谷は入江だったとか・・・。ミヤジも言っていた、江戸の町は京都の町が手本になっているとか。私でもよくわかる内容だったからお買い得だったなぁって思います。

こうやって文章にする時も読み始めちゃって、なかなか先に進まないという💦3号までしか買っていませんが、これからでもまた増やそうかな・・・っていうか、読んでみたい号もあれば、そんなに興味のない号もあったりするのですが、ボチボチ揃えちゃおうかと・・・わりと私も収集癖があるので

2018年9月19日(水) 

そういえばブログにあげてなかったから記憶を遡りつつ…(笑)

エレ友さんといつか一緒にいければなぁ…と、思っていた「江戸東京博物館 」に去年の9月に行っておりました。

と、いうかこの博物館へは気になる特別展があると行ってましたが、実は常設展示は観たことがありませんでした。

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この日は『東京150年』という記念の企画展が模様されていたので、これを観に行った流れで常設も観てきました。

1868年(慶応4年)江戸が東京と改められ“東京府”が設置されてから、明治・大正・昭和…その間に巻き起こった、関東大震災からの帝都復興計画、第二次世界大戦から戦災復興そして、東京オリンピックをきっかけに東京は近代都市として目覚ましい発展をしていく…。

歴史と共に変わりゆく東京の姿を当時の地図や写真などを通して、東京の150年を振り返る内容でした。

www.edo-tokyo-museum.or.jp

常設展示はその東京の移り変わりが復元された建造物などによって、よりリアルに体験できます。

まず、中に入ると最初に『江戸城と町割り_日本橋』ということで、東京の中心となる“日本橋”の実寸大が出迎えてくれます。日本橋の上から下(5F)をみると左が江戸時代の右が明治の街のシンボルがあります。

江戸時代は「明治座」の建物が再現されていて、江戸時代の庶民の楽しみ暮らしぶりがジオラマ等で観ることができます。

明治時代は「朝野新聞社」の建物が再現されています。文明開化と呼ばれたとおり西洋文化が取り入れられた街の様子を見ることができます。

これは江戸城の本丸。

将軍に謁見するための白書院から忠臣蔵の「赤穂事件」でおなじみの松の廊下、大広間までを再建時の図面をもとに復元した建物の模型です。

こんな感じに時代ごとの建物、庶民の暮らし商業などが紹介されています。もちろんブログでは紹介しきれないのでここで一つポイントとして…

昭和30年頃から始まる高度経済成長の時に、住宅不足の解消のために急速に建ち始めた、『団地』の1室を再現したものがこちら。

これは西東京市にあった「ひばりが丘団地」を復元したものです。

エレファントカシマシ宮本浩次が育ち暮らしていた、赤羽台団地もこんな雰囲気だったと思います。

2年前の週刊文春に連載されている「新 家の履歴書」のコーナーに、宮本浩次が育った部屋の間取り図が載っていて 、だいたいこんな感じなのかなぁって思いながら見てきました。

週刊文春 2017年 3/30 号 [雑誌]

週刊文春 2017年 3/30 号 [雑誌]

 

江戸から東京…宮本浩次が東京に対する自己同一化を探求していた時代。

彼が自分の足で見て回った東京の街並みと照らし合わせた東京の歴史。それとは一線を引くものではあるけど、この博物館にくるとバーチャルにそれを体感できるので、楽しい場所だとおもいました。

そして、私も生まれてから東京という街で育ち暮らしてきたけど、知らないことが多く知りたい事も沢山見つけられたことが嬉しかった。

【宮本三十三景其の②】「岩淵水門」

水辺を学ぶシリーズ・河川整備の今昔「吾妻橋から岩淵水門」

「宮本三十三景」の散歩シリーズを復活させて、まだ行った事のない場所をピックアップしている中で見つけた。

『岩淵水門』ここへはまだ行った事がありませんでした。

宮本浩次が JAPANの取材で、少し離れた宮城地区という場所で撮った写真があって、その辺りへは行った事があったのですが。

今回はいつ行こかなぁと思案していた時に、春先から秋にかけて地元から水上バスに乗って岩淵水門までいける便があるので、そろそろ申し込めるかな?と、思って調べてみたところ、まだその船はスケジュールが出ておりませんでした。

