ほゞ、エレカシ漬

私が好きなエレファントカシマシの事を軸に音楽のことを綴るブログ

30th ANNIVERSARY TOUR ”THE FIGHTING MAN” FINAL まで…

3.17 さいたまスーパーアリーナ公演

まで、一ヶ月を切りました。曲予想、勝手にリクエストとか(笑)いろいろやれる企画はありますが、最近、ずっと考えていることがあるのでそこから…。

通勤中に聴いてて「あれ?」と、気がついたというか…「ん?」って思った事。

 

「未来の生命体」*1を聴いていたら “全てを未来に預けてきた” とか、

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まずはこの部分がひっかかった。

次は「勝利を目指すもの」*2 を聴いていて

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“友” とは分の事で…知ってか知らぬか、昨今の自分を予想したかのように信じて歌ってきた証だな…って…。

この2曲を拾っただけでも、ミヤジの未来予想図はちゃんと歌の中にあった!って改めて思った。

未来の生命体が収録されているミニアルバム「DEAD OR ALIVE*3は、直訳すると“生死”生きるか死ぬかの瀬戸際って意味で、ある意味遺言のように作ってたのかな?預言書のように残したのかな?って思ったくらいで…当時の状況を知ろうと思って、ようやく 俺たちの明日 上巻―エレファントカシマシの軌跡を開き読んだ。 

ポニーキャニオンから東芝EMIにレコード会社が変わって、一時期バンドメンバーとの間に空白の期間があった。本を読むにつれ…“エレファントカシマシ”を名乗りながらも事実上は“宮本浩次”の単独期間があった。バンドとしての再始動がこの「DEAD OR ALIVE」。

次の勝利を目指すものが収録されている「風」*4は、バンドに帰ったものの…なんとなく風に揺れているのでは?っていう宮本の心情も見えたりなんかして…。でも、このアルバムには友達を心のよりどころにしてみたり、期待を持っていたり…夫、父親のような心境にも近かったのかな?

「俺がやらないで誰がやる。こいつらがいるのに…」

そんなアルバムだと思っていて、“勝利を目指すもの” “友”は実は宮本自身の事と思ったのは、自問自答して己と対峙し自分の心を確認しながら歌っている…って、思えた。意識してたかそうでないかはわからないけど…私には展望がちゃんとあって作っていた時期のような気がした。

EMIの契約が打ち切られる予感を口にしていたエピソードを何かで読んだ。宮本に何か秘策があったのかどうかはわからない。でも、もうすでに次が見えていたとしか思えないし、見えていたとしてプロモーションや音楽的な方向性も決めていたのか?だとしたらやはり、宮本は相当な策士だと思う。

その生き様が まだ見ぬ友へ
未来の人の“笑い”となるように…

極めつけはこれ。

未来の自分(仲間や関係者)とファンの笑顔になるように…“行かなきゃなるまい”で、ここまで来ちゃったよね。 今が思い描いていたものではないかもしれないけど、あのころ未来に置いてきたものが花を咲かせている。その花を摘んで花束にできたのではないだろうか?

30th ANNIVERSARY TOUR ”THE FIGHTING MAN” FINALは、いったいどうなってしまうんだろうね…?25thの時に

エレファントカシマシは、さいたまスーパーアリーナを埋めることができるんだ!」

っていう自信が芽生えた。でもあの時は活動休止明けのご祝儀要素もあったと思うから、今度の30thこそが真価なんだよね。

エレファントカシマシは確実にこの5年間で盤石な活動基盤を作ってこれたと思う。今まで出していなかったことを切り売りしながらでも、この先は充分にやりたいことはやっていけるのではないだろうか?例えばマイナー路線でマニアックにいったとしてもそれはそれで目新しくみえるだろうし、何をやってもそれはそれであたりそうな気はしてる(笑)

 

 

*1:2002.12.26 13th ALBUM「DEAD OR ALIVE」(ミニ・アルバム)

*2:2004.09.29 16th ALBUM「風」

*3:Dead or Alive

*4:風

二十歳のとき、私は何をしていたか…

昨日発売されたPOPEYE 851号のテーマが『二十歳のとき、何をしていたか?』で、各界の有名人の二十歳のエピソードが紹介されている。 

POPEYE(ポパイ) 2018年 3月号 [二十歳のとき、何をしていたか?]

