また、あした…

私が好きな音楽のことを綴るブログ

【東京の空②】高輪・泉岳寺

2008年12月17日の日記

私の旦那は忠臣蔵が大好きで、暮れも押し迫る頃のテレビ番組欄に忠臣蔵赤穂浪士大石内蔵助などのワードをみかけると、熱く語りだし耳にタコができるほど聞かされてきました(笑)。なので、四十七士の眠る泉岳寺は知っていたし少し興味がありました。

私の住む街は四十七士やその縁の人達にとっては仇となる、吉良上野介の屋敷つまり討ち入りのあった吉良邸があった街です。なので、泉岳寺には興味が大きかったといえば大きかったのです。

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宮本浩次(エレファントカシマシ)『東京の空』の特別編の中に、この泉岳寺も紹介されています。

中門を入ると右側にお土産物屋さんがあるのですが、その前で撮った写真なんかもあります。

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そして、ミヤジの母校(高校)がこの泉岳寺の隣りにあります。

本には“12月の討ち入りの頃になるとお線香の匂いが漂うのだけど、期末テストなんかの頃で…”そんなエピソードを絡めて、高校時代の話しが綴られています。

旧暦の12月14日が赤穂浪士討ち入りの日で、その3日後に泉岳寺へ訪れた時の日記です。

 

今日は冷たい雨が降る中、 赤穂四十七士の眠る「泉岳寺」に行って参りました。 

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泉岳寺山門

去る、12月14日(赤穂浪士討ち入りの日)*1は、江戸城内の松の廊下で赤穂藩藩主・浅野内匠頭が・吉良上野介に切りつけた、松の廊下事件に端をはし、加害者とされた浅野は切腹となり、被害者とされた吉良はおとがめなしという結果に、不服とする大石内蔵助をはじめとする赤穂藩の旧藩士47人(赤穂浪士、いわゆる“赤穂四十七士”)が本所・吉良邸へ討ち入った日です。

吉良邸から引き揚げた浪士は浅野内匠頭菩提寺である泉岳寺に向かい、吉良の首を浅野内匠頭の墓前に供えた。
その後の浪士たちは切腹をし、その亡骸がここ「泉岳寺」の 墓所に葬られています。

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▲赤穂四十七義士墓所入口

 

たぶんこの土日は、四十七士をお参りする観光客も多かった事でしょう。

この雨の中、私も訪れた一人でありますが、雨の泉岳寺は香を焚く匂いが立ち込め、数人の人が訪れて手を合わせていました。

墓碑をみますと、20代・30代・40代・・・若い人が多く、大石内蔵助の息子、主税(ちから)にいたっては若干16歳で切腹です。
昔で言う16歳と言えば、元服(成人)・・・15歳で成人として扱われていたから、討ち入りに参加し沙汰も受けるというのは当たり前の時代でした。

赤穂浪士」「忠臣蔵」の話は、忠義に厚い家臣の美談として知られていますが、歌舞伎の演目として創作された部分も多いらしい。

私の住む町は赤穂の義士たちにとっては敵となる「吉良上野介」が暮らした町(吉良邸跡)が近い。
後日、そこも訪れてみようと思う。この辺では、吉良上野介は良い殿様で知られているらしい。

さて、前置きが長くなりましたがここ泉岳寺宮本浩次の母校にとても近く、実はそんな事とは知らずに、数年前に来た事があります。長男が小学6年の頃に受けた外部テスト(模擬試験)の会場だったので、何回か通ったことが・・・。

 

忠臣蔵』というのはあくまで歌舞伎や人形浄瑠璃の演目名であって、史実上では『赤穂事件』というらしいです。

  

この赤穂事件に脚色がされているのが、一般に知られている『忠臣蔵』なのですね。暮れになると多チャンネルのどこかで関連している映画やドラマなどが放送されるので、旦那は飽きもせず時間が合えば観る。

そして、義士達の忠義や江戸の町の人情の場面になると泣きながら観ている。これまでに大石内蔵助を演じた役者の人は沢山おりますが、

松本幸四郎(現、二代目松本白鸚)、市川染五郎(現、十代目松本幸四郎)親子が大石内蔵助大石主税の親子を演じた作品が私の中で印象がとても強い。

 

 その二代目松本白鸚の弟、中村吉右衛門の演じた大石内蔵助もなかなか好きです。

忠臣蔵 決断の時 DVD-BOX

忠臣蔵 決断の時 DVD-BOX

 

 

*1:元禄15年12月14日(西暦1703年1月30日)

2008年12月10日:武蔵野の男 下総の女

最近は宮本浩次の事を“ミヤジ”と呼んだり、“宮本”呼ばわりすることが多くなってきたけど(笑)この頃はまだ、どう呼んでいいのか戸惑ってる時期ですね。

周りには彼を“先生”と呼ぶ人もいたりして、でも先生ではないな…と思っていて(笑)(私の方が2週間くらい年上だしねw)

