また、あした…

私が好きな音楽のことを綴るブログ

【宮本三十三景其の③】「静勝寺」

「宮本三十三景」の散歩シリーズを復活させて、まだ行った事のない場所をピックアップしている中で見つけた。


『静勝寺』ここへもまだ行った事がありませんでした。

令和元年!最初のブログ記事はこの“静勝寺”についてです。

 

宮本浩次の地元、北区赤羽にあります。どこにでも地元の神社や寺院ってあるので、この静勝寺にどういう由来があるのか?なんて、宮本浩次が紹介しなければ絶対に訪れないし、知る由もないからいろいろ調べていていろんなことに繋がっていて、本当に楽しいし面白いなぁって思いました!

“静勝寺”赤羽駅から徒歩4分、赤羽台団地から東南に位置(地図参照)する丘陵にあります。この丘陵一帯には室町時代頃に「稲付城」というお城があったようです。

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太田道灌”という人が、この静勝寺のあるこの丘陵に『稲付城』を城築した記録があり、静勝寺に参るまでの石段のところには「稲付城跡」の石碑があります。

稲付城自体は廃城となっているので今はありません。道灌の死後この場を静勝寺として建立したようです。

清勝寺境内の一角に太田道灌の木像が安置してあるお堂があって、毎月月命日の26日に開帳されているようです。太田道灌は戦国時代の江戸氏という人の領地(皇居周辺)に(後の江戸城の基礎となる)、城を築城した人でもあります。

ちなみにこの日(訪れたのは令和元年5月3日)は、野良ネコちゃんには出くわしませんでしたが(笑)見学に来てる人、お参りに来る人など数名の人と出くわしました。閑静な住宅街の中ですのでお参り散歩するにはとても良い場所です。

 

さて、私は令和元年5月1日に埼玉県川越市まで日帰り旅行をしました。

この川越には太田道灌と道灌の父(道真)の城築した「川越城本丸御殿」があります。

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この川越城の城主でもあった太田父子のことは、のちに出す宮本三十三景の場所とも縁が深くて更に興味深く面白いです。

また、エレファントカシマシが主題歌(ズレてる方がいい(初回限定盤)(DVD付))を歌った映画『のぼうの城 』は、埼玉県行田市にある「忍城」がモデルになっていたと思います。

この“忍城”の成り立ちは割愛します(“のぼうの城”を観ましょうw)。忍城の城主は成田氏ですが、その経緯の中で太田道灌の仲介があり城主になれたと残っています。

 

どうでしょう?ざっくりとした内容になってしまいますが、地元の小さなお寺からここまででも調べ進めると、いろいろなつながりなどもわかって非常に面白い!と、思いませんか?

 

 

正午向嶋…私の徒然『新・正午浅草荷風小伝』を観て

2019年4月24日(水)『新・正午浅草荷風小伝』を観劇しました。

www.gekidanmingei.co.jp

このブログ内でも永井荷風をカテゴリーにしていくつか記事があります。

永井荷風に絡めた記事を記す理由も既出してますが、改めてお話ししますと…。

エレファントカシマシ宮本浩次永井荷風のファンで会ったという事から、調べていくうちに永井荷風が晩年、私の暮らしている街の辺りを気に入り心のよりどころにしていたことがわかり、小説『濹東(ぼくとう)綺譚 (岩波文庫)』がその舞台であると知り、『日和下駄 (講談社文芸文庫)』や『永井荷風という生き方 (集英社新書)』を買って読み…いつしか自分の興味関心になっていきました。

エレファントカシマシの宮本がどういう過程で永井荷風のファンになったか?それはわからないのだけど、彼は森鴎外の熱烈なファンでもあって永井荷風森鴎外を師と仰いでらしたので、その関連から荷風を知り荷風の魅力にも魅せられたのかしら?と思った。

かつて雑誌で紹介された宮本浩次の部屋には永井荷風の写真が飾られている。

 