POPEYE(ポパイ) 2018年 3月号 [二十歳のとき、何をしていたか?]

 

この中にエレファントカシマシ宮本浩次のエピソードも…

ミヤジのインタビューは目新しい情報はなかったけれども、最近はあまり語られなかった、20歳の頃に恋愛していた人との話が頁の片隅に載っていた。

この彼女とのことかは不明ですが…クリスマスイブの晩に、彼女が作ったフライドチキンを空腹の苛立ちでチキンの皿をひっくり返した話しは有名。

胸が痛むけど私にも似たようなエピソードがある。

私も20歳の時にはお付き合いしている人がいた。出会ったのは19歳。

思い出すのは…セピアやモノクロの思い出ではなくて、色鮮やかで輝きに満ちた思い出です(笑)

待ち合せの時間に遅れて来た彼。一緒に食べようとファストフードを買って待っていた私。携帯なんてない時代。“遅れるよ”と伝える術もなく仕事をやっと終えて登場した彼。若気の至り…私はかなり不機嫌で謝る彼をなかなか許さない。

とうとう、彼は逆ギレする。
私はファストフードの袋を駅のゴミ箱に捨てる。

離れて歩きながら家に帰る。途中、私は道を変える…また、合流する。泣きながら私謝る…。そのあとは……。

こんななんでもないよくある?恋人同士の痴話喧嘩も30年以上も経つとホントキラキラするものだ(笑)

私は成人式の振袖を自分で買った。そんなことで大人になった気持ちを味わっていた気がする。22歳で当時の彼と別れた後に運転免許を取って、軽自動車(SUZUKIアルト)をローンを組み新車で買った。

友達や母を載せてドライブしたり買い物に行ったり、夜中に一人ドライブしたり…今みたいにナビもなかったから、誰かといった場所が多かったけど湾岸線を走るのが好きだったなぁ。

私が失恋後の立ち直り期間中(笑)に、エレファントカシマシはメジャーデビューをしていたのね(笑)私は彼らの存在を全く知らないで、結婚や育児で10年ばかり生きてきました。

 

2008年12月17日:宮本の路・・・泉岳寺

私の旦那は忠臣蔵が大好きで、暮れも押し迫る頃のテレビ番組欄に忠臣蔵赤穂浪士大石内蔵助などのワードをみかけると、熱く語りだし耳にタコができるほど聞かされてきました(笑)。なので、四十七士の眠る泉岳寺は知っていたし少し興味がありました。

宮本浩次(エレファントカシマシ)『東京の空』の特別編の中に、この泉岳寺も紹介されています。

中門を入ると右側にお土産物屋さんがあるのですが、その前で撮った写真なんかもあります。

そして、ミヤジの母校(高校)がこの泉岳寺の隣りにあります。

本には“12月の討ち入りの頃になるとお線香の匂いが漂うのだけど、期末テストなんかの頃で…”そんなエピソードを絡めて、高校時代の話しが綴られています。

旧暦の12月14日が赤穂浪士討ち入りの日で、その3日後に泉岳寺へ訪れた時の日記です。

 

今日は冷たい雨が降る中、 赤穂四十七士の眠る「泉岳寺」に行って参りました。 

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 ▲泉岳寺中門

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 ▲泉岳寺山門

去る、12月14日(赤穂浪士討ち入りの日)*1は、江戸城内の松の廊下で赤穂藩藩主・浅野内匠頭が・吉良上野介に切りつけた、松の廊下事件に端をはし、加害者とされた浅野は切腹となり、被害者とされた吉良はおとがめなしという結果に、不服とする大石内蔵助をはじめとする赤穂藩の旧藩士47人(赤穂浪士、いわゆる“赤穂四十七士”)が本所・吉良邸へ討ち入った日です。

吉良邸から引き揚げた浪士は浅野内匠頭菩提寺である泉岳寺に向かい、吉良の首を浅野内匠頭の墓前に供えた。
その後の浪士たちは切腹をし、その亡骸がここ「泉岳寺」の 墓所に葬られています。

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 ▲大石内蔵助

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 ▲赤穂四十七義士墓所入口

 