宮本氏とかミヤジ氏とか… だったね。すぐに“氏”は取れてくるけどw

 

ミヤジ(宮本浩次)氏は、武蔵野に思い入れがとてもあるらしく歌にしてしまったほどです。

武蔵野/「good morning」 

good morning

good morning

 

 

 東京はかつて木々と川の地平線・・・

 武蔵野の坂の上 歩いた二人・・・

 

ミヤジの生まれ育った街、北区赤羽はそんな武蔵野台地にかかっている荒川に程近く、川向こうは埼玉県。
彼が暮らした団地は小高い丘になっていて、坂道があるようなところ。

まだ、エレファントカシマシをよく知らない頃に偶然に一度だけ、赤羽団地を訪れ歩いた事がある。
今思うと、訪れたのは日曜の午後だったのに静かなところだった。
たぶん、ミヤジが子供の頃にはもっとにぎやかで子供達の騒ぐ声が沢山聞こえただろうな・・・そんな事を思った。
高度経済成長の頃には、団地と言うものが夢の住まいで沢山の若い家族達が入居し、そこで子供を生み育てていたと想像できる。

ミヤジはそこで、恋もしていたのだろう・・・


私は下総国、千葉県との県境、江戸川区で育った。
ここは東京(23区内)でも本当に田舎の中の田舎だった。
私が暮らしていた頃は、田畑が沢山あってザリガニをとったり、空き地もいっぱいあって、野花で遊ぶ事もできた。
河川敷に生い茂る、ススキのような背丈の高い草をつかって秘密基地を作ったり(20世紀少年 -第1章- 終わりの始まりにも出てきたけど)、迷路のように、獣道を作ったりと野生児のように暮らした。


そんな、北区も江戸川区も今はすっかり人の住む街になり、昔の面影もなくなってきているだろう・・・。

江戸川区は更に如実に違いが出ている・・・何年か前に行った時、あまりの変わりように、正直唖然としたほど。
20代の頃、付き合っていた彼のアパートも、彼の通っていた銭湯もなくなり迎えに来てくれた地下鉄の駅も、駅ビルになりバスのロータリーまでできパチンコ屋、ファミレスまで・・・想像もつかない発展ぶりです。
淡い恋の思い出は、幻に・・・(そういえば、その彼は武蔵野国育ちだったな・・・)。

 
でも、たぶんあの河川敷だけはそんなに変わっていないと・・・ぜんぜん見に行っていないけれどもね。

読んでて気がついたのは、江戸川区が田舎町であった期間は長く、北区はすでに高度経済成長で人が暮らす街だったじゃんってこと💦江戸川区は私が結婚し離れてからも数年の間、田畑の残る様なところだったわ。

 

江戸川区、北区、共に戦時中に軍需工場がありました。北区の軍需工場の規模はかなり大きいものだったようですが…。私が今住んでる街にも多かったです。江戸川、荒川、隅田川周辺は空襲の被害も多く、戦後焼け野原なった地域ですね。

 

なぜそこに着目したかというと、2009年の夏に『康子十九歳 戦渦の日記』という本をもとに『康子のバラ ~19歳、戦渦の日記~』というドキュメンタリー番組が放送されて、私はその番組がきっかけで本を購入して読んでみました。

康子さんは東京女子師範学校の学生在籍していたが、北区の十条・王子にあった軍需工場で勤労動員として働いていた。本の冒頭にその場所が登場する。赤煉瓦で囲まれた要塞のような施設…。

エレカシがデビュー30周年で出した。『All TIME BEST ALBUM』のデラックス版に付いていた、期間限定特典映像の中で語っていました。

「まだ、カメラマンになる前の岡田くんが俺を撮りたいっつって、昔、軍需工場があった場所の塀の辺りで写真撮ったんだよ。」(デラックス版の写真集にはその写真もあります。)

この言葉を聞いてとっさいに思いだしたのが、この本の事でした。

ちょっと日記の内容とかけ離れてしまうようですけど、この本を思い出したついでに綴らせてもらいます。

この康子さんは工場の中で兵器部品をつくる部署に配属されるのですが、そこでコンビを組む男子勤労動員3人に自宅の庭に咲いた「赤い薔薇」を差し入れしたという記述がありました。雑然とした兵器工場に彼らは、康子さんが差し入れする庭の花を飾り作業に励んだという。

『康子のバラ』は確かこの場面の一回しか登場しませんが、このバラを受け取った工員のお一人が台湾からの留学生だった男性で、彼の記憶には深く残っていたようです。のちに康子さんに思いも寄せていました。