ただ、イベント便というコンテンツがあったのでのぞいてみると、“水辺を学ぶシリーズ・河川整備の今昔「吾妻橋から岩淵水門」”というツアー参加の募集があったので、迷わず申し込んでみました。

下の写真の赤い橋が「吾妻橋」です。

吾妻橋 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

この水上バス隅田川を上り、岩淵水門へと行きます。

赤羽に出てから歩くと27分くらいかかるのですが、今回のこのクルーズは1時間少しで到着。先ほどの春から出航するクルーズは途中で止まる発着所がいくつかあるので、2時間くらいかけて遊覧します。

行きは隅田川周辺の地盤についての説明とその地形によってもたらした、川の氾濫と洪水被害について。その隅田川には『橋の博物館』とも言われるほど、様々な形状の橋がある。構造や歴史などの解説がありました。

そして、いよいよ…これは現岩淵水門(青水門)をくぐる動画です。


岩淵水門 往路


岩淵水門 往路2

青水門をくぐって赤水門まで貴重な経験でした❗

水上バスから観る旧岩淵水門(赤水門)

この通称赤水門は1916年(大正5年)着工、1924年大正13年)完成。

江戸時代から昭和初期まで荒川・隅田川は、台風や大雨による河川の氾濫にともなう水害が多発しました。旧岩淵水門は荒川放水路と旧河道(隅田川)との分派点に設けられ、隅田川に荒川の洪水が流入するのを制限していました。

goo.gl

 岩淵水門 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

昭和48年に荒川の基本計画が改訂されたことに伴い、水門の高さの不足が生じたことから、全面改築されることとなり新しい岩淵水門(青水門)がつくられました。

現在、荒川だけでなく隅田川沿岸もスーパー堤防や河川の整備事業の推進や計画がされています。庶民を災害から守る意味もありますが、遊歩道(テラス)を整備することで憩いの場にもなります。


岩淵水門 復路

行ってみてしみじみ感じたのは、生きてきた時代は一緒でも暮らす場所は別々だった私とエレファントカシマシがこうして、1本の川を通じて繋がった感じがして少し嬉しく思いました。

また、暖かい頃に行ってみたいと思います。

あの小島に上陸してみたい(笑)今回は上陸して辺りを散策するということがなかったので、アンケートにそういった行程を加えてほしいと書いて出しましたよ。

エレファントカシマシが(株)アミューズに移籍

新しい季節へ…夢を追いにでかけるぜ!

t.co

弁当作り終わった後でよかった・・・昨日の夜でなくてよかった…嗚呼びっくりした。

なんだかなーーー!もう…いろんなドキドキが…ない混ざった朝だよぉ。次男送り出した!

会報が必ずしも解禁日に届いているとは限らないから、FCページでお知らせしてくれてもいいのにね。 こういう後手後手がこれからは少なくなっていくのかなー(笑) 

昨日(2019/02/22)は朝に予想すらしていなかったニュースを目にして、心がザワドキキュー、ザワドキキューと忙しかった(笑)

昨日は次男の高校受験本命当日だったので、前日から早寝し朝から二人の息子のお弁当を作りでバタバタしていた。あらかた準備が終わって珈琲をすすりながら、PCを立ち上げTwitterをみると…冒頭の記事が!!

発送済みのFC会報「PAO」に詳細があるとのことだが、まだこの時点では手元に届いていない人も多く(私もその一人)、こんな大事なことをオフィシャルからのメールでもなく公式サイトからでもなく、スポーツ新聞の記事で知るとは!