たぶんこの土日は、四十七士をお参りする観光客も多かった事でしょう。

この雨の中、私も訪れた一人でありますが、雨の泉岳寺は香を焚く匂いが立ち込め、数人の人が訪れて手を合わせていました。

墓碑をみますと、20代・30代・40代・・・若い人が多く、大石内蔵助の息子、主税(ちから)にいたっては若干16歳で切腹です。
昔で言う16歳と言えば、元服(成人)・・・15歳で成人として扱われていたから、討ち入りに参加し沙汰も受けるというのは当たり前の時代でした。

赤穂浪士」「忠臣蔵」の話は、忠義に厚い家臣の美談として知られていますが、歌舞伎の演目として創作された部分も多いらしい。

私の住む町は赤穂の義士たちにとっては敵となる「吉良上野介」が暮らした町(吉良邸跡)が近い。
後日、そこも訪れてみようと思う。この辺では、吉良上野介は良い殿様で知られているらしい。

さて、前置きが長くなりましたがここ泉岳寺宮本浩次の母校にとても近く、実はそんな事とは知らずに、数年前に来た事があります。子供(長男)の外部テスト(模擬試験)会場だったので、何回か通ったことが・・・。

 

ここがそのミヤジの母校(校門)です。

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忠臣蔵』というのはあくまで歌舞伎や人形浄瑠璃の演目名であって、史実上では『赤穂事件』というらしいです。

  

この赤穂事件に脚色がされているのが、一般に知られている『忠臣蔵』なのですね。暮れになると多チャンネルのどこかで関連している映画やドラマなどが放送されるので、旦那は飽きもせず時間が合えば観る。

そして、義士達の忠義や江戸の町の人情の場面になると泣きながら観ている。これまでに大石内蔵助を演じた役者の人は沢山おりますが、

松本幸四郎(現、二代目松本白鸚)、市川染五郎(現、十代目松本幸四郎)親子が大石内蔵助大石主税の親子を演じた作品が私の中で印象がとても強い。

その二代目松本白鸚の弟、中村吉右衛門の演じた大石内蔵助もなかなか好きです。

 

忠臣蔵 花の巻 雪の巻
 

 

忠臣蔵 決断の時 DVD-BOX

忠臣蔵 決断の時 DVD-BOX

 

 

*1:元禄15年12月14日(西暦1703年1月30日)

2008年12月10日:武蔵野の男 下総の女

最近は宮本浩次の事を“ミヤジ”と呼んだり、“宮本”呼ばわりすることが多くなってきたけど(笑)この頃はまだ、どう呼んでいいのか戸惑ってる時期ですね。

周りには彼を“先生”と呼ぶ人もいたりして、でも先生ではないな…と思っていて(笑)(私の方が2週間くらい年上だしねw)

宮本氏とかミヤジ氏とか… だったね。すぐに“氏”は取れてくるけどw

 

ミヤジ(宮本浩次)氏は、武蔵野に思い入れがとてもあるらしく歌にしてしまったほどです。

武蔵野/「good morning」 

good morning

good morning

 

 

 東京はかつて木々と川の地平線・・・

 武蔵野の坂の上 歩いた二人・・・

 

ミヤジの生まれ育った街、北区赤羽はそんな武蔵野台地にかかっている荒川に程近く、川向こうは埼玉県。
彼が暮らした団地は小高い丘になっていて、坂道があるようなところ。

まだ、エレファントカシマシをよく知らない頃に偶然に一度だけ、赤羽団地を訪れ歩いた事がある。
今思うと、訪れたのは日曜の午後だったのに静かなところだった。
たぶん、ミヤジが子供の頃にはもっとにぎやかで子供達の騒ぐ声が沢山聞こえただろうな・・・そんな事を思った。
高度経済成長の頃には、団地と言うものが夢の住まいで沢山の若い家族達が入居し、そこで子供を生み育てていたと想像できる。

ミヤジはそこで、恋もしていたのだろう・・・


私は下総国、千葉県との県境、江戸川区で育った。
ここは東京(23区内)でも本当に田舎の中の田舎だった。
私が暮らしていた頃は、田畑が沢山あってザリガニをとったり、空き地もいっぱいあって、野花で遊ぶ事もできた。
河川敷に生い茂る、ススキのような背丈の高い草をつかって秘密基地を作ったり(20世紀少年 -第1章- 終わりの始まりにも出てきたけど)、迷路のように、獣道を作ったりと野生児のように暮らした。


