宮本浩次が私にくれた楽しみ…③『散歩』編
散歩編「向島①」
きらかな夜には風露の蕭蕭と音する響を聞いて楽んだ。
これは『荷風随筆』の中にある・・・ 「向嶋」の章にあった一節。フランスから帰国した荷風がパリのセーヌ川の風景を隅田川に重ね合わせ、隅田川が江戸庶民ならず広く文化人に愛されていた川として紹介しています。
『荷風随筆』は、こちら『日和下駄』という散策記と一緒に掲載されています。
私は奇しくもこの本に登場する「向島」界隈を住み処としてます。なので、宮本から永井荷風に興味をもって色々と知るうちに自分に縁ある町に辿り着いて、ついにこの本を片手に現場検証するまでに至りました。
帯は破れ本にはシミも・・・ぞんざいな扱いになっておりますが・・・宮本が古地図片手に、現在のその場所に足を運んでいた時の楽しみに似た体験ができて、自分の住んでいる町に深い親しみと愛着を植え付けてもらいました。
また、この日和下駄を読んでいると、宮本もまた荷風の歩いた街並みをトレースしていることがわかるのです。
『明日に向かって歩け』通称、赤本を読むと荷風の歩いた皇居周辺の地名が沢山出てきて、赤本の中の本文や“宮本三十四景”にもその地名、風景が宮本の目線で描かれていて、私は荷風と宮本の軌跡をうっすらトレースしてるのです。
まぁ、その中でもとりわけ浅草、向島、本所、深川といった場所は私も四半世紀以上住んでいるので、とても興味が湧くし日常の生活の中にその風景が私の眼に映るのが、非常に感慨深いのであります。
この『向嶋』の章に“枕橋”という橋が登場し、旧水戸藩のお屋敷跡が近代的な公園になる計画のことが載っています。
この枕橋を渡った先に水戸藩邸跡があり、関東大震災で屋敷が全壊したのち復興事業として公園に生まれ変わり憩いの場となりました。
隅田公園に隣接したところに、小説「風立ちぬ」の著者である“堀辰雄”が幼少~中学(現在の高校)、結婚するまで住んでいた住居跡(案内板のみ)もあります。
宮本浩次は(おそらく創作活動の一端として始めた)散歩を楽しみ、そのことが私の散歩の楽しみにもなりました。何となく歩く散歩もいいけど、こうして何となく目的のある散歩していることは、自分にとって心身の糧になるものになっています。
そして、宮本が散歩をしたり古地図で東京をめぐって自分の故郷を探そうとしたように、私も東京・地元への愛着をみつけはじめたような気がします。
私の両親は信州の生まれ。東京育ちの人間は私からスタートしているから、私から東京の歴史が始まっているといえます。だから、宮本が東京の中で自分探しの散歩を始めてくれたことに、私は心から感謝しているのです。永井荷風を教えてくれて感謝しています。
宮本浩次に出会えて本当によかった。こころからありがとう。