さて、『新・正午浅草荷風小伝』ですがネットのリサーチ力のたまものか?私の好きそうな情報を広告で知らせてくれる。その中にこの観劇のチケット情報があがってきた。

私はお芝居というものを自ら進んで観に行ったことがない。よしもと新喜劇くらいです(笑)あとはお友達のお誘いで宝塚を数作品、黒栁徹子さんの「想い出カルテット」を観たことあるくらいです。それが初めて自ら観に行きたい!と、思いチケットを購入したのがこの『新・正午浅草荷風小伝』でした。

お芝居の舞台は荷風が晩年暮らした千葉県八幡の家での回想シーンですが、我が街に足を運んでいた場面も登場すると知ったからです。題名にもある「浅草」も私の散歩圏内。本を読んでその場所を廻ったりしますが、お芝居を通して観た時にまるで本物の荷風が現れ、その思い出の土地を語っているように見えて…どんな思いで下町を訪れていたのか?その機微の部分がリアルにつたわった思いがしました。

もちろん荷風の肉声は聞いたことはありませんが、きっとこんな風にお話しをし声をしていたのでは?と感じるほどでした。演じられた水谷貞夫氏は御年84歳、劇中の荷風は40代頃から亡くなるまで(79歳)の年齢。当時の79歳と現在の84歳はあまり変わらない気もして、荷風の雰囲気というものが画として見ることができたのは嬉しかったです。

ストーリーは二人の女性を中心に展開された。荷風のお妾だったという元新橋の芸子「お歌」、『濹東綺譚』に出てくる玉ノ井の娼婦「お雪」。この二人の女性の境遇と立場の違いから、荷風の中にある“女性像”というものが二種類対極に存在しそれが、真実味のある女の実態として如実に表わされていたと感じた。

その実態を知った時、荷風にとって女性というのは常にそばに居て欲しい者ではなく、「理想」の女性のままで存在してほしかったのだろう。そして、都合よく逃げ込める心地よい場所であってほしく、実際そうであったのだと思う。

最後、キャストの皆さんが登場し荷風を演じた水谷氏が出てきた瞬間、私の眼には涙が溢れた。お芝居を観て泣くなんて思いもしなかったので、自分でも驚いた…。正直、永井荷風の「断腸亭日乗」も読んでいないし、小説も「濹東綺譚」しか読んでおらず、もっぱら永井荷風の生きた軌跡に魅力を感じているだけの“にわか”にしかすぎない私が何故でしょうね…。

たぶん、人間の本質的な部分に魅力を感じてきたことや、その人間味という部分では冒頭で紹介した、私が大ファンのエレファントカシマシ宮本浩次と重なる部分を見出したからだと思います(歳を数えで言ってしまうとか、馴染みの女性の家に行っても泊まらず必ず帰宅するとか、そういう細かい部分も)。

 

彼は若い頃に作った『道』や『歴史』歌の中で「死にざまこそが生き様」と歌っている。劇中の荷風の台詞に

「生まれ方は選べない。人の手を借りなければできないけれども、死に方は選べるから」と、「鴎外先生の命日と同じは無理でも同じ“9”の付く日に死にたいなぁ」と、記者に話すシーンがあった。

私ももうじき53歳になります。プレ終活期に入ったと思ってます。荷風がやりたいことをやり始めた年頃と同じです。そして、そのやりたいことを52歳でやりはじめた宮本浩次とますます被って見えてしまったのです。

大きなことはできませんけれども私もできるだけやってみよう!行ってみよう!と思った事は行動に移していける生き方をこれからはしようと思っています。

まずはこのブログ記事でも記した通り、荷風ゆかりの場所を散策することがちょっとしたライフワークになるかと思ってます。

yumcha-elekashi.hatenadiary.com


この本を参考にしながら巡るつもりでおります。

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そして、ゆくゆくは終焉の地、八幡へも足を運べたらと調べものをゆっくりペースでやっております(笑)

