【東京の空③】日本武道館
ブログをあげるのに久しぶりに「東京の空」のこの章を読んだ。
初めての武道館公演は1991年1月の新春「日本武道館3000席ライブ」です。私は同年3月に出産予定の長男を身ごもってました(笑)エレファントカシマシの“エ”の字もない頃です。
当時は「日本武道館」というものに思い入れもなかったと語られていて、適当な会場が取れず、当時のマネージャー綾部和夫氏からの武道館で3000席使ってやろう!と、いう斬新な提案で行われたという。
とがりまくっていた時代のエレカシでしたから、「武道館?だからどうした!」みたいな感じだったようです(笑)インタビューでは抑え気味で回想していますが、当時は割と荒れていたとは思いますけど。
その後、「今宵の月のように」がヒットしたことをきっかけに、再び武道館公演そしていきなり2days!動員が一気に増え満席にすることはできた。だけど、それが逆に「この状態を維持して行けるのか?」と、いう恐怖にも変わったとの事。その後、数年間は武道館公演を2daysでやったけれども次第に動員数が減ってきて、2001年の新春を最後に2009年の4月まで行われなかった。
今年の武道館新春LIVEの日記にも記したけど、やはり宮本浩次にとって日本武道館とは憧れの場所というものではなく、伏魔殿のようなイメージだったのかもしれません。
さて、私にとってのエレファントカシマシ日本武道館LIVEはその2009年4月から始まった。宮本浩次にとっても再びあの頃の緊張がよぎる瞬間だったのかもしれない。
武道館で再び新春LIVEが行われたのは2011年。
2012年は震災の影響で取れなかったのかな?2013年は活動休止中。2014年はさいたまスーパーアリーナ。2016年は東京国際フォーラムと大阪フェスティバルホール各2days、2018年はNHKホール、大阪フェスティバルホール。
2011年以降の新春も武道館でやっていない年もありますが、それには売れなくなったからという要素はまったくない。意味があっての会場選びだったということがわかる。
宮本浩次にとって日本武道館は自分のアーティストとしての力量を計る、そんな場所でもあるが、30周年ツアーを機に「もう大丈夫」という自信もついたから、逆に武道館という伏魔殿を恐れることはもう無くなっただろうと想像します。
そして、これからも「新春は武道館」という形をとるかとらないかも、もはやそういう縛りからも解き放たれたかもしれない。
yumcha-elekashi.hatenadiary.com
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