まぁ、ガッカリ感の否めないTLが流れる流れる(笑)

私は自分の子供の事で気持ちがマックスだったし、エレカシサイドの後手後手についてはアルアルで少し反応が薄かった(笑)でも、冷静に考えたら確かに対処法はいくらでもあるから…上記のつぶやきに至ったわけです。

昨日は仕事もあったので、職場では単純作業を延々とこなし…気持ちを紛らせていた。気になることは次男の入試試験の事ばかりで、あまりエレカシの事は考えていなかった。次男のためにサーロインステーキ重を買って帰る帰り道…キレイな夕焼けでした。 日が延びましたねー☺️良いこと沢山あるような気がしてきた。 

私もできることならやってみたい夢はあります。でも、現実的に先立つものがなければ叶わない夢です。もし目の前に自分の夢に近づける信頼性の高い場所が提供されれば、きっと迷わずそこに夢をゆだねるでしょう。

夢を実現させられる人はそんなに多いものではない。夢そのものも形を変えることもある。そんな中の朗報だったと思っています。但し最後の最後までなぁ~んか後手後手だったけど、笑って許します。きっとこれからは、そんなことも思い出しながら懐かしんで笑っていくようになるだろうから。

前事務所からのメッセージ…

fme.jp

 

エレカシのファンに返り咲いて10年の間ではありましたが…

FAITH MUSIC ENTERTAINMENT様、

これまでエレファントカシマシとファンの橋渡しをしてくださり、本当にありがとうございました。

そして、浅い私がお礼などおこがましいとは思いますが、エレファントカシマシを20数年間、支えプロモートしてくださりありがとうございました!

FAITHさんの中で育まれたエレファントカシマシ、ファンでしかない私もその中の一員になれたような錯覚をするほどです。そんな身近にも感じられるエージェントだったと思っているので、大きな事務所に移籍したことは、そもそも身近ではないエレファントカシマシが、更に遠い存在になっていく現実をつきつけられて寂しさはぬぐえません。

可愛い子には旅をさせよ。ってこういうときに使うのかな?(笑) 私達が知らないだけで、相当まだまだ伸び代もあって、需要もあってこのままじゃ対応してあげられなくなってきたのかもなー。 大きい事務所でのびのびやれたらそれでいいよ😊

こんな親心的な円満退所となったのだと思います。

FAITH MUSIC ENTERTAINMENT様、これからのご発展と所属アーティストさんのご活躍を心よりお祈り申しあげます。

涙ぐましいほどエレファントカシマシの宮本浩次のファンなんだ…

昨夜(2019年2月19日)は、今年2度目?のスーパームーンが観れる日。と、いうことで期待していたのですが、生憎の雨空でした。夜半過ぎには見えた地域もあったようですが、雑務に追われそのまま就寝してしまいました。

でも、今朝のウォーキングの時にスーパームーンをお見送りいたしましたよ(笑)

夜に観えたとしても高く昇ってきて、良く観えるころには小さくなっていたと思うのですが、戻っていく月は再び大きくひときわ輝きも強く…幻想的でした。

 

さて、直近に発売された音楽誌2冊を読み終えたので、感じたことを少しだけ記しておこうと思います。※発売されたばかりの雑誌なので内容の詳細は書きません。

今回の表題には記事で語った内容からつけてみた。

雑誌には宮本浩次が30年以上の年月日々を、エレファントカシマシ宮本浩次として過ごしてきたということからの解放を堰を切ったように話していた。

それが、一人のミュージシャン宮本浩次としての第一歩。

JAPAN 2月号で「ソロの始まりについて語る」というインタビュー記事が出たけど、そこにはエレファントカシマシへの展望展開、宮本浩次の未来へのビジョンについては特に語られなかった。

発売前のブログに私はこう記していた。

yumcha-elekashi.hatenadiary.com

そして、読み終わった後の感想が…

yumcha-elekashi.hatenadiary.com

こんな感じでした。

宮本浩次が言っていた、四六時中エレファントカシマシ宮本浩次だった。私はその宮本浩次が四六時中好きだ。と、いうことです。きっと、他のエレファントカシマシのファンも寝ても覚めてもエレファントカシマシ、そしてエレファントカシマシ宮本浩次のファンだと、いう人が多いはずですよね。

今回の雑誌インタビューでは改めてソロに向けての気持ちや活動の一端を経験したメンバーの様子、自身のエレファントカシマシへの展望?などにも触れられていて、ずっと自分だけの憶測だった部分が少し明解になった気がします。