いろいろな巡り合わせでこのお芝居とも出逢って、自分のこれからというものを再確認できるきっかけの良いお芝居でした。

「新・正午浅草―荷風小伝」 を観劇後、帰ってきてから早速、この本を開いてみる。お芝居の舞台となっている場所、晩年の荷風の様子がわかる一冊「荷風極楽」。

劇中にも出てくる、身の回りの世話をしてもらっていた女性がいるのですが本の最後の方に、荷風の葬儀後に撮られた関係者の集合写真が納められていて、そこにその方も写っていました。 その女性が荷風の遺体の第一発見者でした。

八幡編はこの「荷風極楽」が基本となりそうです。

 

 

 

 

東京『江戸』からまんまで…

2010年01月21日21:10

テレビCMが流れるたびに気になっておりました、Deagostiniから発刊された、 週刊「江戸」創刊号を入手してまいりましたよぉ~~~ん。

時代劇は嫌いな方ではないので、なんとなくワクワクしながら読んで みたいと思っております。

今、私の頭ん中では・・・いつか『浅草から江戸東京博物館に皆で行こう!』 そんなオフ会ができたらいいなー・・・などと思っております もちろん、ここは・・・夜の部もありってことでw 実現するかどうかはわかりませんが、そんな時は是非、ご参加下さいませ(笑)

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2012年11月02日 19:51

『東京』を知る上で欠かせないのは、まず“江戸”を知ることです。そう、教えてくれたのは宮本浩次

宮本が自分の足で探求した『東京』は実に参考になるし、私の好奇心をくすぐるのに十分なくらい魅力的であった。

ある日・・・2年前くらいかなぁ、ディアゴスティーニから「週刊江戸」っていう冊子が創刊になっちゃって(笑)私は全巻集めちゃおうかな?とか思ったくらいに、購買欲をかきたてましたわ。

でも、結局はNo.3までしか買わなかったけど しかし、これは買ってよかったなぁって思いました。ミヤジが東京と江戸について色々と語るときの話(赤本とか)で、あとで検証できたり絵で解説されていたりするので、イメージが湧きやすいですしね。昔、江戸城(皇居)の周りは海だったとか・・・中学の歴史か何かで習ったかもですが私も独自でいろいろ調べてる中、再確認ができてですねホント楽しいものです。

神田のあたりは山だったとか、日比谷は入江だったとか・・・。ミヤジも言っていた、江戸の町は京都の町が手本になっているとか。私でもよくわかる内容だったからお買い得だったなぁって思います。

こうやって文章にする時も読み始めちゃって、なかなか先に進まないという💦3号までしか買っていませんが、これからでもまた増やそうかな・・・っていうか、読んでみたい号もあれば、そんなに興味のない号もあったりするのですが、ボチボチ揃えちゃおうかと・・・わりと私も収集癖があるので

2018年9月19日(水) 

そういえばブログにあげてなかったから記憶を遡りつつ…(笑)

エレ友さんといつか一緒にいければなぁ…と、思っていた「江戸東京博物館 」に去年の9月に行っておりました。

と、いうかこの博物館へは気になる特別展があると行ってましたが、実は常設展示は観たことがありませんでした。

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この日は『東京150年』という記念の企画展が模様されていたので、これを観に行った流れで常設も観てきました。

1868年(慶応4年)江戸が東京と改められ“東京府”が設置されてから、明治・大正・昭和…その間に巻き起こった、関東大震災からの帝都復興計画、第二次世界大戦から戦災復興そして、東京オリンピックをきっかけに東京は近代都市として目覚ましい発展をしていく…。

歴史と共に変わりゆく東京の姿を当時の地図や写真などを通して、東京の150年を振り返る内容でした。

www.edo-tokyo-museum.or.jp

常設展示はその東京の移り変わりが復元された建造物などによって、よりリアルに体験できます。

まず、中に入ると最初に『江戸城と町割り_日本橋』ということで、東京の中心となる“日本橋”の実寸大が出迎えてくれます。日本橋の上から下(5F)をみると左が江戸時代の右が明治の街のシンボルがあります。

