ほゞ、エレカシ漬

私が好きなエレファントカシマシの事を軸に音楽のことを綴るブログ

東京『江戸』からまんまで…

2010年01月21日21:10

テレビCMが流れるたびに気になっておりました、Deagostiniから発刊された、 週刊「江戸」創刊号を入手してまいりましたよぉ~~~ん。

時代劇は嫌いな方ではないので、なんとなくワクワクしながら読んで みたいと思っております。

今、私の頭ん中では・・・いつか『浅草から江戸東京博物館に皆で行こう!』 そんなオフ会ができたらいいなー・・・などと思っております もちろん、ここは・・・夜の部もありってことでw 実現するかどうかはわかりませんが、そんな時は是非、ご参加下さいませ(笑)

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2012年11月02日 19:51

『東京』を知る上で欠かせないのは、まず“江戸”を知ることです。そう、教えてくれたのは宮本浩次

宮本が自分の足で探求した『東京』は実に参考になるし、私の好奇心をくすぐるのに十分なくらい魅力的であった。

ある日・・・2年前くらいかなぁ、ディアゴスティーニから「週刊江戸」っていう冊子が創刊になっちゃって(笑)私は全巻集めちゃおうかな?とか思ったくらいに、購買欲をかきたてましたわ。

でも、結局はNo.3までしか買わなかったけど しかし、これは買ってよかったなぁって思いました。ミヤジが東京と江戸について色々と語るときの話(赤本とか)で、あとで検証できたり絵で解説されていたりするので、イメージが湧きやすいですしね。昔、江戸城(皇居)の周りは海だったとか・・・中学の歴史か何かで習ったかもですが私も独自でいろいろ調べてる中、再確認ができてですねホント楽しいものです。

神田のあたりは山だったとか、日比谷は入江だったとか・・・。ミヤジも言っていた、江戸の町は京都の町が手本になっているとか。私でもよくわかる内容だったからお買い得だったなぁって思います。

こうやって文章にする時も読み始めちゃって、なかなか先に進まないという💦3号までしか買っていませんが、これからでもまた増やそうかな・・・っていうか、読んでみたい号もあれば、そんなに興味のない号もあったりするのですが、ボチボチ揃えちゃおうかと・・・わりと私も収集癖があるので

2018年9月19日(水) 

そういえばブログにあげてなかったから記憶を遡りつつ…(笑)

エレ友さんといつか一緒にいければなぁ…と、思っていた「江戸東京博物館 」に去年の9月に行っておりました。

と、いうかこの博物館へは気になる特別展があると行ってましたが、実は常設展示は観たことがありませんでした。

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この日は『東京150年』という記念の企画展が模様されていたので、これを観に行った流れで常設も観てきました。

1868年(慶応4年)江戸が東京と改められ“東京府”が設置されてから、明治・大正・昭和…その間に巻き起こった、関東大震災からの帝都復興計画、第二次世界大戦から戦災復興そして、東京オリンピックをきっかけに東京は近代都市として目覚ましい発展をしていく…。

歴史と共に変わりゆく東京の姿を当時の地図や写真などを通して、東京の150年を振り返る内容でした。

www.edo-tokyo-museum.or.jp

常設展示はその東京の移り変わりが復元された建造物などによって、よりリアルに体験できます。

まず、中に入ると最初に『江戸城と町割り_日本橋』ということで、東京の中心となる“日本橋”の実寸大が出迎えてくれます。日本橋の上から下(5F)をみると左が江戸時代の右が明治の街のシンボルがあります。

江戸時代は「明治座」の建物が再現されていて、江戸時代の庶民の楽しみ暮らしぶりがジオラマ等で観ることができます。

明治時代は「朝野新聞社」の建物が再現されています。文明開化と呼ばれたとおり西洋文化が取り入れられた街の様子を見ることができます。

これは江戸城の本丸。

将軍に謁見するための白書院から忠臣蔵の「赤穂事件」でおなじみの松の廊下、大広間までを再建時の図面をもとに復元した建物の模型です。

こんな感じに時代ごとの建物、庶民の暮らし商業などが紹介されています。もちろんブログでは紹介しきれないのでここで一つポイントとして…

昭和30年頃から始まる高度経済成長の時に、住宅不足の解消のために急速に建ち始めた、『団地』の1室を再現したものがこちら。

これは西東京市にあった「ひばりが丘団地」を復元したものです。

エレファントカシマシ宮本浩次が育ち暮らしていた、赤羽台団地もこんな雰囲気だったと思います。

2年前の週刊文春に連載されている「新 家の履歴書」のコーナーに、宮本浩次が育った部屋の間取り図が載っていて 、だいたいこんな感じなのかなぁって思いながら見てきました。

