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【宮本三十三景其の⑯】国立博物館

 

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2012年08月15日 14:52の日記

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東京国立博物館は明治5年3月に、湯島聖堂大成殿(文京区湯島)において、最初の博覧会を開催したことが前身となってます。

その後、内山下町(千代田区内幸町)に移転、明治15年に現在の上野公園に移る。開館140周年の歴史ある博物館です。

宮本の著書(赤本)によるとこの建物やその周辺は、かつて徳川家の菩提寺寛永寺」の敷地であり、住職や僧侶などが暮らす宿坊などがあり、この博物館(本館)もかつては寺院関係で 使われていた建物であったらしい。

しかし、その大半が第二次世界大戦で焼失し上野公園の敷地内にわずかに点在するのみとなった。

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私は育児の手が離れたごくごく最近、この博物館(平成館)で催される展示会へ来ている。
しかし、本館へは20年くらい前に1度来たきりです。
特別展示などは主に“平成館”で行われるので、本館を右手に見ながら通り抜け、そちらへ行くのです。

宮本浩次によればこの博物館にも“浮世絵”など興味深いものが展示されてはいるが、開国後、貴重な浮世絵のほとんどは外国人がこぞって買い求め海の向こうへ・・・。作品数は海外の博物館に及ばないという・・・。

 

以下、オマケ日記です。国立博物館に行った時の日記を2編。長いのでご興味のある方はどうぞ。

 

空海密教美術展@9月7日(水)
2011年09月10日12:19の日記

駅のホームに掲げてあるこの美術展の巨大ポスターを観る度に… あー観に行きたい!って思っていまして…開催も今月の25日まで… この夏、遊び過ぎてお小遣いもギリギリでしたが行ってきました。

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つぶやきでもつぶやきましたが、平日だからまぁ余裕だろうとの予想に反し、すごい人出で…しかも、天気も良すぎ気温上昇!私の“晴れ女レベル”もここまで来ると…ですなぁww

 

入場に近づくにつれ…ふと見ると国立博物館の平成館と本館の間から、

 

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スカイツリーが見えたり♪

何人か同じアングルで写メしていたから、なんだろう?って思っていたので納得でした。

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さて、空海については… 別名、弘法大師とも呼ばれていまして真言宗の開祖ですね。「書」の達人とでも言いますか?書道家としても有名です。
空海と対比(ライバル)される人物として最澄天台宗の開祖)が同じ時代に日本の仏教を深めた僧としてあげられますね。

ここまでは歴史の授業とかで習いますよね。

書けば長くなってしまうので(笑)これ以上は書きませんが、人の心の中、命には仏教的な要素があるので「無宗教」と、完全否定しても観て触れるだけでも、その壮大さから逃れられない圧倒的な“法則”が 存在している…と、私は感じました。

この展示の何が楽しみだったかというと、自然の摂理・宇宙観(理論)を表している両界曼荼羅」やら、更にそれらを仏像で立体的に表現している「仏像(立体)曼陀羅」が京都の“東寺”から21体中、8体きてるというので、観てみたいと思いますよね!

この展覧会に展示される物は98.9%国宝・重要文化財と呼ばれる物!これを逃したら奈良、京都の古寺巡りをしないと見れません(笑)

見どころ、メインは立体曼陀羅の8体、その中でも…五大明王の一つ“降三明王立像” 仏教の説話では、仏の教えに従わない神々を退治する…とされる明王
その対象となる破壊神シヴァと、その妻、ウマ妃を降伏させる意味で、踏みつけている像です。「降参」とはここからきたらしい?
 

そして、四天王のうちの一つ持国天立像” 釈迦入滅後の法の守護を託されたと言われていて、東方の守護神とされてます。
その顔は世に存在する仏像の中でも最も恐ろしい表情と言われていて、国土を守る神として邪鬼を踏みつけています。とにかく迫力がすさまじかった。

そして…いやぁ…こりゃ、一目ぼれですね…(笑)“象”にまたがっているこの麗しいお顔の正体は帝釈天騎象像” 魔人、阿修羅と戦った武勇の神と言われています。仏法(釈迦)守護神の梵天と並んで、対の神が帝釈天と言われています!
 

