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【宮本三十三景其の㉘】「六義園」


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 2012年11月某日、文京区界隈の散歩にて・・・

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六義園は、徳川五代将軍・徳川綱吉側用人柳沢吉保が、自らの下屋敷として造営した大名庭園です。

三代将軍家光の時に参勤交代が制度化され、各地方の大名たちが江戸で暮らすための土地が与えられて、そこに屋敷を建てたわけです。ただ、こうした屋敷には「上屋敷」「中屋敷」「下屋敷」などと呼ばれていて、江戸城に一番近い地域に建った屋敷は「上屋敷」少し離れた場所が「中屋敷」、そして『下屋敷』とは江戸城から最も離れた場所となるわけですが、主に上屋敷に住む上流階級大名の別邸だった、とも言われています。

それを踏まえて・・・この『六義園』は元々は平地であったようです。土を盛って丘を造り、千川上水を引いて池を掘りました(回遊式築山泉水庭園)。大きな池を中心として周囲に園路を巡らして、築山、池中に設けた小島、橋、名石などを使用し、自分の国の風景を再現したデザインになっていることが多いようです。 この頃の大名達は競って庭園を造ったようです。その御蔭か、江戸の大造園技術は発達し、江戸時代に日本庭園築造技術が頂点をなしたとされているそうです。

『六義』の意味は、「詩経」における詩の六種の分類。“内容上の分類”にあたる風・雅・頌(しょう)と、“表現上の分類”にあたる賦(ふ)・比・興(きょう)。これらを用いて紀貫之が書いた古今和歌集の歌から用いてつけたようです。

昔は六義園のあるこのあたりは“へんぴ”な場所であったのでしょうが、それでも今では都会の中にあるわけです。しかし、一歩中に入ると別世界です。限られた広さの中に池、山、森があってかつてはここで大名たちが休息したり、宴を催し賑やかに歌や舞を行っていた場所・・・そう思うと、古の優雅な気持ちを感じ取ることができる、そんな不思議な空間です。

東京にはこうした庭園がいくつかあります。

などなど・・・

《都内の日本庭園》 まるで山道を歩いているように感じてしまいますが、小高い頂上の先に塀があって塀の向こう側は国道です(笑) 園内をぐるっと一回りし終わる頃に“茶屋”がありまして、そこで遅めの昼食「きつねうどん」を食べました。

おそらく・・・80代半ば?くらいだと思われる小柄のお婆さんが、チャキチャキと接客してました。若い頃はきっとモテただろうなぁ・・・そんな雰囲気を漂わせる綺麗なおばあちゃん。池にいる鯉や鴨にあげる“お麩”も売っていて、近所に住んでいるのか?小学生や幼児が小銭をもって買いにきたり、マイナスイオンやらまったりした空間で癒されました。 皆さんも機会があったら是非、足を運ばれてはいかがでしょうか?

  

 ▼参考資料▼

江戸城と大名屋敷を歩く (こだわり歴史散策)

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