江戸時代は「明治座」の建物が再現されていて、江戸時代の庶民の楽しみ暮らしぶりがジオラマ等で観ることができます。

明治時代は「朝野新聞社」の建物が再現されています。文明開化と呼ばれたとおり西洋文化が取り入れられた街の様子を見ることができます。

これは江戸城の本丸。

将軍に謁見するための白書院から忠臣蔵の「赤穂事件」でおなじみの松の廊下、大広間までを再建時の図面をもとに復元した建物の模型です。

こんな感じに時代ごとの建物、庶民の暮らし商業などが紹介されています。もちろんブログでは紹介しきれないのでここで一つポイントとして…

昭和30年頃から始まる高度経済成長の時に、住宅不足の解消のために急速に建ち始めた、『団地』の1室を再現したものがこちら。

これは西東京市にあった「ひばりが丘団地」を復元したものです。

エレファントカシマシ宮本浩次が育ち暮らしていた、赤羽台団地もこんな雰囲気だったと思います。

2年前の週刊文春に連載されている「新 家の履歴書」のコーナーに、宮本浩次が育った部屋の間取り図が載っていて 、だいたいこんな感じなのかなぁって思いながら見てきました。

週刊文春 2017年 3/30 号 [雑誌]

週刊文春 2017年 3/30 号 [雑誌]

 

江戸から東京…宮本浩次が東京に対する自己同一化を探求していた時代。

彼が自分の足で見て回った東京の街並みと照らし合わせた東京の歴史。それとは一線を引くものではあるけど、この博物館にくるとバーチャルにそれを体感できるので、楽しい場所だとおもいました。

そして、私も生まれてから東京という街で育ち暮らしてきたけど、知らないことが多く知りたい事も沢山見つけられたことが嬉しかった。

【宮本三十三景其の①】「公団赤羽台団地」

公団赤羽台団地へはファンになりたてのころ2回行ったきりです。初めて行ったのは2010年の7月でした。

扉の向こう [DVD]」を観ていたので、映し出された辺りだったところと気づき、「桜の花、舞い上がる道を」のロケ地もみつけた。と、いう感じでした。

その次は同年10月にエレ友さんと一緒に行ってました。

その後は団地のあたりには行くこともなく、2010年の野音の日にエレ友さんとデアで待ち合せ…し、25周年のたまアリライブのあとの打ち上げが赤羽駅前の居酒屋。数年後となる最近赤羽には2回行ったかな?紅白の出場が決まった時と赤羽駅の発車メロディに「今宵の月のように」と「俺たちの明日」が決まって、それを記念した無料イベントに行った時。

yumcha-elekashi.hatenadiary.com

北区や赤羽に格別な思い出もないし、エレファントカシマシの縁の土地という他に訪れる目的がみつからなくて、それって大切な人の思い出の地にヅカヅカと行くようで、なんとなく行く気になれないでいます。

今もメンバーが訪れたり住んでいたりするのかはわからないけど、もしそうだったら尚のこと行ってはいけない気持ちになるんですよね。

そんな数少ない赤羽訪問ですので…。

 2010年07月13日19:43

気がついたら京浜東北線に乗ってた。 駅についてもどうしていいのやら・・・とりあえず改札を出て思いつくキーワードを探す。

イトーヨーカドーがあったな?そこに行ってみると、何かに導かれるように足が・・・赤羽団地のある赤羽台に・・・ 動画で見た事のある光景が目に飛び込む・・・。

赤羽トンネル・・・そして、団地に続く階段・・・。

上りきって迷わず左側へ歩みを進めると、そこには「桜の花、舞い上がる道を」のPVで使われたロケ現場が・・・

こんなにも簡単に見つかるとは!