週刊文春 2017年 3/30 号 [雑誌]

週刊文春 2017年 3/30 号 [雑誌]

 

江戸から東京…宮本浩次が東京に対する自己同一化を探求していた時代。

彼が自分の足で見て回った東京の街並みと照らし合わせた東京の歴史。それとは一線を引くものではあるけど、この博物館にくるとバーチャルにそれを体感できるので、楽しい場所だとおもいました。

そして、私も生まれてから東京という街で育ち暮らしてきたけど、知らないことが多く知りたい事も沢山見つけられたことが嬉しかった。

【宮本三十三景其の②】「岩淵水門」

水辺を学ぶシリーズ・河川整備の今昔「吾妻橋から岩淵水門」

「宮本三十三景」の散歩シリーズを復活させて、まだ行った事のない場所をピックアップしている中で見つけた。

『岩淵水門』ここへはまだ行った事がありませんでした。

宮本浩次が JAPANの取材で、少し離れた宮城地区という場所で撮った写真があって、その辺りへは行った事があったのですが。

今回はいつ行こかなぁと思案していた時に、春先から秋にかけて地元から水上バスに乗って岩淵水門までいける便があるので、そろそろ申し込めるかな?と、思って調べてみたところ、まだその船はスケジュールが出ておりませんでした。

ただ、イベント便というコンテンツがあったのでのぞいてみると、“水辺を学ぶシリーズ・河川整備の今昔「吾妻橋から岩淵水門」”というツアー参加の募集があったので、迷わず申し込んでみました。

下の写真の赤い橋が「吾妻橋」です。

吾妻橋 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

この水上バス隅田川を上り、岩淵水門へと行きます。

赤羽に出てから歩くと27分くらいかかるのですが、今回のこのクルーズは1時間少しで到着。先ほどの春から出航するクルーズは途中で止まる発着所がいくつかあるので、2時間くらいかけて遊覧します。

行きは隅田川周辺の地盤についての説明とその地形によってもたらした、川の氾濫と洪水被害について。その隅田川には『橋の博物館』とも言われるほど、様々な形状の橋がある。構造や歴史などの解説がありました。

そして、いよいよ…これは現岩淵水門(青水門)をくぐる動画です。


岩淵水門 往路


岩淵水門 往路2

青水門をくぐって赤水門まで貴重な経験でした❗

水上バスから観る旧岩淵水門(赤水門)

この通称赤水門は1916年(大正5年)着工、1924年大正13年)完成。

江戸時代から昭和初期まで荒川・隅田川は、台風や大雨による河川の氾濫にともなう水害が多発しました。旧岩淵水門は荒川放水路と旧河道(隅田川)との分派点に設けられ、隅田川に荒川の洪水が流入するのを制限していました。

goo.gl

 岩淵水門 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

昭和48年に荒川の基本計画が改訂されたことに伴い、水門の高さの不足が生じたことから、全面改築されることとなり新しい岩淵水門(青水門)がつくられました。

現在、荒川だけでなく隅田川沿岸もスーパー堤防や河川の整備事業の推進や計画がされています。庶民を災害から守る意味もありますが、遊歩道(テラス)を整備することで憩いの場にもなります。


岩淵水門 復路

行ってみてしみじみ感じたのは、生きてきた時代は一緒でも暮らす場所は別々だった私とエレファントカシマシがこうして、1本の川を通じて繋がった感じがして少し嬉しく思いました。

また、暖かい頃に行ってみたいと思います。

あの小島に上陸してみたい(笑)今回は上陸して辺りを散策するということがなかったので、アンケートにそういった行程を加えてほしいと書いて出しましたよ。

エレファントカシマシが(株)アミューズに移籍

新しい季節へ…夢を追いにでかけるぜ!

t.co

弁当作り終わった後でよかった・・・昨日の夜でなくてよかった…嗚呼びっくりした。

なんだかなーーー!もう…いろんなドキドキが…ない混ざった朝だよぉ。次男送り出した!