そんな、北区も江戸川区も今はすっかり人の住む街になり、昔の面影もなくなってきているだろう・・・。

江戸川区は更に如実に違いが出ている・・・何年か前に行った時、あまりの変わりように、正直唖然としたほど。
20代の頃、付き合っていた彼のアパートも、彼の通っていた銭湯もなくなり迎えに来てくれた地下鉄の駅も、駅ビルになりバスのロータリーまでできパチンコ屋、ファミレスまで・・・想像もつかない発展ぶりです。
淡い恋の思い出は、幻に・・・(そういえば、その彼は武蔵野国育ちだったな・・・)。

 
でも、たぶんあの河川敷だけはそんなに変わっていないと・・・ぜんぜん見に行っていないけれどもね。

読んでて気がついたのは、江戸川区が田舎町であった期間は長く、北区はすでに高度経済成長で人が暮らす街だったじゃんってこと💦江戸川区は私が結婚し離れてからも数年の間、田畑の残る様なところだったわ。

 

江戸川区、北区、共に戦時中に軍需工場がありました。北区の軍需工場の規模はかなり大きいものだったようですが…。私が今住んでる街にも多かったです。江戸川、荒川、隅田川周辺は空襲の被害も多く、戦後焼け野原なった地域ですね。

 

なぜそこに着目したかというと、2009年の夏に『康子十九歳 戦渦の日記』という本をもとに『康子のバラ ~19歳、戦渦の日記~』というドキュメンタリー番組が放送されて、私はその番組がきっかけで本を購入して読んでみました。

康子さんは東京女子師範学校の学生在籍していたが、北区の十条・王子にあった軍需工場で勤労動員として働いていた。本の冒頭にその場所が登場する。赤煉瓦で囲まれた要塞のような施設…。

エレカシがデビュー30周年で出した。『All TIME BEST ALBUM』のデラックス版に付いていた、期間限定特典映像の中で語っていました。

「まだ、カメラマンになる前の岡田くんが俺を撮りたいっつって、昔、軍需工場があった場所の塀の辺りで写真撮ったんだよ。」(デラックス版の写真集にはその写真もあります。)

この言葉を聞いてとっさいに思いだしたのが、この本の事でした。

ちょっと日記の内容とかけ離れてしまうようですけど、この本を思い出したついでに綴らせてもらいます。

この康子さんは工場の中で兵器部品をつくる部署に配属されるのですが、そこでコンビを組む男子勤労動員3人に自宅の庭に咲いた「赤い薔薇」を差し入れしたという記述がありました。雑然とした兵器工場に彼らは、康子さんが差し入れする庭の花を飾り作業に励んだという。

『康子のバラ』は確かこの場面の一回しか登場しませんが、このバラを受け取った工員のお一人が台湾からの留学生だった男性で、彼の記憶には深く残っていたようです。のちに康子さんに思いも寄せていました。

このくだりを読んで、エレカシ赤い薔薇を思い出したし、悲しみの果て「花を飾ってくれよこの部屋に」も思い出した。でも、康子さんは華やぐ街の赤い薔薇にはならず、彼女に思いを寄せたまま自国に帰国した、男子留学生の記憶の中の赤いバラになってしまいました。

私はこの話を関連づけるつもりはないのですが、連想させたエピソードとして記し残したいと思いました。

康子十九歳 戦渦の日記 (文春文庫) 機会がありましたらご一読ください。前半はエレカシの曲がBGMで脳内再生されることが多かったです。

康子さんのお父上は公人で戦争当時、広島市長をされていて原爆で亡くなったようです。康子さんは被爆し生き残ったお母様を看病するため広島に行き、二次被爆の末に20歳目前の19歳で亡くなったそうです。

花を飾ったその軍需工場の跡地がある北区で、青春時代を過ごしたエレカシのメンバー…悲しみの果てに素晴らしい日々を生きています。

 

 

エレファントカシマシ

エレファントカシマシとは編集

 

 

2008年12月02日:天才?宮本浩次

自分の才能に対して『世界屈指』表現者…と、分析し自負してるのが記憶に新しい。WikipediaのTOP画面の写真を変えてみました(笑)

 

