『おかみさん』と『戦う男』
2011年04月23日17:26 『おかみさん』
この時期、mixi日記で自論を書いていた私は一部のマイミクさんから、「上から目線」の女と言われていた(笑)別に他の人を下に見ているわけではない。
今もさほど気性は変わらないけど、この頃から自分のそういう気質について見つめ直すことになる。
こうなる前はマイミクさんとのやり取りに“ユーモア”を交えて交流できていたのに、ぱったりおふざけな要素がなくなっている。もともと、文体も堅苦しく事務的な感じだったから余計にです。
これはある種のクセのようなもの。
直そうと思えば直せるのだろうと模索し始めています。
「おかみさん」4月21日(木)松山SALONKITTYで披露された1曲
時代が便利で楽になってきた矢先…
その便利さがまったく機能せず、依存しすぎていたため?「それが無いとどうしていいかわからない」(携帯電話)
そんな、不自由さを味わった(この震災で)経験もあったでしょう。
放射線による空気や水、食べ物の制限。
物への風評被害から、人への風評被害…「おもいやり」ある 日本人ではなかったのか?いや、そもそも「おもいやり」とは?
“自己満足”という言葉で片づけられているの?
間違った事ではないのに、「言葉」にすれば叩かれる。
そして、反撃すれば、叩いた方が擁護される。
ニュースでみかける、被災地から避難した傷ついた人をそれ以上に傷つける行為…学校、宿泊施設…「イジメ」大人も子供も一緒。「正義」は何処にあるのかな?
≪歌詞抜粋≫2100年 宇宙旅行 空気清澄 自動歩行器
おかみさん 布団干す 南向きに布団干す2100年 世界政府 生命延長 人口減少
おかみさん 布団干す ベランダにおかみさん(中略)
2100年 空中散歩 気温上昇 巨大イチゴ
おやじさん 涙流す 月見ておやじさん胸には敗れし野望
おやじさん あんた 辛抱強いな 進歩しねえな
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~時代は進化進歩を続けても、
おかみさんはそれでも洗濯をし、布団も干す…家族の為に。
おやじさんは相変わらず、取らぬ狸の皮算用…机上の空論にふける。おかみさんからガミガミ言われても、ジッと黙って時が過ぎるのを待つ。
我が町のシンボルとなる東京スカイツリーには、展望台に空中回廊ができる。東京スカイツリー天望回廊 | フロアガイド | 東京スカイツリー TOKYO SKYTREE
この歌の様に「空中散歩」をする気分になれるのです。
スカイツリーの展望台から、武蔵野台地を一望し…日本一月に近い所で、お月見したら…本当に泣けるかもしれない…。時代が変わろうとも、おかみさんもおやじさんも変わらない。
生活の知恵は「おかみさん」から
義理と人情は「おやじさん」から
言い伝えられる…そんな時が、戻りますように…
2011年04月25日17:30 『戦う男』
東日本大震災から一ヶ月が過ぎたころから、一部のマイミクさんとの温度差に気がつき始めて、落ち込みはじめてきました。
なんとか自分を立ち直らせたかったけれども、何ともならなかった時期です。
「戦う男」4月23日(土)熊本DRUM Be-9 V-1 で披露された1曲
エレファントカシマシ“悪魔のささやき~そして、心に火を灯す旅~”
ツアーも11公演が終了…エレファントカシマシ オフィシャルブートレッグページではツアーのダイジェストがアップされている。
どの会場の動画を見ても…
なんとなく…2009年~ 私がエレカシのLIVEに行くようになってからの宮本浩次とは違って見える…歌っている時の目が、昔の宮本の目に(戻った)… 今まで感じた“気迫”は、少しの余裕から出たもので、今回のツアーで見せてる“気迫”は、なんとも形容しがたい… あえて言うなら、ギリギリな精神の中でLIVE活動をしていた頃の感じに近いのではないか?
そんな風に伝わった。
もちろん、にこやかな場面もあったかと思うが…
勘繰りすぎかもしれないけど、3.11をうけて心境的にも心情的にも背負ってるものが全く変わってしまったような…。アーティスト、表現者にとってもこの出来事は大きな分岐点だと思う。
エレカシにとっては、ある意味“試練”のようなツアーかもしれない。
そんな事を思いながら聴いた。
≪歌詞抜粋≫
戦え男よ 聞こえる あのメッセージ
燃えろよ 静かに
昨日の喜びも 捨てちまう 道端に
Oh 走り抜けろ
Hey
あのメッセージ 遠くで 聞こえる約束
負けるな 男よ
優しい思い出を 抱きしめて 旅立とう
Oh 走り抜けろ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
正直、今私は「音楽」で癒される事はあっても、
パワーを貰うまではいってません。“NO DAMAGE”と、いうわけにはない…昨年末から今までとにかく… 走り続けて疲れた感がある…
『断捨離』って言葉が流行っていますが、いろんなこだわってきた事やわだかまり…を、一掃して少し離れたところから始めよう。『優しい思い出』すら今は空しい。
今は走りぬける力は残ってないから、ゆっくりと歩きだします。
この日記にコメントしてくれた方は、私にこう諭してくれました。
「音楽」でなんとかできることは無いかと真剣に取り組む人。
「音楽」をエクスキューズに使う人。
「音楽」に救われている人。
「音楽」なんて何にもならないと思う人。
いずれにしても、「発信する」側と「受け取る」側の気持ちが一致すれば、通じて繋がるんだと思います。
それが何であれ。
「音楽」の部分を「言葉」に置き換えてもいい。
気持ちが一致しなければ何事も繋がらない…やはり、伝えたいときには人の立場に立って考えるスキルは必須なのかもしれない。
とか、
また、受け取る立場になった時には、「ステレオタイプ」の人間であってはならないと感じたあの頃…。
ただ、そういうことにがんじがらめになってしまったら…自分が削ぎ落されることになったりすることもあって、そうなったらきっと「言葉」を失ってしまうのだろう。
もっと表現力を豊かにしたいな…。
最近また、そんな気持ちがムクムクと湧いてきています。
そして、いろんな人の話しにも耳を傾けたい。