会報が必ずしも解禁日に届いているとは限らないから、FCページでお知らせしてくれてもいいのにね。 こういう後手後手がこれからは少なくなっていくのかなー(笑) 

昨日(2019/02/22)は朝に予想すらしていなかったニュースを目にして、心がザワドキキュー、ザワドキキューと忙しかった(笑)

昨日は次男の高校受験本命当日だったので、前日から早寝し朝から二人の息子のお弁当を作りでバタバタしていた。あらかた準備が終わって珈琲をすすりながら、PCを立ち上げTwitterをみると…冒頭の記事が!!

発送済みのFC会報「PAO」に詳細があるとのことだが、まだこの時点では手元に届いていない人も多く(私もその一人)、こんな大事なことをオフィシャルからのメールでもなく公式サイトからでもなく、スポーツ新聞の記事で知るとは!

まぁ、ガッカリ感の否めないTLが流れる流れる(笑)

私は自分の子供の事で気持ちがマックスだったし、エレカシサイドの後手後手についてはアルアルで少し反応が薄かった(笑)でも、冷静に考えたら確かに対処法はいくらでもあるから…上記のつぶやきに至ったわけです。

昨日は仕事もあったので、職場では単純作業を延々とこなし…気持ちを紛らせていた。気になることは次男の入試試験の事ばかりで、あまりエレカシの事は考えていなかった。次男のためにサーロインステーキ重を買って帰る帰り道…キレイな夕焼けでした。 日が延びましたねー☺️良いこと沢山あるような気がしてきた。 

私もできることならやってみたい夢はあります。でも、現実的に先立つものがなければ叶わない夢です。もし目の前に自分の夢に近づける信頼性の高い場所が提供されれば、きっと迷わずそこに夢をゆだねるでしょう。

夢を実現させられる人はそんなに多いものではない。夢そのものも形を変えることもある。そんな中の朗報だったと思っています。但し最後の最後までなぁ~んか後手後手だったけど、笑って許します。きっとこれからは、そんなことも思い出しながら懐かしんで笑っていくようになるだろうから。

前事務所からのメッセージ…

fme.jp

 

エレカシのファンに返り咲いて10年の間ではありましたが…

FAITH MUSIC ENTERTAINMENT様、

これまでエレファントカシマシとファンの橋渡しをしてくださり、本当にありがとうございました。

そして、浅い私がお礼などおこがましいとは思いますが、エレファントカシマシを20数年間、支えプロモートしてくださりありがとうございました!

FAITHさんの中で育まれたエレファントカシマシ、ファンでしかない私もその中の一員になれたような錯覚をするほどです。そんな身近にも感じられるエージェントだったと思っているので、大きな事務所に移籍したことは、そもそも身近ではないエレファントカシマシが、更に遠い存在になっていく現実をつきつけられて寂しさはぬぐえません。

可愛い子には旅をさせよ。ってこういうときに使うのかな?(笑) 私達が知らないだけで、相当まだまだ伸び代もあって、需要もあってこのままじゃ対応してあげられなくなってきたのかもなー。 大きい事務所でのびのびやれたらそれでいいよ😊

こんな親心的な円満退所となったのだと思います。

FAITH MUSIC ENTERTAINMENT様、これからのご発展と所属アーティストさんのご活躍を心よりお祈り申しあげます。

涙ぐましいほどエレファントカシマシの宮本浩次のファンなんだ…

昨夜(2019年2月19日)は、今年2度目?のスーパームーンが観れる日。と、いうことで期待していたのですが、生憎の雨空でした。夜半過ぎには見えた地域もあったようですが、雑務に追われそのまま就寝してしまいました。

でも、今朝のウォーキングの時にスーパームーンをお見送りいたしましたよ(笑)

夜に観えたとしても高く昇ってきて、良く観えるころには小さくなっていたと思うのですが、戻っていく月は再び大きくひときわ輝きも強く…幻想的でした。

 