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あまりに宮本浩次の事を“天才、天才”絶賛されているので、なんとなく天邪鬼な気持ちがムクムク出ていたんでしょうか?だから、こんな日記を残してしまったのでしょうか?💦

悪気は全くないので何卒、ご容赦のほどよろしくお願いいたします(笑)

 

「天才(鬼才)」の持ち主なのか?「宮本浩次」は…。 
多くの人が、ミヤジは『天才』と言うけどね。
天才に関する記述↓↓↓

『天才 - Wikipedia』

 

ある意味当たっている・・・と、認めざるをえないが、天才と呼ばれた人は寿命が短い・・・ような気が・・・
ピカソとかアインシュタインは長寿だったけどさ)
天才ミュージシャンと呼ばれた人は、早死にしている人が多い。
ジャニス・ジョップリンジミ・ヘンドリックス・・・
私はミヤジには長生きしてほしいなって思う(笑)
だから、あえて私は宮本浩次を「天才」とは言わない。

彼の才能は「自然的必然性」の上に与えられたと。
シャーマン*1に近いかも? すぐトランスしちゃうし?

少年期のNHKの合唱団入団も、中学時代のエレカシメンバーとの出会いも全てにおいてね。

そういう自然的必然性から開花した 「才能」なのだ。
ゲーム的に言えば「選ばれし者」なのだ(笑)

 

つまりまぁ、それが「天才」だってことなんじゃん!と、自分でつっこんでしまいました(笑)とりあえず、ちゃんと“才能”という点に着目していて安心しました💦

「天才」って天性から持っている才能だけど、「天才」と呼ばれるための「目覚め」が必要だと思う。

自分で気がつく場合もあるだろうけど、周りが気づいて導かれる場合が多いだろうし、その才能を伸ばすための環境を与える必要もあるだろうから、理解とか協力とか不可欠だろうな…と、思う事も多い。

誰にも気がつかれず埋もれていく“才能”がほとんどではないかなぁ…とか、そんな中よくぞ!って思いますよ。

謂わばほとんどの人がある時点でアイデンティティの崩壊を体験する中、宮本浩次のように才能を開花させ。アイデンティティの確立(自己肯定感)”をさせられる人はいないと思う。

 

さて、はてなブログ今週のお題「ゲン担ぎ」だそうですよ。

エレカシはツアー中、“ゲン担ぎ”のために好物を食べなかったとか…逆に普段の習慣を場所が変わってもするとか…あったようです。FC会報の中身なので詳細は書きませんが…。

 

私は何かゲン担ぎをするか?というと…したことがない(笑)

毎日、何か善い行いをするのは難しいけれども、せめて悪い行いだけはしないように努めたい…悪行をしないことで、たまにする善行がキラッと光る気もするから。

徳は積んでおきたいよね。いざという時のために。

エレファントカシマシ

エレファントカシマシとは編集

 

*1:シャーマンとはトランス状態に入って超自然的存在(霊、神霊、精霊、死霊など)と交信する現象を起こすとされる職能・人物のことである 

2008年11月27日:宮本の路・・・上野東照宮

はじめてのゆかりの地巡りの日(2008年11月26日)、ジュンク堂の帰りにも一カ所立ち寄りました。上野東照宮です。東京育ちの私にとって上野は身近な憩いの場所であり、思い出も多い場所です。両親の実家に帰省する時も上野駅からだったし、動物園にもよく連れて来てもらったし。

ただ、知らない場所も多数…上野の知らない歴史も多かった。ジュンク堂の動画と同じ配信番組だったと思います。上野恩賜公園~その界隈を紹介するシリーズがあって、それを観ていたので立ち寄ってみたかったのです。

上野の東照宮に関しては存在は知っていたけど、来てみたことはなかったので…。

 

11月26日(ジュンク堂からの帰り)の続き…

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ファンの間では有名ですよね。
ミヤジが史跡巡りが好きと言うことは・・・
何かのインタビューで、日光と上野の東照宮について話していることがございました。

彼らの曲にも「上野の山」ってのが登場しますしね。

今はどうか知りませんが、宮本氏、上野のあたりは良く散策されたものと・・・

歌詞の中に出てくる「五重の塔」もアップさせていただきます。

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すっかり秋めいて、風情溢れるところでございました。
日が暮れてきていたので、人影もまばら落ち葉掃きをする高校生?ボランティアさん達がいたくらいでした。