このくだりを読んで、エレカシ赤い薔薇を思い出したし、悲しみの果て「花を飾ってくれよこの部屋に」も思い出した。でも、康子さんは華やぐ街の赤い薔薇にはならず、彼女に思いを寄せたまま自国に帰国した、男子留学生の記憶の中の赤いバラになってしまいました。

私はこの話を関連づけるつもりはないのですが、連想させたエピソードとして記し残したいと思いました。

康子十九歳 戦渦の日記 (文春文庫) 機会がありましたらご一読ください。前半はエレカシの曲がBGMで脳内再生されることが多かったです。

康子さんのお父上は公人で戦争当時、広島市長をされていて原爆で亡くなったようです。康子さんは被爆し生き残ったお母様を看病するため広島に行き、二次被爆の末に20歳目前の19歳で亡くなったそうです。

花を飾ったその軍需工場の跡地がある北区で、青春時代を過ごしたエレカシのメンバー…悲しみの果てに素晴らしい日々を生きています。

 

 

エレファントカシマシ

エレファントカシマシとは編集

 

 

2008年12月02日:天才?宮本浩次

自分の才能に対して『世界屈指』表現者…と、分析し自負してるのが記憶に新しい。WikipediaのTOP画面の写真を変えてみました(笑)

 

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あまりに宮本浩次の事を“天才、天才”絶賛されているので、なんとなく天邪鬼な気持ちがムクムク出ていたんでしょうか?だから、こんな日記を残してしまったのでしょうか?💦

悪気は全くないので何卒、ご容赦のほどよろしくお願いいたします(笑)

 

「天才(鬼才)」の持ち主なのか?「宮本浩次」は…。 
多くの人が、ミヤジは『天才』と言うけどね。
天才に関する記述↓↓↓

『天才 - Wikipedia』

 

ある意味当たっている・・・と、認めざるをえないが、天才と呼ばれた人は寿命が短い・・・ような気が・・・
ピカソとかアインシュタインは長寿だったけどさ)
天才ミュージシャンと呼ばれた人は、早死にしている人が多い。
ジャニス・ジョップリンジミ・ヘンドリックス・・・
私はミヤジには長生きしてほしいなって思う(笑)
だから、あえて私は宮本浩次を「天才」とは言わない。

彼の才能は「自然的必然性」の上に与えられたと。
シャーマン*1に近いかも? すぐトランスしちゃうし?

少年期のNHKの合唱団入団も、中学時代のエレカシメンバーとの出会いも全てにおいてね。

そういう自然的必然性から開花した 「才能」なのだ。
ゲーム的に言えば「選ばれし者」なのだ(笑)

 

つまりまぁ、それが「天才」だってことなんじゃん!と、自分でつっこんでしまいました(笑)とりあえず、ちゃんと“才能”という点に着目していて安心しました💦

「天才」って天性から持っている才能だけど、「天才」と呼ばれるための「目覚め」が必要だと思う。

自分で気がつく場合もあるだろうけど、周りが気づいて導かれる場合が多いだろうし、その才能を伸ばすための環境を与える必要もあるだろうから、理解とか協力とか不可欠だろうな…と、思う事も多い。

誰にも気がつかれず埋もれていく“才能”がほとんどではないかなぁ…とか、そんな中よくぞ!って思いますよ。

謂わばほとんどの人がある時点でアイデンティティの崩壊を体験する中、宮本浩次のように才能を開花させ。アイデンティティの確立(自己肯定感)”をさせられる人はいないと思う。

 

さて、はてなブログ今週のお題「ゲン担ぎ」だそうですよ。

エレカシはツアー中、“ゲン担ぎ”のために好物を食べなかったとか…逆に普段の習慣を場所が変わってもするとか…あったようです。FC会報の中身なので詳細は書きませんが…。

 

私は何かゲン担ぎをするか?というと…したことがない(笑)

毎日、何か善い行いをするのは難しいけれども、せめて悪い行いだけはしないように努めたい…悪行をしないことで、たまにする善行がキラッと光る気もするから。

徳は積んでおきたいよね。いざという時のために。

エレファントカシマシ

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*1:シャーマンとはトランス状態に入って超自然的存在(霊、神霊、精霊、死霊など)と交信する現象を起こすとされる職能・人物のことである 

2008年11月13日:今宵の月

エレファントカシマシ”の作品ほど言葉で強烈に印象に残すバンドもないのではないかな?

例えば、「太陽」「風」「男」「散歩」「本」「古地図」「浮世絵」…この言葉だけでもエレファントカシマシ、とりわけ“宮本浩次”のことを思い浮かべることができる。

そして、そんな言葉の中でも特につい意識してしまうのが私の場合「月」です。カメラ機能付き携帯電話を持ったのはいつからだったか…忘れるほど昔(笑)

エレカシのファンになって初めて撮った「月」の写メ。そして、私の「月」への思いを綴った日記。ここから月の写真を撮ると「今宵の月」と題して日記を残したり、tweetしたりしています…。

私は子供の頃から、月を眺めるのが好きでした。

誰もが子供の頃一度くらいは、いつも(どこまでも)月がついてくるのはどうして・・・?

