また、あした…

私が好きな音楽のことを綴るブログ

エレファントカシマシ@日比谷野外大音楽堂2020

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前置きが長いのでお気をつけください(笑)

2020年8月6日

エレファントカシマシオフィシャルサイトは、恒例となっている日比谷野外大音楽堂でのLIVEを2020年も開催すると発表しました。

ステイホームがあけてもこの夏は野外フェスでさえ、軒並み中止が発表されアーティスト達の演奏活動に、明るい兆しがないままの状況でした。

チケット販売をする告知だったので、どのくらいの人数を入れどのように対策するかは、政府からのガイドラインに沿って行うとだけです。

ファンクラブからもチケット先行販売の告知はありましたが…都内在住だからひょっとして当たるかも?とか、期待しましたが事態はそんなに甘くありません(笑)

9月上旬

政府はエンターテイメントの興行に関する、新型コロナウイルス対策として、5000人までに制限していた、大規模なイベント参加人数について、上限を収容定員の50%までに緩和をすると決めました。

無観客LIVEや無料配信などアーティスト達は、この間もずっと音楽を届け続けその中で、宮本浩次もソロとしてインスタやWOWOWで、LIVEを配信していたので、野音も同じようにやるだろうという期待はありました。

一般のチケット販売のアナウンスが入りました。それと一緒にLIVE配信が行われることも決まって、どうあれエレファントカシマシ日比谷野外大音楽堂の31年目のLIVEに、立ち会える資格は得られそうでした。

私は迷わず配信チケットの申し込みはしました。

9月中旬

宮本浩次のプロモーションが盛んに行われ、メディアでの露出が多くなり、それに伴ってエレファントカシマシもテレビの音楽祭に出演が出てきて、嬉しいような怖いような…なんとも説明のしづらい感覚に陥りました。

私は宮本浩次がソロとして出演した番組をほとんど観ていません。エレカシのフロントマンとして一人で出ている時は、何の気もなく観れたのに観たいと思わなかったの。

そして、テレビにエレファントカシマシが出ても、カメラは宮本ばかりを追って、宮本もスタジオ中を動き回って、メンバーと一緒という感じがまったく感じなかった。

9月下旬

テレビにエレファントカシマシが出ると知っていても、録画をしたまま観ていない。徐々に野音の配信ライブを私は視聴することができるのか?

私が知っているエレファントカシマシは、2019年の新春ワンマン以来で止まってしまっている。その後、夏フェスで1回・・・2020年の新春は大阪の中継・・・。

エレファントカシマシ日比谷野外大音楽堂を、中で聴けたのは2018年が最後です。だから、この時の野音でのエレカシが最終更新です。

待ちに待ったエレファントカシマシのLIVEです。

なのにだんだん彼らはどうなっているのか?そんな不安にも似たような気持ちになったのです。他のメンバーも個人的にリハはしてきたでしょうが、レコーディングがあったわけでもなく、宮本との壁はないのだろうか?

不仲のような心配は全くないけど(笑)呼吸のようなものが吉と出るのか凶と出るのか・・・、漏れ伝わる宮本のソロでのキャラが、エレカシのLIVEでいかがなものか?

正直、怖くなっちゃったんですよね。ただ恒例的、慣例的にやるだけなら・・・どうなのよ?とか(笑)

2018年の暮れに宮本のソロプロジェクトの話題が上がって、その時の私の気持ちはこんな感じでした。

yumcha-elekashi.hatenadiary.com

この時の私のソロへの期待がエレカシにどう反映しているのか?まさに今年の野音で聴けるのではないか?

そう考えるのは私にとって必然だったわけです。だから、余計に怖くなった・・・。

2020年10月4日(日)当日

この日の朝までチケット代を支払えずにいましたが、聴かないで後悔するより聴いてなんかあれば文句を言おう!とか、わけわからん気持ちでお昼に支払って、待機することにしました。

https://www.instagram.com/p/CGBubPUpBO6/

久しぶりにLIVEレポ書く✏️(笑)

2020/10/04(日) 日比谷野外大音楽堂 セットリスト

01.夢のちまた(9回目)
02.DEAD OR ALIVE(8回目)
03.Easy Go(5回目)
04.地元のダンナ(19回目)
05.デーデ(63回目)
06.星の砂(29回目)
07.何も無き一夜(3回目)
08.無事なる男(4回目)
09.珍奇男(51回目)
10.晩秋の一夜(4回目)
11.月の夜(23回目)
12.武蔵野(43回目)
13.パワー・イン・ザ・ワールド(25回目)
14.悲しみの果て(118回目)
15.RAINBOW(19回目)
16.ガストロンジャー(100回目)
17.ズレてる方がいい(26回目)
18.俺たちの明日(62回目)
19.ハナウタ~遠い昔からの物語~(30回目)
20.今宵の月のように(90回目)
21.友達がいるのさ(24回目)
22.かけだす男(15回目)
23.so many people(50回目)
24.男は行く(14回目)
25.ファイティングマン(77回目)
26.星の降るような夜に(19回目)
27.風に吹かれて(53回目)