 雨の赤羽団地は静かで、近くで水泳指導をしている声が聞こえたり、カラスが「カァー」と鳴くくらい。私の足音も響いていた・・・。

「雨の日に」って曲こういう風景なんだね・・・。もっと、写メを撮りに団地の奥まで行ってもよかったが、 何故か「今日はこの辺でいいだろ?」と、誰かが囁いたような気がして私の足は元来た道を戻っていた・・・

団地のベランダには雨降りだというのに洗濯物も干されていたり・・・

PVには映っていなかった、新しい建物も建っていたり・・・児童公園の遊具が草むら越しに見えたり・・・。

私は傷だらけの旅人だったんだな・・・たぶんね・・・そんな感じだ。

東京はかつて木々と川の地平線・・・
武蔵野の坂の上 歩いた二人・・・

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ミヤジの生まれ育った街、北区赤羽は、そんな武蔵野台地にかかっている。荒川に程近く、川向こうは埼玉県。彼が暮らした団地は小高い丘になっていて、坂道があるようなところ。

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まだ、エレファントカシマシをよく知らない頃、一度だけ赤羽団地を訪れ歩いた事がある。母の知り合いが赤羽台団地の“スター棟”に住んでいて、会いに行きたいというので車で連れて行ったのです。今思うと、訪れたのは日曜の午後だったのに、静かなところだった。 雨が降っていたのも覚えています。たぶん、ミヤジが子供の頃にはもっとにぎやかで子供達の騒ぐ声が沢山聞こえただろうな・・・そんな事を思った。高度経済成長の頃には、団地と言うものが夢の住まいで沢山の若い家族達が入居し、そこで子供を生み育てていたと想像できる。ミヤジはそこで、恋もしていたのだろう・・・。

 2010年10月02日16:54

この丘に立つのは2度目、前回は雨の降りしきる日で・・・やっぱ、私の心は落ち込んでましたね・・・(苦笑)

で、今回も・・・でも、空は憂鬱なくらい蒼く晴れ渡り・・・(笑)でも、今日は一人ではなく優しい妹分が一緒にいてくれて・・・ 本当に癒されました・・・。

昨日はミヤジが歌った「坂を上って、商店街を抜けたら・・・」の 舞台となった?通りまで連れて行ってもらいました。

商店街のシャッターはほとんど下りてました。
かつては賑やかであっただろう・・・私の子供のころ育った街の商店街は今はもうないけど、かつて賑やかだったように・・・。

郷愁を誘うそんな風景・・・歩いていると「動物公園」を通り過ぎながら、仕事の話、人間関係・・・まぁ、ほんと色々話したね。

私とRちゃんを繋いでいるのは「エレカシ」でエレカシがいなかったらこんな風に私が元気付けられる事もなく・・・ありがたいな・・・って、二人で丘から街を見下ろせるベンチに腰掛けながら。

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mixi時代の懐かしい日記でした。探し出すのに時間がかかった…(笑)記憶もあいまいになって来ていたのでスッキリしました!2010年は色々悩み多き年だったんだな…などということもわかりました(笑)

最近は“せんべろ”できる街ということや、人が暮らすのに便利の良い商店街や人とのふれあい人情味にあふれるところとして、住みたい街の1位に輝いています。

一度くらい夜の赤羽の商店街回りながら思う存分飲んでみたい気もします! 

さぁ、出かけようぜ!あなたの見た風景の場所へ

「明日に向かって歩け」宮本三十三景や「東京の空」の場所をめぐる散歩を2009年からはじめていて、いまだに貫通していません💦

まだ前ブログから引越しの済んでいない記事もありますが、行ってない場所でも11カ所くらい残っています。とりあえず制覇はしたいなぁとは思っているんですけどね…。

今も思い入れのある場所なのかもわからないな…って思ったら、ちょっとだけ間抜けなことしてる?って考え始めてやめてしまったんだよね。

でも、あと少しだし私が行ってみたいと思っているんだから行けばいい…そう思うようになってきてる。

そう思ったきっかけは宮本浩次Instagramをはじめたから。と、いうのも大きい。

別に散歩している写真とは限らない。仕事の途中だったり作業中だったり…なんか、そういう写真だと思う。新たなお気に入りの場所の写真があがるとは考えにくい。

最近は宮本が取材で行った場所を即座に特定して、訪れるファンも多くなってきているからプライベートで好きな場所などをあげることはないだろう。

だからこそ昔、彼が好んでいた場所を再び訪れてみたいと思った。

行けばその土地のこと歴史そんなことも合わせて調べてしまう。また、そこから何か波及することがあればその場所は私にとっても好きな場所になる可能性もあるからね。

それはとても素敵なことだと思います。

 

