ほゞ、エレカシ漬

私が好きなエレファントカシマシの事を軸に音楽のことを綴るブログ

名曲は絶望の縁で生まれる

変化や新しい試みに関して人は最初、激しい拒絶反応がある。意識してないだろうけど自分の中にある「あるべき論」が発動するのだろう。だけど、そんな個人的な期待や理想は時代が簡単に突き抜け、ありとあらゆる形に変化していく。変えたくないものは自分の中に鍵でもかけて持ってればいい。(2016年11月24日のつぶやき)

人は窮地に追い込まれると、「もはやこれまで」と言う。この本音がわりと世間に理解され、瞬く間に万民からの共感を得るものだ。

今日のLyric Speakerの曲がまさにこんな作品。

『悲しみの果て』はデビューから7年間在籍したエピックソニーから、契約を解除され事務所も解散という窮地に立ったエレカシがその頃、彼らが都内のLIVEハウスで活動をしていた時に生まれた曲。たまたま、次に在籍するレコード会社の人が聴きに来てて再デビューの声がかかったという。

冒頭に書いた一文。
この頃からエレファントカシマシ宮本浩次のLIVEパフォーマンスも変わり、この「悲しみの果て」もそれまでのエレカシ作品からテイストも少し変わってきていた。「悲しみの果て」が出来た頃のインタビューを読むと宮本の「変えていく」(厳密には戻していく)的な決心が読んでとれる。
異端児的な扱いでデビューしたけど、宮本自身は周りの若者と思う事や感じるベクトルは同じだった。けれども、ミュージシャンとして表現を少し芸術的にしたが故、なかなか理解されなかったと話している。それを“普通”に戻したくて生まれたのが「悲しみの果て」だった。しかしこの変貌ぶりにファンの中には激しい拒絶反応もあっただろう。宮本に言わせれば今までと根幹は変わっていない。やり方を変えただけなのに理解できる人はするけど、一部のファンはファンを辞めたわけではないけど少し距離を置いたのではないか?

しかし、ポニキャニに移籍してヒット曲を連発すると、彼らの選んだやり方は間違っておらず、新たなファンも取り込みジワジワと知名度を上げていった。

人なんて中身はそうそう変わるものじゃない。

デビューの頃の作品を求めるファンは多いけど、「無理なんだあの時だからできた曲を今作れと言われても…それはもうできない。」そう、語っていたこともある。ファンとは勝手なものでいつまでも自分が好きだった時のスタイルを求めてしまう。変化を恐れたり落胆してしまったりもする。宮本自身もキレイにマスタリングされた自分の曲に嫌悪感を抱き、ウォークマンを叩き壊したという話が残ってる。しかし、のちに“売れる”理由や意味がそのマスタリング技術にあったということに気づいたから、今日まで音楽活動ができているのだろう。

あらゆる可能性を試して、自分の作品に光を当てることがそんなに悪い事なのか?

ファンの好みに合わせたり、ヒット曲というしがらみにとらわれていたら生き残れない世界。宮本はそのことを十二分にわかっているだろう。やりたい音楽をやるだけではない。“売れる”ことが最大の目標なのだ。

ファンである自分も「好き」という気持ちは変わらず大事にもって、エレファントカシマシ宮本浩次の行く末を見守りたい。そんなことを思っている。

 

あ、ちなみにですが…

基本アナログ人間なので、ライナーノーツを読むの好き。知らない言葉があると調べるの好き。文字を拾っていると好きな人に伝えたい「言葉」も見つかる。

ありがとう と 
君に言えるのがうれしい
どこまでもいこう 時を越えて
君といつまでも

  大好きなあの人に伝えたい

 

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