28.待つ男/アンコール(24回目)

引用:エレファントカシマシDB

なんと!初聴きの曲がなかったわ。でも、なかなかなレア曲はありましたね。

07.何も無き一夜(3回目)

08.無事なる男(4回目)

10.晩秋の一夜(4回目)

この3曲ですが、「何も無き一夜」は3回しかLIVEでやっていません。私は前回の2009年の野音(1日目)で、聴いていました。私の初野音の時です。非常に思い出深いです。

2009/10/24 エレファントカシマシ日比谷野外音楽堂単独LIVE <1日目> 日比谷野外音楽堂 - また、あした…

「無事なる男」も4回しかやっていませんが、前回の2011年の野音で聴くことができていました。震災のあった年で「無事なる男」か…みたいな、今確認し直してみると思い出される事とか、さまざまあります。

2011年9月17日(土)エレファントカシマシ 日比谷野外音楽堂 - また、あした…

「晩秋の一夜」も4回で私は2009年の野音(2日目)で、初聴きでした。

この時は「土手」も聴けてすごく感動的なんだけど、11年前の私はまだ初期曲が沁みてきてなかったようで、「この馬鹿めっ!」って一人つっこみしてます。

2009/10/25 エレファントカシマシ日比谷野外音楽堂単独LIVE <2日目> 日比谷野外音楽堂 - また、あした…

「晩秋の一夜」のMCで

23歳の頃、部屋に引きこもっていた時の曲。

今こそ、歌いたい曲

ミュージシャンの多くがLIVEを思うようにできず、部屋やスタジオにこもっている状況も多い中で、模索している光景を言っているのかな?そんなことを感じました。

 

この3つの野音の日記を読み返しても、やはり日比谷野外大音楽堂でのLIVEは、純度の高いエレファントカシマシが聴ける場所であってほしいところ。

この頃はまだ、エレカシファンの出戻りになったばかりで、初期の頃の曲に何かしみじみ感じるというふうではなかったのに、この歳で聴くと妙にウルっとくるのは、この曲の真の意味が心でわかってきたからかもしれません。

つまり、宮本は20代前半でその境地にいたのか?そりゃなかなか理解してもらえないよね。みたいな感じですが、当時の宮本も「やたら難しい本ばかり読んでいた」とMCで言っていたので、すっかり本の著者の気分になり、なかなか売れない状況に心境がリンクしていたんだな…って思います。

全体的に感じたことは、

  • ギターを弾きながらスタンドマイクでしっかり歌っている
  • 無駄な動きがない。終始落ち着いている
  • ギターソロの表現力が高まって、音色の表情が豊か(上手くなってる)
  • 歌詞を今まで以上にかみしめながら、言葉を大事に歌っている
  • 全体的にアレンジ少な目、オリジナルに近づけている

日比谷野外大音楽堂のLIVEは、本来会場で聴きたいところではあるけれども、今回配信で参加して感じたのは、メンバーの表情とかアイコンタクトとか、とにかく見たいところが全て見えて、聴きたい音がちゃんと聴けたことがよかった。

特に今までよりも確実にトミの気迫が、しっかり映像を通して見えて、しかもかなり至近距離でここまで近いのは・・・DVD化されたものの中でもないよね?

私が見落としているだけ?いやいや、このトミ映像はかなりよかったと思うのよね。

宮本の靴が「魔法の靴」だったことは・・・噂でよく語られていたけど、まさか本人の口から出るとも思わず(笑)

「ソーシャルディタンス・・・ってことで」と言いながら、最後に握手とハグとか!言われた逆をやってやる・・・って、そのまま相変わらずですな。

成ちゃんはハグされて片手で背中をポンポン、トミは両腕でがっしり抱きしめ返して、石くんは黙って抱きしめられていましたね。ホント、三人の微笑ましい関係が浮き彫りになってました。

総じて思ったことは、ソロ活動を1年以上してきたことは、エレファントカシマシのバンドとしての姿を、昇華しているのではないか?と、いうことです。

宮本が「自分は歌係」と、以前から言っていたことが、言葉だけではなく、ボーカルとしての役割を、しっかり会得して帰ってきた感じがしました。

数年前はエレファントカシマシを演じてきたけれども、今回はちゃんとバンドの中の宮本浩次の立場を確立していました。

独りよがりやワンマンなバンドマンではなくて、4人がしっかりまとまっていながら、宮本はボーカルとして冴えわたっていたし、貫禄もあり輝いていた。

自分で作った曲ではあるけれども、今だからこそその曲の持つ意味や味わいを引き出せる、その時が来ていた・・・そんなセトリだったとも思えます。

受取り方はリスナーひとり一人の心の中にあるけれども、あの晩は宮本の個人的な感情はあまり感じなかったので、非常にフラットで個々に響いて、届いたのではないでしょうか?