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東照宮」と言えば、日光が有名ですが
これは
藤堂高虎(とうどう たかとら)」
(戦国時代から安土桃山時代、江戸時代前期にかけての武将・大名。伊予今治藩主。後に伊勢津藩の初代藩主となる。藤堂家宗家初代。)が、屋敷内に「徳川家康」を祀るために建てたのが、この上野の東照宮です。

 

この“上野東照宮のことがジュンク堂で購入した書籍、江戸城と大名屋敷を歩く (こだわり歴史散策) に、わかりやすく説明が出ていました。早速、お役立ちしました。

この日を境に春と夏にと何度か東照宮に来ています。なので、別の季節の東照宮も後々、ご紹介できると思います。

このあと江戸の成り立ちとかも色々知ることができたことに、有意義なきっかけを与えてくれたよなぁ…って、宮本浩次には感謝しきりです。

好きな人が興味があるからと言って、必ずしも影響されないのですが、私もこういうルーツをたどる…ということが好きだったし、住んでる者として興味をそそられないわけがないのです。

にわか仕込みではあるけれど、40過ぎで「何かを知る」きっかけを得ることは、とても嬉しいことでした。

エレファントカシマシ

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2008年11月26日:「宮本の路」略してミヤジと題する散歩 その1

mixiでのエレカシファン初期的な衝動アルアルですが、当時の活動中にやはり宮本浩次の足跡をたどってみる…登竜門ですかね?(笑)私もせっせとやっておりました。

今でいうと(前からそう言ってた?)≪聖地巡り≫…でも、私は今でもこの聖地巡りという言葉は使いたくなくて、使わない…。その代わりとして『宮本の路』という名前をつけて、足跡巡りの散歩をはじめました。

これはその記念すべき初めての縁の場所巡りの日記です。

 

今日はお仕事がお休みの日です。お休みの日は好きなところへ出かける!
そして、今日こそはあそこへ行くんだ!と、心に決めていました。
自問自答の末、結論した私の気持ちと同じように今日は見事な秋晴れ♪散歩日和でした。

さて、
「宮本の路」とは、エレファントカシマシ
宮本浩次(みやもとひろじ)さん、縁の地を訪れる散歩。
と、いった意味です(笑)

その1回目といたしまして、知る人ぞ知る
宮本氏のご用達書店、ジュンク堂書店へ今日は行って参りました。
もちろん、行くだけではなく本も買いましたよww。

 

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れは正面写真です。
さすがに店内は撮影する勇気が・・・
店内には宮本氏も利用したカフェがありまして、
テラス席で取材を受けていたことがありますが
そこで私も・・・と、思ったのですが
誰もテラスにはおらず、ちょっと躊躇しw
中でお茶しました・・・テラスの写メ・・・
撮れませんでした。 
また、行こうと思うのでその時は撮ってこよう!

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このベンチ何?とお思いでしょう。
これはジュンク堂1Fのレジ近くにあるベンチです。 

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※当時UPされていた動画より…

宮本氏は取材後、本を購入しここで一休みしました。
ハイ、私も座りましたよ。

ミーハー丸出しですが
でも、ここの本屋さんはいいですねぇ♪
本好きにはたまらん所です。
地元の本屋で見つからない時は、ここへ絶対来る!
そんな風に思いました。本屋はいいよねぇ・・・

 

この日、ジュンク堂で買った本は忘れもしません。

こっちを向いて陳列されていて、目が合ったので迷わずに買いました(笑)

もう一冊、江戸城と大名屋敷を歩く』

後々、この本のおかげでただ縁の地を歩くだけの散歩ではなくて、色々と調べながら歩けてとても有意義なものになりました。

 

今も時々になってしまいましたが、宮本浩次が歩いたであろう場所、イメージさせる場所に行ってみたりしています。たまたま、自分の暮らしている街がその舞台になっている場合もあります。

振り返りながらまた紹介できると思います。

風に吹かれて -エレファントカシマシの軌跡

風に吹かれて -エレファントカシマシの軌跡

 

 

江戸城と大名屋敷を歩く (こだわり歴史散策)

江戸城と大名屋敷を歩く (こだわり歴史散策)

 

 

エレファントカシマシ

エレファントカシマシとは編集