“MUSICA”を読み終えた直後のつぶやき…

MUSICA読み終わった。 ようやく、ソロ活動の先に新しい“エレファントカシマシ”への期待が込められている言葉が出ていて、スッとしたよ。

21:59 - 2019年2月16日

MUSICA(ムジカ) 2019年 03 月号 [雑誌]

MUSICA(ムジカ) 2019年 03 月号 [雑誌]

 

 “CUT”を読み終えた直後のつぶやき… 

CUT読み終わり!MUSICAと重なる部分もあるけど、よりいろんなことが宮本の口から明解に語られていて、自分の思っていた事と繋がって…そうだねぇ、安心したというか(別に不安ではなかったから)ちゃんと知ることができてよかった。「うん、だよね」っていう感じ。

8:55 - 2019年2月20日

Cut 2019年 03 月号 [雑誌]

Cut 2019年 03 月号 [雑誌]

 

ソロになってもう、エレファントカシマシ宮本浩次ではなくなる…という、わけでは全くないがソロはあくまでソロ活動。

エレファントカシマシではやらないできない曲で歌う事の挑戦。それがバンドに戻った時にどう反映するのかなんて、予測不能なのだ。

ただ、歩み始めたことがけしてマイナスに作用することはないそういう自信に満ちた、非常に前向きなインタビューだったと思う。ビジョンがはっきりしてくるまでにはまだまだ始まったばかり、ソロ宮本浩次の魅力が全開にもまだまだなっていないと私は思っている。

 

一人になってもついて来させてほしい(笑)
まぁ、勝手についていくか(笑)

 

それから、2誌読み終えて改めて感じたこと。

普段のしゃべり言葉というのは相手によって変わってくることはあるけど、基本的に宮本浩次の話し方、言葉はそこにはきちんとした礼節が備わっている。言葉使いや言葉選びというのは読書した分、言葉を仕事や生活の中で多く取り入れてきた分長けてくるかもしれないけど、育ちというものもにじみ出ている。

付き合う人との会話とか好きな人の言い回しとかからも影響をうけるから、私は善き人と関わるというのは自分にとってとてもプラスだな…そんなことをこの20年位で学んだ気がします。そして、これからも自らを律しながらコミュニケーションを取っていきたいと思う。

大げさだけど私はこうしてブログもやっているから…エレファントカシマシ宮本浩次、他にもキレイな言葉を教えてくれたアーティストのファンとして、恥ずかしくない話し方、言葉遣いは心がけたいと思った(雑誌なのに辞書引き引き読んだからw)。

【東京の空③】日本武道館

ブログをあげるのに久しぶりに「東京の空」のこの章を読んだ。

初めての武道館公演は1991年1月の新春「日本武道館3000席ライブ」です。私は同年3月に出産予定の長男を身ごもってました(笑)エレファントカシマシの“エ”の字もない頃です。

当時は「日本武道館」というものに思い入れもなかったと語られていて、適当な会場が取れず、当時のマネージャー綾部和夫氏からの武道館で3000席使ってやろう!と、いう斬新な提案で行われたという。

とがりまくっていた時代のエレカシでしたから、「武道館?だからどうした!」みたいな感じだったようです(笑)インタビューでは抑え気味で回想していますが、当時は割と荒れていたとは思いますけど。

その後、「今宵の月のように」がヒットしたことをきっかけに、再び武道館公演そしていきなり2days!動員が一気に増え満席にすることはできた。だけど、それが逆に「この状態を維持して行けるのか?」と、いう恐怖にも変わったとの事。その後、数年間は武道館公演を2daysでやったけれども次第に動員数が減ってきて、2001年の新春を最後に2009年の4月まで行われなかった。