いつから再びエレファントカシマシが活動するかは、まったくわからない状況ですが、新曲がなくてもアルバム出ていなくても、また普通にエレファントカシマシでLIVEをしてほしいですね。

こうなったらレコード会社別の、アーカイブLIVEでもやってほしいな(笑)そんなことを思った夜で・・・数日たって改めて嬉しさをかみしめています。

皆さんはいかがですか?

 

サポメンの細海魚さんのピアノは、初期曲に相応しい情緒を吹き込んでくれる。この先も野音で定着していってほしい。

ギターのササキタカユキさんがいてくれたから、宮本もギターをしっかり弾けたんだと思います。彼はもちろん技術はあるけど、クセのあるエレカシの曲にはそこまで慣れていないでしょうしね。ミッキーやフジケンさんみたいに頼れませんもんね(笑)

 

と、いうことで、2021年は・・・現場でLIVEを味わいたいし、こうして配信でも楽しめたらなおいいですね!

【WOWOW生中継】エレファントカシマシ2020年新春ライブ

2020年1月9日(金)大阪フェスティバルホール

とうとう新春ライブも行けない年がきてしまいました(笑)

2019年には日比谷野音に行けなくなって、今年の新春は東京だけにこだわって、最後の最後までエントリーしましたがとうとういけませんでした。

でも、野音に行けなかったことが少しだけ免疫になって、2018年の新春も自力では取れなかったし…今年はテレビ中継もあるからそんなにショックはなかったな(笑)

そんなわけでWOWOW生中継でエレファントカシマシの2020年新春LIVEを観ました!家で生中継を観るとなんかいろいろとやりながらなので、自分自身の集中力とか変わってきちゃいますし、現場の音とかと聴こえ方ももちろん違うので個人的な感想として読んでいただけたら幸いです。

夕飯作りながら一生懸命メモは取っておきましたけど!聞き取れた範囲ですがまずは記します。

1.俺の道

2.平成理想主義

平成最後の新春でやればいいなーと、思っていた曲が令和2年の新春でやるとは…今度はLIVEで聴けることやら…ですな。この曲を聴けなかったのは非常に残念ではあります。

3.新しい季節へキミと

4.旅

5.悲しみの果て
(MC)※エレカシのメンバーの出会い、ストリングスの紹介

6.真冬のロマンチック

7.ふたりの冬
(MC)

8.昔の侍 ※余韻を残すようにくり返し歌った

9.自由

10.i am hungry ※この曲は息切れしちゃうね。声もあまりきれいではない。

11.ドビッシャー男
(MC)「音楽はお天気も作用する。晴れの日、雨の日(小学生の頃思い出す)…がんじがらめの今の自分にも当てはめて歌ってしまう。次の曲も若い頃、石くんと一緒に作った曲で…」

12.遠い浜辺 ※歌い方の感情がイイ感じになってきた

13.星の砂

14.桜の花舞い上がる道を ※息が続いてない…伸びがない

15.笑顔の未来へ ※ギターのチューニングを自分でやる宮本

16.涙 ※弾き語り(ストラト)で歌ってる予定なしでやってる?やっぱり、気持ちよさげに唄えてる

17.未来の生命体 ※飼い殺し…にならないように踏ん張って越えていってほしいところだが

18.旅立ちの朝

19.風と共に

20.俺たちの明日 ※最初、弾き語りでワンフレーズ歌う

一部終了 ※「なんとか盛あがりましたー!」ってw

21.デーデ

22.RESTART

23.ガストロンジャー

24.ズレてるほうがいい

25.悪魔メフィスト

26.風に吹かれて
(MC)「いろんな思いを持ちながら来てきてくれてると思います。ありがとう!」

27.今宵の月のように

アンコール

28.友達がいるのさ ※一小節歌うが音痴「フェイントした」と言い訳ww
エレファントカシマシに会いに来てくれてありがとう!」
※金原ストリングスチームの紹介

29.ファイティングマン

 

率直な感想ですが、テレビで生中継の新春LIVEを観たのは2度目です。もちろんテレビと現場で聴くのとは大違いではあります。

宮本もソロ活動で忙しく疲弊しているところでしょう。声の調子はこの何年も良い時と不調の時があって波があるので、それほど気にはならなかったけれども…しかも、他の日はどうだったのかは知らないが…今回の中継での宮本浩次の歌からは、

「心」ここにあらず…が伝わってきた。

なんだろう?慣例的にやっただけの新春LIVEだったのか?くらいの熱だった。いやむしろ冷めきってなかったかな?宮本の歌から何も刺さってこなかった…。

少なくとも30th全国ツアーのLIVEに行っていればその違いはわかる。疲れて歌えていない日もあったし、声のコンディションも万全とはいえなかったけど曲に対する気持ちと心はちゃんとそこにあったはず。

2016年の新春大阪フェスティバルホールの生中継を観た後は“羨ましさ”があって、あの場に居合わせなかった自分がちょっと悔しかった。けれど、清々しい気持ちで中継を見終わった記憶しかない。