さて、直近に発売された音楽誌2冊を読み終えたので、感じたことを少しだけ記しておこうと思います。※発売されたばかりの雑誌なので内容の詳細は書きません。

今回の表題には記事で語った内容からつけてみた。

雑誌には宮本浩次が30年以上の年月日々を、エレファントカシマシ宮本浩次として過ごしてきたということからの解放を堰を切ったように話していた。

それが、一人のミュージシャン宮本浩次としての第一歩。

JAPAN 2月号で「ソロの始まりについて語る」というインタビュー記事が出たけど、そこにはエレファントカシマシへの展望展開、宮本浩次の未来へのビジョンについては特に語られなかった。

発売前のブログに私はこう記していた。

yumcha-elekashi.hatenadiary.com

そして、読み終わった後の感想が…

yumcha-elekashi.hatenadiary.com

こんな感じでした。

宮本浩次が言っていた、四六時中エレファントカシマシ宮本浩次だった。私はその宮本浩次が四六時中好きだ。と、いうことです。きっと、他のエレファントカシマシのファンも寝ても覚めてもエレファントカシマシ、そしてエレファントカシマシ宮本浩次のファンだと、いう人が多いはずですよね。

今回の雑誌インタビューでは改めてソロに向けての気持ちや活動の一端を経験したメンバーの様子、自身のエレファントカシマシへの展望?などにも触れられていて、ずっと自分だけの憶測だった部分が少し明解になった気がします。

“MUSICA”を読み終えた直後のつぶやき…

MUSICA読み終わった。 ようやく、ソロ活動の先に新しい“エレファントカシマシ”への期待が込められている言葉が出ていて、スッとしたよ。

21:59 - 2019年2月16日

MUSICA(ムジカ) 2019年 03 月号 [雑誌]

MUSICA(ムジカ) 2019年 03 月号 [雑誌]

 

 “CUT”を読み終えた直後のつぶやき… 

CUT読み終わり!MUSICAと重なる部分もあるけど、よりいろんなことが宮本の口から明解に語られていて、自分の思っていた事と繋がって…そうだねぇ、安心したというか(別に不安ではなかったから)ちゃんと知ることができてよかった。「うん、だよね」っていう感じ。

8:55 - 2019年2月20日

Cut 2019年 03 月号 [雑誌]

Cut 2019年 03 月号 [雑誌]

 

ソロになってもう、エレファントカシマシ宮本浩次ではなくなる…という、わけでは全くないがソロはあくまでソロ活動。

エレファントカシマシではやらないできない曲で歌う事の挑戦。それがバンドに戻った時にどう反映するのかなんて、予測不能なのだ。

ただ、歩み始めたことがけしてマイナスに作用することはないそういう自信に満ちた、非常に前向きなインタビューだったと思う。ビジョンがはっきりしてくるまでにはまだまだ始まったばかり、ソロ宮本浩次の魅力が全開にもまだまだなっていないと私は思っている。

 

一人になってもついて来させてほしい(笑)
まぁ、勝手についていくか(笑)

 

それから、2誌読み終えて改めて感じたこと。

普段のしゃべり言葉というのは相手によって変わってくることはあるけど、基本的に宮本浩次の話し方、言葉はそこにはきちんとした礼節が備わっている。言葉使いや言葉選びというのは読書した分、言葉を仕事や生活の中で多く取り入れてきた分長けてくるかもしれないけど、育ちというものもにじみ出ている。

付き合う人との会話とか好きな人の言い回しとかからも影響をうけるから、私は善き人と関わるというのは自分にとってとてもプラスだな…そんなことをこの20年位で学んだ気がします。そして、これからも自らを律しながらコミュニケーションを取っていきたいと思う。

大げさだけど私はこうしてブログもやっているから…エレファントカシマシ宮本浩次、他にもキレイな言葉を教えてくれたアーティストのファンとして、恥ずかしくない話し方、言葉遣いは心がけたいと思った(雑誌なのに辞書引き引き読んだからw)。

【東京の空③】日本武道館

ブログをあげるのに久しぶりに「東京の空」のこの章を読んだ。

初めての武道館公演は1991年1月の新春「日本武道館3000席ライブ」です。私は同年3月に出産予定の長男を身ごもってました(笑)エレファントカシマシの“エ”の字もない頃です。

当時は「日本武道館」というものに思い入れもなかったと語られていて、適当な会場が取れず、当時のマネージャー綾部和夫氏からの武道館で3000席使ってやろう!と、いう斬新な提案で行われたという。