今年の武道館新春LIVEの日記にも記したけど、やはり宮本浩次にとって日本武道館とは憧れの場所というものではなく、伏魔殿のようなイメージだったのかもしれません。

さて、私にとってのエレファントカシマシ日本武道館LIVEはその2009年4月から始まった。宮本浩次にとっても再びあの頃の緊張がよぎる瞬間だったのかもしれない。

武道館で再び新春LIVEが行われたのは2011年。

2012年は震災の影響で取れなかったのかな?2013年は活動休止中。2014年はさいたまスーパーアリーナ。2016年は東京国際フォーラム大阪フェスティバルホール各2days、2018年はNHKホール、大阪フェスティバルホール

2011年以降の新春も武道館でやっていない年もありますが、それには売れなくなったからという要素はまったくない。意味があっての会場選びだったということがわかる。

宮本浩次にとって日本武道館は自分のアーティストとしての力量を計る、そんな場所でもあるが、30周年ツアーを機に「もう大丈夫」という自信もついたから、逆に武道館という伏魔殿を恐れることはもう無くなっただろうと想像します。

そして、これからも「新春は武道館」という形をとるかとらないかも、もはやそういう縛りからも解き放たれたかもしれない。

 

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宮本浩次(エレファントカシマシ)『東京の空』

宮本浩次(エレファントカシマシ)『東京の空』

 

 

【宮本三十三景其の①】「公団赤羽台団地」

公団赤羽台団地へはファンになりたてのころ2回行ったきりです。初めて行ったのは2010年の7月でした。

扉の向こう [DVD]」を観ていたので、映し出された辺りだったところと気づき、「桜の花、舞い上がる道を」のロケ地もみつけた。と、いう感じでした。

その次は同年10月にエレ友さんと一緒に行ってました。

その後は団地のあたりには行くこともなく、2010年の野音の日にエレ友さんとデアで待ち合せ…し、25周年のたまアリライブのあとの打ち上げが赤羽駅前の居酒屋。数年後となる最近赤羽には2回行ったかな?紅白の出場が決まった時と赤羽駅の発車メロディに「今宵の月のように」と「俺たちの明日」が決まって、それを記念した無料イベントに行った時。

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北区や赤羽に格別な思い出もないし、エレファントカシマシの縁の土地という他に訪れる目的がみつからなくて、それって大切な人の思い出の地にヅカヅカと行くようで、なんとなく行く気になれないでいます。

今もメンバーが訪れたり住んでいたりするのかはわからないけど、もしそうだったら尚のこと行ってはいけない気持ちになるんですよね。

そんな数少ない赤羽訪問ですので…。

 2010年07月13日19:43

気がついたら京浜東北線に乗ってた。 駅についてもどうしていいのやら・・・とりあえず改札を出て思いつくキーワードを探す。

イトーヨーカドーがあったな?そこに行ってみると、何かに導かれるように足が・・・赤羽団地のある赤羽台に・・・ 動画で見た事のある光景が目に飛び込む・・・。

赤羽トンネル・・・そして、団地に続く階段・・・。

上りきって迷わず左側へ歩みを進めると、そこには「桜の花、舞い上がる道を」のPVで使われたロケ現場が・・・

こんなにも簡単に見つかるとは!

 雨の赤羽団地は静かで、近くで水泳指導をしている声が聞こえたり、カラスが「カァー」と鳴くくらい。私の足音も響いていた・・・。

「雨の日に」って曲こういう風景なんだね・・・。もっと、写メを撮りに団地の奥まで行ってもよかったが、 何故か「今日はこの辺でいいだろ?」と、誰かが囁いたような気がして私の足は元来た道を戻っていた・・・

団地のベランダには雨降りだというのに洗濯物も干されていたり・・・

PVには映っていなかった、新しい建物も建っていたり・・・児童公園の遊具が草むら越しに見えたり・・・。

私は傷だらけの旅人だったんだな・・・たぶんね・・・そんな感じだ。

東京はかつて木々と川の地平線・・・
武蔵野の坂の上 歩いた二人・・・

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ミヤジの生まれ育った街、北区赤羽は、そんな武蔵野台地にかかっている。荒川に程近く、川向こうは埼玉県。彼が暮らした団地は小高い丘になっていて、坂道があるようなところ。