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同じ生中継なのに今年は印象も感想も違う全く別物。宮本浩次から「魂」が抜けてしまったかのようなLIVEに感じた。観終わって率直に行けなかったことになんも感じないことが寂しかった。

行けなくて悔しい!という気持ちにさせてほしかったのに、どうしてこんなLIVEになったんだろう?ただ、その疑問しかなかった。

バンドとソロの二足の草鞋は宮本にとって難しいことだというのはわかっていた。本人も一つのことしかできないから、アルバム作りながらツアーはできないとも公言していた。だから、バンドもやってソロもやってソロで曲作ってアルバム出してソロでツアーやったら、エレファントカシマシはできないだろう…って、知っていたけども、せめて新春だけはもう少しエレカシにスイッチしてもよかったのではないか?と感じた。

だけど、エレファントカシマシのほかのメンバーだけはよかったよ。音に忠実だったと思うし宮本がちゃんとメンバーの音に合わせて歌っていたとも感じた。

そうか、宮本はメンバーの演奏に合わせて歌えるようになったって事か?だから、違和感があったのだろうか?それに、曲と曲との流れ方がよかった場面もあった。(何の曲の時かはメモし忘れた)

エレファントカシマシも進化しはじめているのかもしれない。宮本浩次がソロ活動をしている間…ちょっと距離をもたせている間に…「いつか落ち合うために」別の歩いているのかもしれない。っていうか、もうこう思うしかないよな…って思う。

 

衝撃の事務所移籍…ソロ活動から1年が経って、まぁまだ1年しかたっていない。ファンの数だけ望むこともあるけど、宮本浩次は一人しかいない…。自分のやりたいことをやるだけなんだよね…。

傍観して待ってます。

夏夏夏、ここ夏!ここが夏!私の夏!ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2019

<5日目>2019年8月12日(月)inひたちなか海浜公園

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前日の11日は福島県猪苗代湖畔で行われた「オハラ☆ブレイク」に行き、そのまま郡山で宿泊してひたちなかにやってきました。 

私の夏休み第二弾!

まぁ、私の夏の恒例行事ですけど今年は台風の心配もあって、どうなることやら?でしたが、真逆の大晴天で暑すぎるフェスでした!楽しかったわぁ~~。これだからやめられない…。

今年は聴きたいアーティストがGRASS STAGEに集中していたので、最初から向かうはGRASS STAGEへ!

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GRASS STAGE モンパチ、スキマ、スカパラエレカシ、ポルノ、スピッツ。PARK STAGE フジファブを堪能してきました!

先に到着していた長男と合流してとにかく一杯目!MONGOL800待ちです。

今年は特に東京スカパラダイスオーケストラエレファントカシマシ、ポルノグラフティの流れは一番楽しみにしていました。

ところが前日の猪苗代湖で砂地に足をとられてひねってしまい、傷みを感じながらそのまま長時間立っていたので、足首が腫れてしまいまして…歩くのがやっとな感じになってしまってました💦

そんなわけで今年はモッシュゾーンは避けて少し下がった場所で!

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MONGOL800はサマーシーズンにぴったりのサウンドだし、WANIMAのメンバーがサポートで入ったり、結局WANIMA全員きちゃったり、ピンクのキャミソール着たモンパチのリアル先輩がダンサーで参加したり、とにかく初っ端から飛ばして楽しかったわー🎶

スキマスイッチは早めのランチを兼ねてご飯食べながら木陰でまったり聴きました。

東京スカパラダイスが始まる少し前に写真の場所まで戻りました!炎天下でもちろん暑いのだけど、時折吹く風が本当に涼しくて直射日光さえ避ければ苦じゃない感じです。とにかく爽やか!

スカパラは無条件でフェスで聴くだけでも踊れて楽しい。そんな彼らも今年、デビュー30周年!ゲストアクトに奥田民生モンパチの上江洌清作が登場するなど、交友の広さを発揮してステージを盛り上げました。

そして、14:15いよいよイチオシのエレファントカシマシの登場!

キーボードには蔦谷好位置、ギターにヒラマミキオを携えた、エレファントカシマシS(エス*1での出演!

蔦谷好位置さんの参加は今年の日比谷野外大音楽堂でのLIVEから復活していた。本当に久しぶりの共演。2019年になってエレファントカシマシとしてのLIVEも新春、日比谷野音ときて夏フェスに出演するのもこのロック・イン・ジャパンのみ。

私は新春ぶりのエレカシだ。今度はいつエレカシサウンドが聴けるかメンバーの姿を見れるのかわからない…そんな、緊張からもうなんのアクションもできなかった。

久しぶりのエレカシ、もうメンバー一人一人を、目に耳に焼き付けるくらいの気持ちで聞き入った。昨日のオハラはやっぱり練習の一端だったような(笑)

宮本浩次は天性の唄歌いなんだよね。たぶんアカペラでも充分なのだけど、演奏あっての宮本浩次。で、オハラ☆ブレイクと合わせて聴いて感じたのは、一流だったり、テクニックのある演奏ならよいっていうものでもなくて、宮本の下手くそなギターでもいい彼の奏でる音であったり、宮本が納得してなくてもトミ、成ちゃん、石くんのサウンドが一番、ミヤジを活かしているんだよね。

耳がそう慣れてしまっているだけかもしれないけど、とにかくミヤジの歌はエレカシサウンドで一番輝く!!かつエレファントカシマシが一番絵になる男!!総じてエレファントカシマシの音、その音で歌う宮本浩次が大好きなんです!