ドキドキしながら仏像を観るってどうなのかと思いますがそのくらいにイケメンです!(笑)しばし見とれてその場から離れられんw
人も多かったのですが、ここまで来ると多少余裕もあってじっくりと 拝むことができました。

なんというか美術品として観に来ていた私ではありますが、多少なりとも興味のある分野でありましたので、精神世界と共に物事には 何かしら理由があってその事態がある…そんなことを改めて知れる機会に なりましたね…ハイ…

一体一体、手を合わせてみていかれる人もいましたしね。人の信仰心を何百年にも渡って集めてきたそのパワーは確かにあったし、だから、そこに救いを求める人はいるんですよね。


空海遣唐使として中国に渡らなければ得られなかった密教。“経典”それに伴った“仏像”や“法具”などの美術的価値のある「文化」
彼は神童呼ばれる天才だったようで “先人の説いた教えだけでは物足りない。もっと何かがあるはずだ!”と、探究心の強い青年だったようです。

空海が唐に留学し唐の高僧“恵果”に師事して高い評価を得て、日本に貴重な美術品をもたらしてくれました。この展覧会はその偉業を讃え感謝できるものでした。


空海はけして堅物な天才ではないです。
凡人の立場になって目線を下げ、広く万民の幸福を願う僧で親しみやすい人物だったと見受けられます。

 

「北京故宮博物院200選」@東京国立博物館-特別展
2012年02月15日20:39の日記

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これは中国皇帝時代、紫禁城に由来する貴重な名宝が日中国交正常化40周年及び、東京国立博物館140周年を記念しての特別展として、門外不出とされていた海外出展初の200点が出品されている展覧会です。

大混雑…とまではいかないまでも、それなりの混雑でした。年配の方が多く見られました。なので、ひとつひとつじっくり見ておられるので、なかなか先に進まず…と、いった感じでしたが見やすい所から順に観て行く…そんな感じでゆっくり鑑賞しました。

第1会場では元の時代の皇帝たちの書画を中心とした展示です。

“書”は絵画と違って感性だけではなかなかわからない…読めないことへのジレンマ…
内容がわかればその書の意味合いも伝わる…そんな、未熟な私の感想です。

ですが、“書”を美術品とみた時…「草書」の流れるような美しさとその後の添え書きの「行書」の対比が、その時代の中国エリート官僚の知性の高さが伺い知れます。

それにしても“書”は難しいです。

《陶器》青花龍濤文八角
《刺繍》孔雀翎地真珠珊瑚雲龍文刺繍袍
《漆塗》梔子堆朱盆

全てにおいて計算しつくされた細かい施しがされていました。


第2会場に入るとそこは中国皇帝時代の中でも、最も繁栄したと言われる清朝宮廷文化」を中心とした展示です。

中でも第6代皇帝であった乾隆帝(けんりゅうてい)(在位1735~1796)によって最盛期が
もたらされていました。ここではこの乾隆帝を中心にその時代の調度品が紹介されていました。

乾隆帝を中心とした皇族は満州民族です。

しかし、中国民のほとんどは漢民族で同じ中国であっても文化がだいぶ違っていたようです。衣服なども満州と漢では違っていたようですが、乾隆帝漢民族の衣装をこよなく愛し、好んで着ていたようです。

そして、清を建国した満州族が信仰したのはチベット仏教でした。

近年、中国人によるチベット支配、弾圧が問題にもなっていますが…かつてはこのチベット仏教が国民にも広がり、法具や仏像なども紫禁城の工房で生まれていました。

ヨーロッパなどとのつながりも多くあり、乾隆帝肖像画はイタリア人の画家によって描かれた物。

最盛期の中において乾隆帝は「世界を統治」した!その位の気持ちになっていたようです。チベット仏教における曼陀羅図では、自らが中心菩薩となり、「万国来朝図軸」という画は、お正月にヨーロッパ各国、日本から朝廷にお目通りする人々で溢れている…そんな、空想画を描かせていたくらいです・・・。

そんな、乾隆帝の書院(書斎)が再現された一方…一番の見どころとされているのが清明上河図」北宋時代の河両岸と城門内外の都市生活の風景を描いた図巻です。これは皇帝が視察した記録として、当時の中国画家に描かせた…と、されています。乾隆帝も前皇帝に見習って視察した…と、言われています。


とても貴重なモノを観てきた…そんな、実感はあるものの中国の長い歴史に圧倒された…しかも、その一部分の時代に…そんな感想です。

もっと深い知識と探求心があれば楽しめたのに…浅い興味だけで行ったのではなかなかわかるものではありませんでした。

単純に門外不出の“名宝”にはこれで二度とお目通り出来ないだろう… そんな、気持ちだけで行ってきました。それでも、それだけの価値はあると…そう思います。

私とそんなに変わらないであろう歳の女性が、書を読んでか?ただ、魂で何かを感じたからなのか? ある書簡の前で嗚咽して泣いていた。ある意味、とても羨ましく思えた…「わかりたい」とは思うけど…。


難しい…奥深さが「中国文化」なのだと痛烈に感じるのです。