また、あした…

私が好きな音楽のことを綴るブログ

なかにし礼 さんを偲んで

現代の音楽社会は“世界戦争”「佐野元春 THE SONG WRITERS seasonⅣ」

中村一義
星野源
大木伸夫(ACIDMAN)
山崎まさよし

と、世代もキャリアも近い感じのアーティストが続いたが、5回目のゲストはライターとしては重鎮の“なかにし礼”さんがゲストだった。

これは何か意図してのことだったのか?

再放送も含めて、seasonⅠ~seasonⅣまで見れるものは見てきた。特にseasonⅢは欠かさずに見た。3・11の後だったので『言葉』の持つ意味と癒しを見つけたかったのかもしれない。

さて、今回のseasonⅣはこれまでとは少し違って感じた。はっきり言って前回までは多少、華のあるアーティストが揃っていた気がする。

今回はもちろん優秀なアーティストではあるけど、“山崎まさよし”以外は知る人ぞ知る・・・そんなメンバーだったような気がするのです。

でも、共通して言えるのは割と現代の若い人たちの日常に近い感覚であって、メッセージ性を押し付けるというよりは、より「普通」に近い感覚で共有出来る作品を作っている人たちでは?そんなことを思った。


その中において、なかにし礼さん・・・聴講生の中にこの人を知っている人が何人いただろう?

名前を知っていたり、作詞家だってことくらいは私も知っている。たぶん、聴講生も講義を受けるにあたり同じような情報くらいしか持ち得なかっただろう。

私はこの番組が人気アーティスト目当てにくる若者になるつつある?もし、そうなら純粋にクリエイティブライターを目指す若者にとって、有意義な『講義』であることが必要であると、元春が軌道修正したシーズンだったのではないか?そんなことを感じた。

何故そう思ったのかと言うと、我が息子(長男)を山崎まさよしの回に行かせたくて応募した気持ちには、多少なりともミーハーな下心があったからだ。もちろん長男には、“言葉”と“感性”ということへの興味と向上を願ってもいたけれどね。

ただ、そこへ来ていた大半の学生は「“クリエイティブライター”を目指している人ではない」と、いう現実があったんだろう・・・と、推察できたのです。

元春はこの番組に誇りを持っていたし、『詩』の持つ言葉に力が失われつつある現代に危機感も抱いていた。

そのために『詩』に力を呼び戻す・・・その意味を継承するために始めた番組だろう。でも、番組自体に何らかの疑問を抱いたのではないだろうか?

だからこそ、なかにし礼さんをゲストに招き、最終回では佐野元春本人がソングライティングについて、教鞭を取ったのだと思う・・・。

少なからずそこに集った学生は『詩』、『言葉』について探求したいという思いが強い人たちでは?と、賭けたのかもしれないと・・・。

なかにし氏は、もしここに集っている人が作詞家を目指しているのなら、相当な『覚悟』が必要だと語った。そして、現代の作詞家に必要な要素は・・・

99%の“作家魂”と1%の“ひらめき” 

1960年代~80年代のヒットメーカーと呼ばれてきた作家は、99%の“技術(テクニック)”(訓練して築かれるもの)と1%の“ひらめき”でよかった・・・と言う。

それは街中に流れる曲(テレビやラジオ)を偶然に聴いて、「いいな」と思ったらレコード屋へ行き買う。というアクションを起こさせた。

たぶん、時代が言葉とメロディーを欲していた・・・と、いうこともあるし、音楽というものがまだ特別な文化で、大衆の心をがっつり掴む時代だったから、数百万枚というセールスも出せたのだろう。

しかし、それでも作家としての「技量(テクニック)とひらめき」がないと売れる曲は作れない。そんな時代だったのだと思う。

なかにし氏は満州終戦を迎え、命からがら両親に連れられ帰国。帰国してからも日本人でありながら差別のような仕打ちを受けたりする・・・しかし、なかにし氏は腐ることはなくむしろ、他の人が体験できなかったことを体験した。

という誇りでその後の人生、作家としての人生もおくっている。お金がなかったので、シャンソンの訳詞(バイト)をしながら大学(立教大学)を卒業した。

バイトも一所懸命だったけど勉強も頑張ったという。(なかにし氏だけではなくこの時代は苦学生が多かったと思う。)シャンソンの訳詞をすることは、詞が訴え掛ける思いを忠実に理解する必要があったから、表現力などはそこから学ぶことができたと、話していた。

人生のしかもクリエイティブライターの大先輩が、このような話をしてくださっても多分、学生にはあまりピンとこない話だったかもしれない。しかし、なかにし氏は最後にこう話した。

YouTubeを開けば、百花繚乱にいろんな音楽が溢れている。ガガもいればマリア・カラスもいるし素人もいる。

一瞬にしていろんなジャンルの音楽があって気に入ればそれをチョイスし“ピッ”と、ダウンロードして聴けてしまう。

つまりは、国内で自分の曲が売れる売れないを考えて作っている世界ではなくなっている。そんな中(たくさんの音楽があふれる中)で『買う(ダウンロードクリック)』させるアクション(行為)をさせることは、並大抵のことではない大変なことなんだ。

佐野元春という人はそんな中で闘って戦い抜いて今ここにいるんだ。これはすごい事なんだ。」

こう話した。そして、

「文学的な詩と新しい音楽を取り入れながら、今も世界と戦っている。だから、尊敬しているんだ。」とも

ヒット曲を何曲も出している重鎮に、ここまで称えられるということは、相当すごいことだと思う。元春もかなり感激した様子であったけど、私も佐野元春のファンでとても誇りに思う。

なかにし氏は最後に学生に『本気で作家を目指すなら』かなりの覚悟をもって挑みなさい。と、いうニュアンスのことを伝えました。

これから(今)の歌は“世界戦争”世界を相手にしているという自覚が必要だということなのでしょう。この戦いに必須なのは

99%の“作家魂” と 1%の“ひらめき”

人生とはどう自己表現するか?死ぬまで自分探しの旅である。そこを肝に銘じて・・・と締めくくり、自分の孫ほどであろう聴講生に

「ご清聴ありがとう」と、頭をさげて帰られた・・・。

やっぱ、苦労して特化した世界で地位を築いた人には、【品格】があるし説得力もある。

佐野元春の曲に『ザ・サークル』という曲がある。

さがしていた自由はもうないのさ
本当の真実はもうないのさ
もう僕は見つけに行かない
もう僕は探しに行かない
時間のムダだと気づいたのさ

今までのようには悲しまない
今までのようには叫ばない
今までのようには踊らない
今までのようには迷わない
今までのようにはあせったりしない
今までのようにはドジったりしない
今までのようにはふり向かない
今までのようには雨に打たれない

さがしていた自由はもうないのさ
本当の真実はもうないのさ
もう僕は見つけに行かない
もう僕は探しに行かない
時間のムダだと気づいたのさ

今までのようには争わない
今までのようには暴れたりしない
今までのようには地図にたよらない
今までのようにはカギを使わない
今までのようには隠れたりしない
今までのようには逃げ回らない
今までのようには壁を叩かない
今までのようには傷つかない

君を愛してゆく
今までのように君を愛してゆく
今までのように君を愛してゆく...
Like the way I used to be

少しだけやり方を変えてみるのさ

引用:「ザ・サークル」words & music 佐野元春

最後の 「少しだけやり方を変えてみるのさ」

佐野元春は繰り返し繰り返し、時代にあった言葉と音楽を探しソングライティングをしてきた。(このことは最終回の『佐野元春特別講義』でも語っている。)

私は改めてそれを理解し佐野元春の偉大さを再確認した。


ザ・サークル