それが結論!

MCも…何か話したかもしれないけど…覚えていない(笑)「脱ぐ予定のなかった靴を脱いだら、靴下に穴が開いてた。穴の開いた靴下を履いてる53歳のおじさんをどう思いますか!?」

この話が全てになってしまった💦

そう言えば石くん、相変わらずミヤジの下僕シーンはあったけど、自信に満ちてる感じはしたなぁ…。トミは例の靴下の話しで苦笑した顔がドアップで出て…まぁ、トミはかっこいい。成ちゃんも相変わらず職人感のあるプレイでミヤジにハット取られたけどすぐに戻してもらえてよかった(笑)ダンディーでしたよ。

 

◆セットリスト◆

M1 ズレてる方がいい
M2 悲しみの果て
M3 デーデ
M4 ハナウタ~遠い昔からの物語~
M5 翳りゆく部屋
M6 桜の花、舞い上がる道を
M7 笑顔の未来へ
M8 俺たちの明日
M9 今宵の月のように
M10 ファイティングマン

ひたちなかのあのだだっ広いGRASS STAGEで歌う、ズレてる方がいいが大好きでそれが1曲目にきたことで、「うぉぉぉーーっ!!」ってなる。 

蔦谷さんとやってきた曲を軸にしたセトリだと思うけど、よくみるとどの曲も詞がとてもいい曲ばかりだなぁ…って思った。ここ5年間位は“言葉”に苦悩してる?感じしかしてなくて、とうとうSONGWRITERじゃないって言い出しちゃうし💦

ただ、今年のリボーンアート・フェスティバル「転がる、詩」に出演した、宮本浩次は詩人としてもう一度、言葉と向き合わなきゃならないのでは?そんなことを思った。

「転がる、詩」『アートからの視点で捉えると、日本の音楽、歌の中で最もオリジナルなものは、歌詞、言葉ではないだろうか。』と、いうコンセプトのもと招致されたのだから…。

さてさて!つづきまして、ポルノグラフティ

今回で2回目の出演らしいけど、また出てほしいわ。あんなにメジャーなのに場違いな感じしていたって...私はロックだなーって聞いていたから、アンケートの出てほしいアーティストにポルノグラフティって書いたこともあって、念願叶ってだったよ。

フェスならではのシーン…タオルを振っているシーンをこのステージから見たかった!と言って促されたけど、その壮観を見ている二人の顔が本当に嬉しそうで眩しそうだったのが印象的だった。

いよいよ、足がどうにも辛くなってしまったので、休憩を兼ねてミナトヤエリアへ。冷やししらす茶漬けを食べながらスピッツを聴いて、パークステージへ移動しフジファブリックを初めて聴いた。

スピッツ前々前世をカバーしたり…すばらしく完コピだった(笑)フジファブリックはファンからものすごく愛されて見守られているバンドなのだなぁ…って感じた。

私のROCK IN JAPAN FESTIVAL 2019はこれにて終わったんだけど、なんだかんだROCK IN JAPAN FESが好きなんだなー私。楽しみ方は年々変わるけどね。いろいろ思い出があってこれからもできうる限り行きたいフェスです。

*1:“Special”のSです

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【宮本三十三景其の③】「静勝寺」

「宮本三十三景」の散歩シリーズを復活させて、まだ行った事のない場所をピックアップしている中で見つけた。


『静勝寺』ここへもまだ行った事がありませんでした。

令和元年!最初のブログ記事はこの“静勝寺”についてです。

 

宮本浩次の地元、北区赤羽にあります。どこにでも地元の神社や寺院ってあるので、この静勝寺にどういう由来があるのか?なんて、宮本浩次が紹介しなければ絶対に訪れないし、知る由もないからいろいろ調べていていろんなことに繋がっていて、本当に楽しいし面白いなぁって思いました!

“静勝寺”赤羽駅から徒歩4分、赤羽台団地から東南に位置(地図参照)する丘陵にあります。この丘陵一帯には室町時代頃に「稲付城」というお城があったようです。

goo.gl

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太田道灌”という人が、この静勝寺のあるこの丘陵に『稲付城』を城築した記録があり、静勝寺に参るまでの石段のところには「稲付城跡」の石碑があります。

稲付城自体は廃城となっているので今はありません。道灌の死後この場を静勝寺として建立したようです。

清勝寺境内の一角に太田道灌の木像が安置してあるお堂があって、毎月月命日の26日に開帳されているようです。太田道灌は戦国時代の江戸氏という人の領地(皇居周辺)に(後の江戸城の基礎となる)、城を築城した人でもあります。