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まだ、エレファントカシマシをよく知らない頃、一度だけ赤羽団地を訪れ歩いた事がある。母の知り合いが赤羽台団地の“スター棟”に住んでいて、会いに行きたいというので車で連れて行ったのです。今思うと、訪れたのは日曜の午後だったのに、静かなところだった。 雨が降っていたのも覚えています。たぶん、ミヤジが子供の頃にはもっとにぎやかで子供達の騒ぐ声が沢山聞こえただろうな・・・そんな事を思った。高度経済成長の頃には、団地と言うものが夢の住まいで沢山の若い家族達が入居し、そこで子供を生み育てていたと想像できる。ミヤジはそこで、恋もしていたのだろう・・・。

 2010年10月02日16:54

この丘に立つのは2度目、前回は雨の降りしきる日で・・・やっぱ、私の心は落ち込んでましたね・・・(苦笑)

で、今回も・・・でも、空は憂鬱なくらい蒼く晴れ渡り・・・(笑)でも、今日は一人ではなく優しい妹分が一緒にいてくれて・・・ 本当に癒されました・・・。

昨日はミヤジが歌った「坂を上って、商店街を抜けたら・・・」の 舞台となった?通りまで連れて行ってもらいました。

商店街のシャッターはほとんど下りてました。
かつては賑やかであっただろう・・・私の子供のころ育った街の商店街は今はもうないけど、かつて賑やかだったように・・・。

郷愁を誘うそんな風景・・・歩いていると「動物公園」を通り過ぎながら、仕事の話、人間関係・・・まぁ、ほんと色々話したね。

私とRちゃんを繋いでいるのは「エレカシ」でエレカシがいなかったらこんな風に私が元気付けられる事もなく・・・ありがたいな・・・って、二人で丘から街を見下ろせるベンチに腰掛けながら。

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mixi時代の懐かしい日記でした。探し出すのに時間がかかった…(笑)記憶もあいまいになって来ていたのでスッキリしました!2010年は色々悩み多き年だったんだな…などということもわかりました(笑)

最近は“せんべろ”できる街ということや、人が暮らすのに便利の良い商店街や人とのふれあい人情味にあふれるところとして、住みたい街の1位に輝いています。

一度くらい夜の赤羽の商店街回りながら思う存分飲んでみたい気もします! 

エレファントカシマシ新春ライブ2019年武道館@1月18日(金)

東京2日目・新春ライブ最終日

エレファントカシマシの新春ライブ武道館。

武道館に「月」なんて粋な!(笑)

16日水曜日は南西2階のお席でしたが、18日金曜日は南スタンドの2階でした。 ほゞほぼ正面。この日も目の前に柵があってスタンディングしても怖くはなさそうでしたが(笑)ファインティングマン以外は着席して聴きました。


1月16日(水)の感想はこちらです。

yumcha-elekashi.hatenadiary.com

18日はこれがまた16日とガラッと印象が違っていました。

16日の新春を有機体、不純物ゼロ」エレカシって表現しました。ところが18日のエレカシ有機体、取扱注意」エレカシでした(笑)

16日は感情を抑えたライブだなぁと感じました。

18日は1曲目の「脱コミュニケーション」2曲目「Wake Up」のフィニッシュでギターぶん投げる、珍奇男でギタートラブルがあって放り投げる…。と、少々苛立ち紛れな雰囲気が漂っていた。

珍奇男のアコギからストラトにチェンジするお馴染みのところで、ストラトの音がでなかった…これは予期せぬ事態ではあったでしょうけど、序盤から宮本の雰囲気はピリピリしていた。

ピリピリしているのかと思わせておいて、16日には見せなかった合いの手をレクチャーして見せたり、手拍子を要求したり(笑)お客さんとコミュニケーションとってるし…ようわからん。

16日との違いを見せるための演出的なものなのか?