とがりまくっていた時代のエレカシでしたから、「武道館?だからどうした!」みたいな感じだったようです(笑)インタビューでは抑え気味で回想していますが、当時は割と荒れていたとは思いますけど。

その後、「今宵の月のように」がヒットしたことをきっかけに、再び武道館公演そしていきなり2days!動員が一気に増え満席にすることはできた。だけど、それが逆に「この状態を維持して行けるのか?」と、いう恐怖にも変わったとの事。その後、数年間は武道館公演を2daysでやったけれども次第に動員数が減ってきて、2001年の新春を最後に2009年の4月まで行われなかった。

今年の武道館新春LIVEの日記にも記したけど、やはり宮本浩次にとって日本武道館とは憧れの場所というものではなく、伏魔殿のようなイメージだったのかもしれません。

さて、私にとってのエレファントカシマシ日本武道館LIVEはその2009年4月から始まった。宮本浩次にとっても再びあの頃の緊張がよぎる瞬間だったのかもしれない。

武道館で再び新春LIVEが行われたのは2011年。

2012年は震災の影響で取れなかったのかな?2013年は活動休止中。2014年はさいたまスーパーアリーナ。2016年は東京国際フォーラム大阪フェスティバルホール各2days、2018年はNHKホール、大阪フェスティバルホール

2011年以降の新春も武道館でやっていない年もありますが、それには売れなくなったからという要素はまったくない。意味があっての会場選びだったということがわかる。

宮本浩次にとって日本武道館は自分のアーティストとしての力量を計る、そんな場所でもあるが、30周年ツアーを機に「もう大丈夫」という自信もついたから、逆に武道館という伏魔殿を恐れることはもう無くなっただろうと想像します。

そして、これからも「新春は武道館」という形をとるかとらないかも、もはやそういう縛りからも解き放たれたかもしれない。

 

yumcha-elekashi.hatenadiary.com

 

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宮本浩次(エレファントカシマシ)『東京の空』

宮本浩次(エレファントカシマシ)『東京の空』

 

 

「冬の花」シングル配信ダウンロード“1位”になって

冬の花」がシングル配信1位を取った!宮本浩次、念願の1等賞です!

その1位を取れたのはドラマのタイアップ曲で広く「大衆」に向けた歌謡曲にしたからだと思う。歌謡曲の持つ浸透性はかなりの力。バンドではなかなか表現できない曲調。エレファントカシマシの楽曲は「玄人向」なサウンドなのだと思う。同じ作者でも大衆向けか否かだけの事。良さの優劣ではないと考えてる。

「今宵の月のように」「俺たちの明日が」ヒットしたのは(1位ではないけど)、大衆に向けた作品だったからでしょう。より共感されやすかったから。
冬の花」はあのベタなドラマ作品に書き下ろされた曲。大衆の中の大衆にうけないわけがないのだろう。

配信売り上げの1位になれた事は素直に「よかったね」とは思っているけれども、とりあえず…次はシングルCD売上1位をめざそう!って感じかな(笑)

自分の身に置き換えて考えてみたらわかるでしょ?良い曲だと思っていても、CDを買ってまで聴こうとは思わない。って、あなたは何度言ってきた?そして、200数十円なら買って聞いてみようかって人も多かったはず。だけど、ポチらせたっていうのも一つの勝利。ただ、まだまだこれからだよね。

私はあえて、「冬の花」をアナログ盤で出すというのはどうだろうか?って思ったよ。どうせCDとか売れない時代だし、配信で1位取れているし…。このソロシングル「冬の花」が、既存のファンの事とか以前にもっと身近な大衆にも受け入れられたなら、今度は既存のファンが特別な思いで買うとしたら…アナログがむしろ新鮮な気がする。『歌謡曲』の姿がジャーーン!って形になると思うんですよね。

CD化してくれという声も多いけれども、配信でダウンロードしたらCDはたぶん売れない。でも、レコードプレーヤーを持っていなくても、形として何かを持つのであればよりプレミア感の得られる、アナログレコードにしてくれたら私なら買うと思う。もちろんそこにはMVのDVDを特典に付けてだけどね(笑)

 

冬の花

冬の花

 

