また、あした…

私が好きな音楽のことを綴るブログ

見えない柵の檻の中で威嚇しながら、遠巻きに餌を狙う社畜に捧げる名曲

エレファントカシマシはけして四面楚歌なバンドではない。どちらかと言えばパッと出てやってみたら玄人のおじさん達に気に入られて、トントントンとデビューにこぎつけた感じがする。そして、幸運にも熱心でコアなファンもついてフォローされ、いくつもの壁はあったもののおじさん達やファンに助けられて今日まで戦ってこれたのだろう。

玄人のおじさん達はもっとメジャーなバンドになると信じて疑わなかったわけですが、どこが間違っていたのか?飛ばず咲かずでこの『奴隷天国』まできてしまったことに、何やら言い訳じみた理由をとっつけている。

確かに内向的で閉じた世界観に向かっていたのは否めない…。私は『奴隷天国』は自らに向けた自虐的なイメージがある。「こんなオレに誰がした!?」的な怒りも感じる。

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私は落ち込んだ時には無性に『奴隷天国』が聴きたくなる。宮本から「欠伸して死ね」と言われると、氷づくどころか俄然やる気が出るのだ(笑)

人間は学習できる生き物だし成長ができる生き物だ。生き抜くために知恵をつけていけるのが人間だろう。この辺から“やり方”について変えてみてもいいかな?と思ったようだ。他のアーティストが同じ数の作品を作ったとしても、聴き手のバックグラウンドさえも考えに入れて、LIVEの場数もこなし経験を積んでいるが、エレカシの場合は“まずはこれを聴け!”というスタンスで、それまでマイナーチェンジはしつつも、モデルチェンジはなし。さすがに打つ手がなくなってきたことを実感してきたと見えた。

リスナーは音楽から自分と共感共鳴できるものを求める。中にはエレカシのような内向的な内容であっても、グッと感じて好きになった人もいるだろう。しかし、数としては圧倒的に人の心をつかむには少数なのだ。

それでも今のエレカシの活動ぶりをみてもわかるけど、大勢の心をつかむ術を得たんだ!と言える。エレカシを支えてきた玄人のおじさん達もきっとデビュー当時に見たエレカシの可能性が形になって、安心していることではないだろうか?