さて最近、考えることがある。

「散歩」と言えば“お弁当”宮本浩次エレファントカシマシが売れなかった頃、お母さんにお弁当を作ってもらって、散歩に出かけたという…。

ミヤジのお母さんはどんなお弁当を作ってくれたのだろう?ミヤジの好きなおかずはなんだったのかな?お弁当はどんな場所で食べたのだろう…?

 

仲間達はみんな君を指して
変わり者だとウワサして let you down
群れを出て ノケ者みたいに扱われた
君はアウトサイダー

Angel fly my angel fly
話し掛けてもいいかい?
Angel fly my angel fly
声をかけてもいいかい?

一緒にランチ食べよう
一緒にランチ食べようよ
安全な場所を探して

 

作詞作曲:佐野元春「エンジェル・フライ」

 

今はもう安全な場所など少ないけど、安全な場所を探してお弁当を食べるミヤジの横顔とか見てみたいなぁ…とか…ボーっと想像してしまう。

 

 

ともかく、記録した宮本三十三景の記事の引っ越しも再開しつつ、行っていない場所へ足を運ぼうと思います。

散歩はいいぜぇ~!今度は写真だ!

ソロプロジェクトが始まって、ソロだからこそやれる?今までにやっていない活動がいろいろと発表されて、ファンの間では戸惑いのような、歓迎のような…拒否のような…いろんな声をみかける。

そして、とうとう昨夜これを始めましたと!

www.instagram.com

私も写真日記のようにInstagramをやっている。
※そもそも、Instagramの意味が「写真日記」である(笑)

だから、やるわけないか…と、考えながらも「やったらいいのに」って思ってたインスタ。それを!するようになるとは!谷中さんの影響っすかね?(笑)

考えてもみたら「明日に向かって歩け!」の宮本三十三景の写真も「東京の空」に出しているポラロイド写真も宮本が撮影している(一部カメラマンの写真もある)。

ポラロイド写真には一言言葉が添えられていて、こういうことをするのは基本嫌いではないと思っていた。ただ、飽きっぽさで途中からはどうだったか?は、わからない(笑)

取材やコラムでやっていたことがInstagramという媒体になっただけだ。宮本も少なからず興味を持っていたと思うのが自然でしょう。意外でもなんでもない。ただ、何かのきっかけ後押しがあればやったというものだと思う。

谷中*1さんに背中を押された…と、思いたい(笑)

そして、宮本の更新が楽しみでならない。目に映ったものを写真と言葉で記録する。彼の見てる瞬間の一片を見れるなんてときめかないわけがないよ。

宮本浩次のソロサイトができた時にこんなことを書いた。

それからこのTOP画面の「宮本、散歩中。」のロゴデザインが椎名林檎さんとのコラボからのつながりで関係してることが匂ってくる。 このフォントが好きじゃない。宮本の直筆でいいじゃないか?椎名さんサイドの影響?っていうか、あのままならそのまま染まっとるだけじゃん。良さが全く出てないよね。久しぶりになんかモヤる。 バックに流れている写真も…宮本が撮った写真だというならいいけど、まぁそうじゃないよね?なんか…なんなの?中途半端。 ミヤジの撮った写真ならゴメン(笑) まぁ、いいや…もっとちゃんとやってくださいよ。miyamotohiroji.com

散歩はいいぜぇ~…プロジェクト始動! - ほゞ、エレカシ漬

ロゴのフォントが嫌い…最初はついてなかった「宮本、散歩中。」のロゴの近くに宮本の足跡&富士に太陽イラストが追加された(笑)。バックに流れている写真…云々。

「もっとちゃんとやってくださいよ」

これに応えてくれたと思う事にしようではないか!(笑)これがちゃんとやることかどうかは別として、あのサイトが会社のあつらえた場所であったとしても、宮本浩次の存在というか痕跡というか“自分の場所”として、模様替え自分彩にカスタマイズしていってほしい。