ちなみにこの日(訪れたのは令和元年5月3日)は、野良ネコちゃんには出くわしませんでしたが(笑)見学に来てる人、お参りに来る人など数名の人と出くわしました。閑静な住宅街の中ですのでお参り散歩するにはとても良い場所です。

 

さて、私は令和元年5月1日に埼玉県川越市まで日帰り旅行をしました。

この川越には太田道灌と道灌の父(道真)の城築した「川越城本丸御殿」があります。

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この川越城の城主でもあった太田父子のことは、のちに出す宮本三十三景の場所とも縁が深くて更に興味深く面白いです。

また、エレファントカシマシが主題歌(ズレてる方がいい(初回限定盤)(DVD付))を歌った映画『のぼうの城 』は、埼玉県行田市にある「忍城」がモデルになっていたと思います。

この“忍城”の成り立ちは割愛します(“のぼうの城”を観ましょうw)。忍城の城主は成田氏ですが、その経緯の中で太田道灌の仲介があり城主になれたと残っています。

 

どうでしょう?ざっくりとした内容になってしまいますが、地元の小さなお寺からここまででも調べ進めると、いろいろなつながりなどもわかって非常に面白い!と、思いませんか?

 

 

正午向嶋…私の徒然『新・正午浅草荷風小伝』を観て

2019年4月24日(水)『新・正午浅草荷風小伝』を観劇しました。

www.gekidanmingei.co.jp

このブログ内でも永井荷風をカテゴリーにしていくつか記事があります。

永井荷風に絡めた記事を記す理由も既出してますが、改めてお話ししますと…。

エレファントカシマシ宮本浩次永井荷風のファンで会ったという事から、調べていくうちに永井荷風が晩年、私の暮らしている街の辺りを気に入り心のよりどころにしていたことがわかり、小説『濹東(ぼくとう)綺譚 (岩波文庫)』がその舞台であると知り、『日和下駄 (講談社文芸文庫)』や『永井荷風という生き方 (集英社新書)』を買って読み…いつしか自分の興味関心になっていきました。

エレファントカシマシの宮本がどういう過程で永井荷風のファンになったか?それはわからないのだけど、彼は森鴎外の熱烈なファンでもあって永井荷風森鴎外を師と仰いでらしたので、その関連から荷風を知り荷風の魅力にも魅せられたのかしら?と思った。

かつて雑誌で紹介された宮本浩次の部屋には永井荷風の写真が飾られている。

 

さて、『新・正午浅草荷風小伝』ですがネットのリサーチ力のたまものか?私の好きそうな情報を広告で知らせてくれる。その中にこの観劇のチケット情報があがってきた。

私はお芝居というものを自ら進んで観に行ったことがない。よしもと新喜劇くらいです(笑)あとはお友達のお誘いで宝塚を数作品、黒栁徹子さんの「想い出カルテット」を観たことあるくらいです。それが初めて自ら観に行きたい!と、思いチケットを購入したのがこの『新・正午浅草荷風小伝』でした。

お芝居の舞台は荷風が晩年暮らした千葉県八幡の家での回想シーンですが、我が街に足を運んでいた場面も登場すると知ったからです。題名にもある「浅草」も私の散歩圏内。本を読んでその場所を廻ったりしますが、お芝居を通して観た時にまるで本物の荷風が現れ、その思い出の土地を語っているように見えて…どんな思いで下町を訪れていたのか?その機微の部分がリアルにつたわった思いがしました。

もちろん荷風の肉声は聞いたことはありませんが、きっとこんな風にお話しをし声をしていたのでは?と感じるほどでした。演じられた水谷貞夫氏は御年84歳、劇中の荷風は40代頃から亡くなるまで(79歳)の年齢。当時の79歳と現在の84歳はあまり変わらない気もして、荷風の雰囲気というものが画として見ることができたのは嬉しかったです。

ストーリーは二人の女性を中心に展開された。荷風のお妾だったという元新橋の芸子「お歌」、『濹東綺譚』に出てくる玉ノ井の娼婦「お雪」。この二人の女性の境遇と立場の違いから、荷風の中にある“女性像”というものが二種類対極に存在しそれが、真実味のある女の実態として如実に表わされていたと感じた。

その実態を知った時、荷風にとって女性というのは常にそばに居て欲しい者ではなく、「理想」の女性のままで存在してほしかったのだろう。そして、都合よく逃げ込める心地よい場所であってほしく、実際そうであったのだと思う。

最後、キャストの皆さんが登場し荷風を演じた水谷氏が出てきた瞬間、私の眼には涙が溢れた。お芝居を観て泣くなんて思いもしなかったので、自分でも驚いた…。正直、永井荷風の「断腸亭日乗」も読んでいないし、小説も「濹東綺譚」しか読んでおらず、もっぱら永井荷風の生きた軌跡に魅力を感じているだけの“にわか”にしかすぎない私が何故でしょうね…。

