また、あした…

私が好きな音楽のことを綴るブログ

【宮本三十三景其の⑰】「国立西洋美術館」

 

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 2012年08月19日 16:52の日記

今の私は描くことを忘れてしまったけど、幼児から10代の頃は絵を書く事が大好きでした。

子育ての手も離れ、描くことにはなかなか気持ちが動かないけれども、美術鑑賞はできるだけしたいなぁって思うようになりました。

そこで!ここへは気になる展示会があると訪れています!

しかし、宮本浩次が美術の分野にどれほど関心があるのかはわかりませんが、この美術館を設計した建物には、どうやら深い関心を抱いたようであります。

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建築設計者として*1ル・コルビュジエ氏(1887−1965)を起用し着工。昭和34年5月に設立しました。

宮本はこの設計士、ル・コルビュジエ氏のどこに魅力を感じたのか? 後に彼が設計した建物を観にフランスまで取材旅行に赴いています。

どうして建築家に興味をもったのか?

私の憶測でございますが・・・江戸から東京、第二次世界大戦後から現在の東京の街並みを象徴する“外来的”な建物への興味に端を発したのだと思うのです。

コルビュジエ氏だけではなく、それらに関わる建築家の歴史を掘り下げていくうちに、建築家の生き様への憧れからなんとなく・・・ 徒歩から自動車へ、火鉢に座布団から椅子へ・・・宮本なりの開国・・・鎖国からの開放につながったのかしら?などと思ったりしたのでした。

どうやら、このコルビュジエ氏との出会いはその“椅子”にあったようですね。宮本が椅子での生活を始める時に購入した椅子のデザイナーが、コルビュジエ氏だった。

コルビュジエ氏の設計した日本の建物は、この西洋美術館(本館)のみということですし・・・。それで、わざわざフランスまで行ってしまうのがすごいなぁ(笑)

さてさて、私はこの建物も所謂、一種の現代芸術の一つと考えておりますが、この美術館で開催される特別展などにも興味があります。

若い頃は常設されてる所蔵作品しか、見に来たことがありませんでしたけどね。

この国立西洋美術館の所蔵作品は、松方幸次郎という日本の実業家、川崎造船所の社長がヨーロッパから買い付けた芸術品(松方コレクション)370点を中心に、現在では絵画、彫刻、素描、版画、工芸など、およそ4,500点の作品が所蔵されているようです。

日本の浮世絵が海外へ渡って行ったように、日本人の美術品収集家によってヨーロッパ芸術が集められ、このように立派な国立西洋美術館として誕生できたんですよね。


ちなみに美術館内のレストラン「水蓮」は入館料無しで利用できます♡

食事はもちろん美味しいのですけど、全面ガラス張りの向こうに見える中庭が素敵です。

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私は新緑の4月に利用しましたが・・・本当に!癒されますよ。

 

以下、オマケ日記。国立西洋美術館へ鑑賞に行った際の日記2編です。長いのでご興味のある方はご覧ください。

 

 

 『レンブラント 光の探求/闇の誘惑』
2011年04月13日18:00の日記

今日は久しぶりに美術館に行きました。

去年(2010年)の8月に家族でポーランドの至宝 レンブラントと珠玉の王室コレクション」と、いう展示を見に行ったのですが、今日はその“レンブラント”の版画が中心に展示されている、展覧会レンブラント 光の探求/闇の誘惑』を鑑賞しに上野西洋美術館に行ってきました。

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今日は一人でしたので音声ガイド(語り:辰巳琢郎さん)をレンタルしゆっくりと見て周りましたよ。

レンブラント・ファン・レイン”はオランダを代表する画家で、その作品の表現から、「光と影の魔術師」「明暗の巨匠」と 呼ばれていたようです。

この展覧会は1章~4章に構成されていて、

『1章:黒い版画 レンブラントと黒の諧調表現』

黒の表現を緻密にすることで、明るい部分がより際立つ…作品の中に暗い部屋の中で蝋燭の明かりだけで、書物を読む書生の版画がありました。震災で灯りのない生活を強いられた方々、節電でちょっと暗めの生活になった私達。灯りに溢れた生活にどれだけ感謝したか、そして今くらいの明るさでも、なんだか充分なのかも?と、気づいた。

『2章:淡い色の紙 レンブラントの和紙刷り版画』

レンブラントは“西洋紙”だけではなく、「インド紙」や 「中国紙」等、淡い色の入った紙も使っていたようです。その中に日本の「和紙」もありました。
レンブラントのいた時代、日本は唯一オランダと貿易をしていました。東インド会社から輸入されていたという、当時としては高級な「和紙」に版画をすることで、希少価値も上がったようです。
同じ“版”でも、使用する紙がかわるとこんなにも表情が変わるのか!?そんな感動があります。その比較ができる展示でした。