宮本浩次Instagramの方はフォローいたしましたし、写真があがってくれば「いいね」も押します。コメントはしないけど…しないと思う。よほどのことがなければ(笑)

一方通行でも繋がった感じはするね。私がインスタであげている写真の中にはミヤジの誕生日にコメント付けて贈っているものもあって、不思議な気持ちにもなる。私のインスタに辿り着くことはないと思っているけど(笑) ※全くやましいことはしてないから、バッチ来い!(笑)

2012年頃だったかな…「MASTERPEAS」ツアーの最中だったか?雨の中傘を差しながら革靴でジョギングしたり、自分をストイックに持って行こうとしていた…という話を読んだ。そして、そのあと耳の病気で【無期限活動休止】その時の私の日記には

“そろそろ「お散歩」の時間ですよ。”と、活動休止のことを表現した。

でも、この度のは活動休止したわけじゃなく、逆にソロ活動も追加したわけで、それを「散歩中」と称したことにポジティブな方向性で嬉しく思う。

写真撮って言葉を添えることは今後の創作活動に何かしらの良い材料になると考えるので、いろんな意味でもインスタの開設には喜んでおります!

 

 

【宮本三十三景其の⑦】「清水門」

 
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2012年11月19日 10:31の日記

皇居の中の“門”と言ってパッと思いつくのは・・・『桜田門』とか『大手門』とか・・・

コンサートで武道館へ訪れたことのある人なら、『田安門』とか思い浮かべるかもしれないですね。

赤本「明日に向かって歩け」で宮本が紹介しているのは、そう言ったメジャーな門ではありませんでした。

それは、『清水門』【国指定重要文化財という門。宮本がどういうわけでこの門に巡りついたのかはのちほど…。

寛永元年(1624)助役大名,浅野長晟により建てられた城門とのこと。

千代田区観光協会のHPによりますと…

寛永元年(1624)助役大名,浅野長晟により建てられた枡形の城門。扉釣具の銘には万治元年(1658)とあるが,これは江戸城の総曲輪の大工事を行ったついでにこの門を修復した年であると考えられています。
 門名については,昔この辺りに清水が湧き出ていた、また、古くはこの辺りに清水寺があったことから、その名をとって清水門と称したともいわれています。
 宝暦9年(1759)九代将軍家重の第二子重好をして,この門内に一家を創立させて門名にちなんで清水家と称しました。文久3年(1863)の本丸炎上の時には、将軍家茂と夫人親子(静寛院宮)は一時ここに移っていたといわれています。

 

なるほど、清水門へ向かう右手の濠は蓮池っぽくなっていて、清水が湧いていたのかも・・・と、思わせる雰囲気でした。濠の向こうには武道館の屋根が見えました。

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門をくぐると宮本が言うように雑草なども結構生い茂っていて、あまり手が加えられてうないところがあり、“ひっそりとした趣”という感じでしたが、わりと人の行き来が自由なせいか、庶民に親しまれている散歩道への【門】そんなふうにも感じられました。

と、いうのも門をぬけて上の方に上がっていくと、『科学技術館』などもあってそこへ訪れる人や職員なども利用しているかもしれません。

 

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以下、2018年9月30日追記

読んでお分かりの通り、宮本は神保町へ行ったその道すがらこの清水門へ訪れていたようですね。冒頭のマップをみてもお判りになりますが、神保町へ行ってそのあとブラブラ歩いてこの清水門に立ち寄り、武道館へ向かうのも良いかもしれません。

清水門へは3回位訪れました。皇居周辺を散歩した時、神保町へ行ったついでの時、エレ友さんを案内し連れて行った時。

最後に訪れてからかれこれ4年は経っていますので、今はどんなふうになっているだろう…。また、日本武道館へ行く機会があったら神保町から行くコースで訪れてみたいと思います。