さて、これは私の勝手な想像ではありますが…。

何かで読んだんだけど、ミヤジのお母さんは歌手志望で?養成所(ビクター音楽学院)にもいたことがあるって。島倉千代子さんと同期だったとか…。

ミヤジがソロの第一弾に歌謡曲を選んだのは、『歌謡曲』がただ好きだからっていうわけではなくて、お母さんの夢も叶えたってことかな?とか…思っちゃった。

薔薇の花をトランクいっぱいにして暴走する姿もなんとなく、お母さんに見てほしかった悔しさの表れのような見方もできるような…ふと、そんなことが頭をよぎったんだよね。

MVに関しては誰がどういう風にストーリーを考えているかはわからないし、ただ言われるがままの演出なのかもしれないけど。

謡曲冬の花」で1位を取れたことは…ミヤジには取りたかった1位に過ぎないかもですが、歌謡歌手になりたかったお母さんへの思いがあったのなら、これはとても素晴らしい贈り物になったに違いないよな…って。

そんなことを「冬の花」が配信1位を取ってから考えてる…。

 

冬の花

スノードロップ

和名:待雪草(まつゆきそう)

花言葉は「希望」「慰め」そして、「恋の最初のまなざし」
宮本浩次エレファントカシマシ) のソロシングルにも似合っている花のような気がしますが...😊MV はドラマ寄りの演出だったのかな(笑)

さて、スノードロップには伝説話しがあります。

アダムとイヴ
禁断の果実を食べてエデンの園を追われたアダムとイヴ。悲しむイヴをあわれんだ天使が、舞い落ちる雪をスノードロップの花に変えます。
天使は「もうすぐ春がくるから絶望してはいけませんよ」とふたりを慰めたといいます。

アダムとイブが禁断の果実を食べてから、人には様々な試練が与えられるようになったのよね?エデンの園から追放されたと言われているけど、結局はそれが「人生」という旅を人が歩むようになった…そのはじまりの物語…。

調べてみたらますます歌詞の世界観(笑)

ミュージックビデオの冒頭の中央に赤い花のようなマークがありますが、これはきっと劇中に登場する真紅の薔薇をイメージしたのでしょう。

でも、形はこの頭を垂れたスノードロップにも似ている気がします。私が抱いた「冬の花」のイメージはこちらの方です。

車のトランクにいっぱいのバラの花と言って思い出す話があるのです。

何かと言いますと…敬愛する佐野元春キンキキッズの番組にゲストで出た時に、若かりし頃に恋人の誕生日に彼女を車で迎えに行った時、トランクいっぱいのバラの花を積んで行ったという話をしたのを思い出しました。

「若い頃はキザなことを沢山した方がいい」って笑って話してた。

このMVに出てくる男はフラれてしまったのか?「赤い薔薇」のキミを失ってしまったのか?あの暴走ぶりが尋常じゃないからなぁ…(笑)

 


宮本浩次-冬の花

いずれ花と散る わたしの生命
帰らぬ時 指おり数えても
涙と笑い 過去と未来
引き裂かれしわたしは 冬の花

あなたは太陽 わたしは月
光と闇が交じり合わぬように
涙にけむる ふたりの未来
美しすぎる過去は蜃気楼

= 中略 =
全文はこちら

ひと知れず されど誇らかに咲け
ああ わたしは 冬の花

胸には涙 顔には笑顔で
今日もわたしは出かける

何年か前に送った手紙にこんなことを書いた。

「私にとって宮本浩次は、遠く輝く手に届かぬ星であって、勇気をくれる太陽のような存在。私はその太陽によって輝く月のように、迷い彷徨う暗闇を歩んでいる時に足下を照らせるファンでありたい。」

冒頭の歌詞を読んだ時にハッとした。ファンは皆、宮本浩次に照らされているお月様だと思った。宮本浩次がコラボやソロ活動をすると知った時、過去のエレファントカシマシの活動が美しく蘇っただろうし、これからの宮本浩次エレファントカシマシの活動についても優しく見守りはじめた。暗闇道を照らす月のように感じたから。

そして、この曲が本日(2/13)には各配信会社のランキングで“1位”となって、そのことに歓喜している。そんな健気な「胸には涙 顔には笑顔で 今日もわたしは出かける」そんなファン達がいっぱいで私の顔は笑顔になります。

冬の花

冬の花

 

あ!

ちなみに私はレコチョクハイレゾ版を購入しましたよ!