《病人たちを癒すキリスト(百グルデン版画)》
 この時代の版画の相場は、10~20グルデンだった時代この版画がいかに、評価を得ていたかがわかります。その理由の一つとして高級紙「和紙」が使われていたと、いうのもあるようです。

『3章:とても変わった技法 レンブラントのキアロスクーロ』

“キアロスクーロ”とは、「明暗」「コントラスト」の事です。
版画で言うと、紙を色々なものにしてみたり、版画を彫る時の手法 “エングレーヴィング” “エッチング” “ドライポイント”と、 言った技法を巧みに使って明暗を表現していたようです。 (※ちなみに私はこのような専門的なテクニックについて詳しくありません💦)

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表示した油絵の女性は妻に先立たれた後に、家政婦として雇われた女性。しかし、入籍することのなかった事実上の後妻と言われている、「ヘンドリッキェ・ストッフェルス」です。背景の暗さが明るい部分の 彼女を浮き上がらせています。同時に彼女の何処となく寂しげな瞳が、繊細に表現されているともいえます。

『4章:レンブラントの代表作』
「3本の十字架」代表作《3本の十字架》は第5ステートまであります。
使用している紙が違っていたり、修正され描かれている人などが削除されたり逆に加えられたり…何度も行ったり来たりして観てしまいました。

ガイド中に流れていた音楽、ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク「涙のパヴァーヌ

闇があるから、光のありがたさがわかる…
闇の中に一筋の光を見つけた時…「希望」も見える。

人生も人の心も一緒ですよね。
この作品展は改めて、そんな事を教えてくれたような気がします。

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あぁ…本当に良かった…やっぱり、こういう時間が必要だわ…これからは、またこうしてゆっくり絵画巡りもできる。
やっと自分の時間を満喫できる…そんな幸せを噛みしめました。

 

『ベルリン国立美術館展』
2012年08月10日22:50の日記

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公休だったので前から行きたい!と思っていた
『ベルリン美術館展』を観に上野国立西洋美術館に行ってきました。

この特別展には私が最近好きになった画家、レンブラントフェルメールの作品も展示されています。

今年(2012年)の1月に、渋谷の東急BUNKAMURAで開催されたフェルメールからのラブレター展”に行ったのですが、その時には「手紙を読む青衣の女」「手紙を書く女」「手紙を書く女と召使い」の3点を見てきました。

華美な美しさというよりは、“色”と人物の表情にこだわった手法で、作品に輝きや光を持たせている・・・そんな、フェルメールの絵が大好きになったので、本当に楽しみにしてきました。

上野の森美術館では「ツタンカーメン展」が催されていたので、「ベルリン展」は思ったよりは混み合わず、快適に見て回れました。

『ベルリン国立美術館展』の出展数は107点以上、展示は6章のテーマに分けられ、15世紀から18世紀にかけてのヨーロッパ美術史を学ぶ。それがコンセプトでございました。


ヨーロッパ美術において、高い知識と技量が必要とされたのが、「キリスト教絵画」や「ギリシャ神話」などを題材にした作品。 これが生み出せるか出せないかで、画家としての階級もきまる・・・そんな時代だったようです。

レンブラントは後に“レンブラント派”と、呼ばれるようになるくらいに、弟子もたくさん付き、レンブラントの意思を継ぐ者が現れたほどに、神話やキリスト教絵画に長けた画家です。

今回の展覧会で私が一番心惹かれたのは、“ヤン・ダヴィッドゾーン・デ・ヘーム”の作品でした・・・。 この画家は静物画を得意とする画家ですが、その作品のテーマの多くは、《生きとし生けるもの》であって、命あるものには必ず、「朽ち果てる(死)」がある・・・と、いったものです。

ちょっぴり仏教美術に通ずる感じがして、惹きつけられたのかもしれません。

普通のキリスト教の宗教画の世界では、神に救いを求めるものは天に召される的なある意味、受動的で“生死”に対するリアリティがなく感じていましたが、ヤン・ダヴィッドゾーンの作品は“死”と、いうものをおとぎ話的に表現するのではなく、空想の世界ではなく、実際よく目にするような、果物・昆虫・花などの身近な物をモチーフに、豊かな色彩と精密さで表現しているところに、説得力があったとのだ思う。

 

この美術展でもう一つ私が感動したことは、“素描”です。

“線”で描かれた絵と、言ったらよいのかな?デッサンとはまた違います。

主に絵の下絵として描くときにこの素描で描くようですが、下書きとは思えぬ精密さにこれが描けてこそ、大作が生まれるのだな・・・と、痛烈に感じました。

下書きだからなのか?その絵には密かなメッセージや、物語の登場人物を自分の姿にして描くなどの、自由さ願望などが織り込まれている・・・そんな気がしました。