たぶん、人間の本質的な部分に魅力を感じてきたことや、その人間味という部分では冒頭で紹介した、私が大ファンのエレファントカシマシ宮本浩次と重なる部分を見出したからだと思います(歳を数えで言ってしまうとか、馴染みの女性の家に行っても泊まらず必ず帰宅するとか、そういう細かい部分も)。

 

彼は若い頃に作った『道』や『歴史』歌の中で「死にざまこそが生き様」と歌っている。劇中の荷風の台詞に

「生まれ方は選べない。人の手を借りなければできないけれども、死に方は選べるから」と、「鴎外先生の命日と同じは無理でも同じ“9”の付く日に死にたいなぁ」と、記者に話すシーンがあった。

私ももうじき53歳になります。プレ終活期に入ったと思ってます。荷風がやりたいことをやり始めた年頃と同じです。そして、そのやりたいことを52歳でやりはじめた宮本浩次とますます被って見えてしまったのです。

大きなことはできませんけれども私もできるだけやってみよう!行ってみよう!と思った事は行動に移していける生き方をこれからはしようと思っています。

まずはこのブログ記事でも記した通り、荷風ゆかりの場所を散策することがちょっとしたライフワークになるかと思ってます。

yumcha-elekashi.hatenadiary.com


この本を参考にしながら巡るつもりでおります。

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そして、ゆくゆくは終焉の地、八幡へも足を運べたらと調べものをゆっくりペースでやっております(笑)

いろいろな巡り合わせでこのお芝居とも出逢って、自分のこれからというものを再確認できるきっかけの良いお芝居でした。

「新・正午浅草―荷風小伝」 を観劇後、帰ってきてから早速、この本を開いてみる。お芝居の舞台となっている場所、晩年の荷風の様子がわかる一冊「荷風極楽」。

劇中にも出てくる、身の回りの世話をしてもらっていた女性がいるのですが本の最後の方に、荷風の葬儀後に撮られた関係者の集合写真が納められていて、そこにその方も写っていました。 その女性が荷風の遺体の第一発見者でした。

八幡編はこの「荷風極楽」が基本となりそうです。

 

 

 

 

私の愛用「万年筆」

ミヤジも一ヶ月以上ぶりにインスタを更新した(笑)

ソロ活動が盛りだくさんのわりにインスタの“ネタ”はその辺に全く触れず自由(笑)私はそれが嬉しかったりするけど。

今回は何故か宮本浩次が愛用している万年筆の紹介だった。

 

www.instagram.com

私は勝手にモンブランのビンテージかなんかを使っているかな?って想像していたのだけど、“ペリカン”のビンテージでした。

この中で10年位前に購入したと語っているが、その10年前に私も自分の愛用している万年筆について記していた。

2009年10月27日18:25

昔、万年筆のメーカーに勤めていた事があるんです。
まぁ、それ以前から「万年筆」と言うものに非常に憧れがありまして、ほんと1,000円位の安い万年筆で詩などをノートに書いたり、手紙を書いたりしてました。

縁あって某万年筆の老舗メーカーで仕事をしていたので、この時、少しだけ奮発して買ったのがこの二本です。
(他にも手ごろなもの買いましたが)

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左は「鼈甲調」ペン先が14K(中字)で
右は「プロフィット(女性用)」ペン先が14K(細字)です。

なんやかんやこれも18年選手の万年筆です。
しばらく使っていなくて、ミヤジへの手紙を書くのに復活しました。
ちなみにインクの色は「BlueBlack」が好きです。

写真が10年前のガラケーで撮ったからか?あまり鮮明ではないです。他にも黒も持っていて、なんやかや同じメーカーで万年筆は数本持ってます。

明治創業の国産筆記具メーカーに勤めていました。その時仕入れた小ネタですが…万年筆は外国から入ってきた筆記具です。なので英文のように横に滑らせて書く仕様になっています。そのペン先を日本の縦書き文化に合わせて開発した先駆のメーカーだと聞きました。

なので今、日本で売られている外国ブランドの万年筆のペン先は、おそらく国産のものに変えてあるかもです。

ミヤジが愛用しているペリカンはそんな外国のブランドでも、比較的縦書きにも順応しているブランドだと聞いたことがあったと思います(不確かですみません)。

ただ、専門店で買ったという事ですから、その辺もカスタマイズしてもらっているでしょう。

その後、エレファントカシマシのグッズでも万年筆がでましたね。

これは悪魔のささやきツアーの時.

