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【宮本三十三景其の⑱】「上野大仏」

 

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2012年08月22日 12:11の日記

寛永8年 越後村上藩主、堀直寄氏が建立したという。

”大仏を 埋めて白し 花の雲” 
          正岡子規


もともとは漆喰造りの大仏で、東大寺の大仏のように『大仏殿』に収められていたらしいのですが、正保の大地震により大仏殿や大仏自体が倒壊し、*1金銅像で再建立されたようです。

 

しかし、その後も度々おきた震災で破損しその都度、修復、寄進等が行われてきましたが、明治8年、上野公園の整備にともない大仏殿は撤去。大正12年の関東大震災の時には頭部が落下し、大仏は解体され長いあいだ寛永寺が保管していました。

第二次世界大戦の時は、寺院仏閣の鐘などが爆弾などの武器の原料に使用されるために回収されたように、この解体された大仏の胴体などは軍部に回収されてしまいました。

こんな数奇というか不遇な歴史のある上野の大仏が、再び人々の目の前に現れたのは、昭和42年、関東大震災の50回忌にあたり上野の観光協会の働きによって、“パコダ”を建立し昭和47年には寛永寺に保管されていた、大仏の顔の部分がレリーフとして安置されることになったのが現在の「上野大仏」です。

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写真撮影:2012年8月8日

上野精養軒に隣接してる丘の麓に【大仏山】という看板が立ててあって、そこを登るとパコダが見えてきます。

祈願用の“絵馬”が販売されている小さな売店があるのですが、“これ以上は落ない”という験担ぎの意味で【合格祈願】に来る人が多くなったようです。

 

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赤本によれば宮本は「大仏が好き」ということです(笑)
私は大仏が・・・というよりは、仏像全般が好きかな(笑)

単純に美術品として美しいですからね。そういえば・・・私の母方の祖父も仏像や菩薩像が好きで、祖父の部屋の床の間に何体か飾られていたなぁ。仏像の本(美術本)もあったし・・・あの本はもう捨てられてしまったのかしら・・・?それからおじいちゃんは骨董好きな人でした!私の中にはおじいちゃんの血が濃く流れているのだな!

私はおじいちゃんを“男性”を見るときの基準にしていた気がします。結婚するならおじいちゃんのような人!と、思っていたものなぁ。まぁ、実際は仏像好きでも骨董好きでもない人と結婚しましたが(笑)それはそれで正解だったのかもww

ただ、宮本浩次を好きになったのは趣味がおじいちゃんに似ているから、こうして何やら憧れの人に出会えた的なトキメキがあるのかもしれません。

 

以下、追記

2011年~2012年は日記にあげなかったものも含め、上野への散歩が一番多い時期だったみたい。

2011年3月の東日本大震災からエレ友さん達との関わりが少しギクシャクし始めて、10月はエレカシの活動休止があった年だったり…心の整理をするために散歩を無理矢理していたような気がします。その場所が上野界隈だったという感じ。

「上野大仏」も最初は自分で出向き、エレ友さんに行ったことがないと聞けば案内したり…何度もいきました。これからもそんな機会があるかもしれません。