【宮本三十三景其の⑦】「清水門」
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2012年11月19日 10:31の日記
皇居の中の“門”と言ってパッと思いつくのは・・・『桜田門』とか『大手門』とか・・・
コンサートで武道館へ訪れたことのある人なら、『田安門』とか思い浮かべるかもしれないですね。
赤本「明日に向かって歩け」で宮本が紹介しているのは、そう言ったメジャーな門ではありませんでした。
それは、『清水門』【国指定重要文化財】という門。宮本がどういうわけでこの門に巡りついたのかはのちほど…。
寛永元年(1624)助役大名,浅野長晟により建てられた城門とのこと。
寛永元年(1624)助役大名,浅野長晟により建てられた枡形の城門。扉釣具の銘には万治元年(1658)とあるが,これは江戸城の総曲輪の大工事を行ったついでにこの門を修復した年であると考えられています。
門名については,昔この辺りに清水が湧き出ていた、また、古くはこの辺りに清水寺があったことから、その名をとって清水門と称したともいわれています。
宝暦9年(1759)九代将軍家重の第二子重好をして,この門内に一家を創立させて門名にちなんで清水家と称しました。文久3年(1863)の本丸炎上の時には、将軍家茂と夫人親子(静寛院宮)は一時ここに移っていたといわれています。
なるほど、清水門へ向かう右手の濠は蓮池っぽくなっていて、清水が湧いていたのかも・・・と、思わせる雰囲気でした。濠の向こうには武道館の屋根が見えました。
門をくぐると宮本が言うように雑草なども結構生い茂っていて、あまり手が加えられてうないところがあり、“ひっそりとした趣”という感じでしたが、わりと人の行き来が自由なせいか、庶民に親しまれている散歩道への【門】そんなふうにも感じられました。
と、いうのも門をぬけて上の方に上がっていくと、『科学技術館』などもあってそこへ訪れる人や職員なども利用しているかもしれません。
以下、2018年9月30日追記
読んでお分かりの通り、宮本は神保町へ行ったその道すがらこの清水門へ訪れていたようですね。冒頭のマップをみてもお判りになりますが、神保町へ行ってそのあとブラブラ歩いてこの清水門に立ち寄り、武道館へ向かうのも良いかもしれません。
清水門へは3回位訪れました。皇居周辺を散歩した時、神保町へ行ったついでの時、エレ友さんを案内し連れて行った時。
最後に訪れてからかれこれ4年は経っていますので、今はどんなふうになっているだろう…。また、日本武道館へ行く機会があったら神保町から行くコースで訪れてみたいと思います。