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これが30thの時

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どちらもLAMYでした。LAMYはボールペンとかはよくノベルティグッズになるから、万年筆でもできちゃうわね。30thの方はまだ使ってません。

手紙を書くときにこのLAMYを使うことが増えたけど、ちょっと重いんですよねー。そこが残念だったりします。そんなわけで私も万年筆の愛用者だから、インスタのこのネタはまた、お手紙でも書いてみようかな…そんな気持ちにさせましたね。

でも、その前にオーバーホールしてお手入れしないとだわ(笑)

 

 

東京『江戸』からまんまで…

2010年01月21日21:10

テレビCMが流れるたびに気になっておりました、Deagostiniから発刊された、 週刊「江戸」創刊号を入手してまいりましたよぉ~~~ん。

時代劇は嫌いな方ではないので、なんとなくワクワクしながら読んで みたいと思っております。

今、私の頭ん中では・・・いつか『浅草から江戸東京博物館に皆で行こう!』 そんなオフ会ができたらいいなー・・・などと思っております もちろん、ここは・・・夜の部もありってことでw 実現するかどうかはわかりませんが、そんな時は是非、ご参加下さいませ(笑)

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2012年11月02日 19:51

『東京』を知る上で欠かせないのは、まず“江戸”を知ることです。そう、教えてくれたのは宮本浩次

宮本が自分の足で探求した『東京』は実に参考になるし、私の好奇心をくすぐるのに十分なくらい魅力的であった。

ある日・・・2年前くらいかなぁ、ディアゴスティーニから「週刊江戸」っていう冊子が創刊になっちゃって(笑)私は全巻集めちゃおうかな?とか思ったくらいに、購買欲をかきたてましたわ。

でも、結局はNo.3までしか買わなかったけど しかし、これは買ってよかったなぁって思いました。ミヤジが東京と江戸について色々と語るときの話(赤本とか)で、あとで検証できたり絵で解説されていたりするので、イメージが湧きやすいですしね。昔、江戸城(皇居)の周りは海だったとか・・・中学の歴史か何かで習ったかもですが私も独自でいろいろ調べてる中、再確認ができてですねホント楽しいものです。

神田のあたりは山だったとか、日比谷は入江だったとか・・・。ミヤジも言っていた、江戸の町は京都の町が手本になっているとか。私でもよくわかる内容だったからお買い得だったなぁって思います。

こうやって文章にする時も読み始めちゃって、なかなか先に進まないという💦3号までしか買っていませんが、これからでもまた増やそうかな・・・っていうか、読んでみたい号もあれば、そんなに興味のない号もあったりするのですが、ボチボチ揃えちゃおうかと・・・わりと私も収集癖があるので

2018年9月19日(水) 

そういえばブログにあげてなかったから記憶を遡りつつ…(笑)

エレ友さんといつか一緒にいければなぁ…と、思っていた「江戸東京博物館 」に去年の9月に行っておりました。

と、いうかこの博物館へは気になる特別展があると行ってましたが、実は常設展示は観たことがありませんでした。

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この日は『東京150年』という記念の企画展が模様されていたので、これを観に行った流れで常設も観てきました。

1868年(慶応4年)江戸が東京と改められ“東京府”が設置されてから、明治・大正・昭和…その間に巻き起こった、関東大震災からの帝都復興計画、第二次世界大戦から戦災復興そして、東京オリンピックをきっかけに東京は近代都市として目覚ましい発展をしていく…。

歴史と共に変わりゆく東京の姿を当時の地図や写真などを通して、東京の150年を振り返る内容でした。

www.edo-tokyo-museum.or.jp

常設展示はその東京の移り変わりが復元された建造物などによって、よりリアルに体験できます。

まず、中に入ると最初に『江戸城と町割り_日本橋』ということで、東京の中心となる“日本橋”の実寸大が出迎えてくれます。日本橋の上から下(5F)をみると左が江戸時代の右が明治の街のシンボルがあります。

江戸時代は「明治座」の建物が再現されていて、江戸時代の庶民の楽しみ暮らしぶりがジオラマ等で観ることができます。

明治時代は「朝野新聞社」の建物が再現されています。文明開化と呼ばれたとおり西洋文化が取り入れられた街の様子を見ることができます。

これは江戸城の本丸。

将軍に謁見するための白書院から忠臣蔵の「赤穂事件」でおなじみの松の廊下、大広間までを再建時の図面をもとに復元した建物の模型です。

こんな感じに時代ごとの建物、庶民の暮らし商業などが紹介されています。もちろんブログでは紹介しきれないのでここで一つポイントとして…

昭和30年頃から始まる高度経済成長の時に、住宅不足の解消のために急速に建ち始めた、『団地』の1室を再現したものがこちら。

これは西東京市にあった「ひばりが丘団地」を復元したものです。

エレファントカシマシ宮本浩次が育ち暮らしていた、赤羽台団地もこんな雰囲気だったと思います。

2年前の週刊文春に連載されている「新 家の履歴書」のコーナーに、宮本浩次が育った部屋の間取り図が載っていて 、だいたいこんな感じなのかなぁって思いながら見てきました。

週刊文春 2017年 3/30 号 [雑誌]

週刊文春 2017年 3/30 号 [雑誌]

 

江戸から東京…宮本浩次が東京に対する自己同一化を探求していた時代。

彼が自分の足で見て回った東京の街並みと照らし合わせた東京の歴史。それとは一線を引くものではあるけど、この博物館にくるとバーチャルにそれを体感できるので、楽しい場所だとおもいました。

そして、私も生まれてから東京という街で育ち暮らしてきたけど、知らないことが多く知りたい事も沢山見つけられたことが嬉しかった。