【宮本三十三景其の⑲】「精養軒」
2012年08月29日 12:56の日記
1872年(明治5年)築地にて創業。
明治9年上野公園開設に伴い、不忍池畔に移転*1「上野精養軒」が誕生しました。
王侯貴族や政財界人に親しまれてきた「精養軒」。明治を代表するの文豪、夏目漱石、太宰治、森鴎外たちからも親しまれていたようです。
森鴎外の『雁』という小説の中に出てくる青年が、この精養軒で食事をするというシーンがあって、宮本はそれでこの精養軒に興味を持ったのです。
ただ、他の日記でも紹介しましたが彼や私が幼い頃にテレビでこの精養軒のCMがよく流れていたので、親しみは大きかったかもしれません。
宮本は上野へ散歩に来るとこの精養軒で「ハヤシライス」を食したり「コーヒー」で一服していたようです。そこで、その小説に出てくる青年や当時の歴史に思いを馳せていたらしい。
2012年8月8日撮影
私もその「ハヤシライス」を食べました。シンプルだけど手を抜いていない老舗の味。
そんな印象のハヤシライスで、とても美味しかったです。
レストランからは不忍池が一望できるテラス席もあります。長い歴史の中で沢山の貴族や政界人、文化人に愛された景色。それだけでもご馳走だなぁ・・・と、感じました。
以下、オマケ追記(2018年9月26日)
「明日に向かって歩け」通称:赤本の宮本をめぐる東京・武蔵野三十三景を中心に記事を載せておりますが、10年以上前にネット配信エンターテイメントの番組取材でいくつか被っている場所があります。
その中に上野界隈の場所が出てきますがこの「精養軒」についても語られていました。
当時(2002年頃)もまだ、散歩がてら訪れていた様子でその頃は食券を買うシステムだったようです。
“精養軒の「精養」は音から「西洋」からきてますよね。”
と、話したり「建物もいたって普通な感じだけど…」と、インタビュアーが話をふると“伝統”という部分で、はじめて本格的な西洋料理を出した店として、その伝統という部分に惹かれた。とか話してます。
築地に創業された当時の建物はこんな感じ※精養軒の写真。
「天気の良い日なんかは、テラスで珈琲なんか飲むといいですよぉ」
と、いうので私も精養軒のテラス席で食事を2度ほどしたことがあります。テラス席から見た景色はこんな感じであります。
先月(8/16)も不忍池の蓮を見に上野へ行き、お昼は精養軒で食事しましたが、風が強かったので屋内の席でカレーライスをいただきました。