「俺たちは何も変わってないぜ?」

そんな風に言ってるような…しかし、脱コミュニケーション Wake Upでギター(タンゲマン)を放り投げるとは…Twitterの目撃者によるとネックから折れていたとか…。

ネックから折れた…ソフトバンクの野武士姿を思い出したよ。あの背中に背負ってたギターネック…あれはタンゲマンのネック…イヤ違いますけどねアコギのギターネックでしたから(笑)

セトリ

第一部

01. 脱コミュニケーション
02. Wake Up
03. 新しい季節へキミと
04. 星の砂
05. 悲しみの果て
06. ワインディングロード
07. リッスントゥザミュージック
08. 昔の侍
09. 大地のシンフォニー
10. 絆
11. too fine life
12. 珍奇男(やり直し有)
13. 今をかきならせ
14. 風に吹かれて
15. 桜の花、舞い上がる道を
16. 笑顔の未来へ
17. ズレてる方がいい
18. 俺たちの明日
19. マボロシ
20. 朝
21. 悪魔メフィスト

第二部

22. Easy Go
23. デーデ
24. かけだす男
25. 旅立ちの朝
26. 風と共に
27. 風
28. 四月の風
29. so many people
30. 今宵の月のように

アンコール

31. ファイティングマン

セトリはこんな感じでした。

珍奇男のやり直しがあったからアンコール曲は1曲になったかも…ただ、新春4日間のうち最終日に「風と共に」を入れてきた。

「風と共に」では遠目からでも泣いてるとわかった。どんな感情があったというの?

風と共に、風、四月の風で「風」3部作か…風と共に自由に旅立とうとしているけど、結局は元の場所に巡り戻ってくるだけなのかな?これで本当にいいのかな?でも、この風が誘いにくるとじっとしていられない気持ちの方が勝るんだよ…何かいいことがあったら、また皆に届けたいと思っているからさ!

「旅立ちの朝」からの「風と共に」の流れはとてもいいなぁ!って思う。好きです。この流れの中で宮本の中にこみ上げる何かがあったんだろうなぁ?そんなことを考えました。

「今をかきならせ」のあとワンフレーズだけ「花男」を歌ってくれた。

「風に吹かれて」は新春バージョン(金原さん、笠原さん、村山さん、みきおさん)で披露。

個人的には、四月の風、絆、桜の花舞い上がる道を…かけだす男、風と共に…はツボでした!


私がライブで初めてエレカシに会えたのは、2009年の4月の桜の花舞い上がる武道館でした。

四月の風に吹かれて桜の花びらがヒラヒラ舞っていました。このライブには当時18歳の長男と一緒に行きました。その事とその長男が布団の中で「絆」をよく歌っていることを、ミヤジがテレビ出演していた時の番組にメッセージし読んでもらえたことがありました。その時、ミヤジが

「僕も高校生の時、試験前なのに布団の中で歌詞ばかり考えて書いてました。」

と、教えてくれたのを思い出しました(笑)

「かけだす男」は単純に大好きな曲(笑)

「風と共に」は大切なフォロワーさんとの繋がりのある曲だし、長男がこの曲が大好きで自転車通勤の時に「風と共に」が流れてくると涙が出てくる、がんばろう!って思うんだよ。って言ってたくらいそんな思い入れのある曲です。なので「風と共に」の感想をファンレターに書いて送りました。

…この5曲だけで私のMEMORY、HISTORYが集約されている!その他の曲もこじつければいろいろ思い出深い…エレカシの曲は自分の生活にあてはめることのできる大切な宝物。

そこに今回はLIVE初聴きの「マボロシ」が感慨深い曲となりました。

一部のマボロシ、朝、悪魔メフィストの流れは本当に美しい物語になっているなぁって感動しました。『ファウスト』に出てくるシーンに感じます。

その一部の後半3曲と二部の風三部作から、宮本浩次がソロとしても活動をすることに、一寸の不安もあることがこの流れからも読み取れる気がしました。

まぁ、本当のところはわからないけど、ソロに関する雑誌のインタビューとか読んだことを総合してそう感じたんですけどね。

 

私の新春2days…この先の予定…音沙汰のないことなんて、エレカシあるあるで慣れっこですけど、2019年のエレファントカシマシほど予想不可能な年はないな。

また訪れた…「待つ女」状態(笑)これもまた懐かしい感覚。でも、今のエレカシのプロモスタッフのことだから、意外と早く何か情報くれるかもね(笑)