っていう、疑問を想ったと思いますが私もその一人で、
いつしか「月」だけが私の事をわかってくれている的な妄想に発展して、今も何気に夜空を見上げてはお月さんを探してしまいます。

今日も公園の木々の合間に、まん丸の月を見つけました。

子供*1は、私に似たのか?「月」と内緒話しをします。
昨日まで月は、雲から見え隠れ・・・雲にかすんでいました。 
「今日のお月様は恥ずかしがっているね」
と、言うと
「ちがうよ!かくれんぼしてるっていってるよ」
と、教えてくれます(笑)

今宵の月は、まん丸・・・
17:00頃は大きく見えました。
これは19:00頃の月、ちょっと遠くに昇った月。

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素数が100万画素くらいだったから荒い画像が懐かしいです。

このあとも度々、次男と月の話しが日記に登場したと思います。通園の楽しみでもあり親子の語らいの思い出として、お月様は何役もかってくれました。ありがたい存在です。

エレカシファンの皆さんも月を見るのが好きな方が多くいらして、同時刻に同じ月を眺めていたり、「今夜のお月様、キレイですよ!」と、教えてくださったり…今では会話の糸口になってもくれますし、ファン同士をほっこりつないでくれるそんな架け橋的な存在にもなっていますよね。

私の「月」好きが高じてこんな本も買ってました。「宙(ソラ)ノ名前」

空を見るのがとにかく好き。東京の夜空なんて星もそんなに見えないし、青空もさほどキレイではないし広くもないとも思いますが、それでも東京の空が大好きなんです。

 

これはエレカシを紹介してくれた友達(高知県出身)が「東京の空って四角くて小さくて、本当の青でもない」って言ったのがきっかけで「東京の空だっていいものだぞ!」という内心から眺めるようになった…というのもあります。

偶然その頃に買ったこの本には、ミヤジが書きそうな空の名前や様子が沢山紹介されていて、月の名前、星座の由来なども載っています。我ながら素敵な本を買っていたと自負しています。

 

宙(そら)ノ名前

宙(そら)ノ名前

 

 

 今は新訂版が出ているみたいです。 

宙の名前 新訂版

宙の名前 新訂版

 

いみじくも今夜は35年ぶりというスーパーブルーブラッドムーン”*2という皆既月食の観測ができる日でした。

 

 

 

 
 

 

エレファントカシマシ

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*1:次男:当時4歳

*2:

headlines.yahoo.co.jp

 

2008年11月04日:好きなものはとことん知りたい・・・

エレファントカシマシとの再会は厳密に言いますと、ちょうどつけていたテレビから、ウコンの力のCMで“俺たちの明日”が流れていて、その後、2008年「STARTING OVER TOUR 」を追いかけたBSの番組をたまたま観たのがきっかけです。5月くらいだったかな…。

かつて1997年に友達におススメのアーティストは何?と、聞いたら薦められたのがエレファントカシマシでした。アルバム「明日に向かって走れ」と「ココロに花を」の二枚を聴きこんでいましたが、長男の子育て真っ盛り中だったこと今ほど情報源がなかったことで、LIVEにも行かなかったしMEDIAの情報も追いかけてはいなかった。

2年位、通勤がてら聴いていたけどそのうちお蔵入り…から、8年経っての再会となったわけです。

2008年某日、フラッと立ち寄った本屋さんにこの本がありました。再版されたものとは知らずでしたがもちろん購入しました。その時の日記です。

 

私は好きなミュージシャンとか、好きな小説家の作品とか、いろいろと知りたくなってしまい、ドキュメンタリー本を読み漁ってみたり 小説を読んでみたりします。

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写真は
エレファントカシマシ宮本浩次の「東京の空」(先日購入)

皆さんも一緒だとは思うのですが、いろいろと知りたくなる衝動はおさえられません。

それから、これからは散歩を充実させたいので、一枚目の写真右側の「東京アートマップ」なるものも買ってしまいました。

ファン再始動から幸先のよい本との出会いでした。通称:赤本「明日に向かって歩け」も同様ですが現在、非常に高値を付けて出回っております。 

この中の第9回に「己を記録する(という)こと」というのがあって、日記をつける事、写真を撮ることの楽しみを伝えている。

私はエレカシに出会う前から日記は付けていました(大学ノートや日記帳、育児日記)。インターネットも早い段階から繋がっていて無料のホームページプロバイダーからはじまって、無料レンタルBBS、ブログと形を変えて綴ってきた。

インターネットの辛いところはパソコンがクラッシュするとデータが消えること。まだ、エクスポート、インポートもない時代(知識もない)の記録はすっかりどこかに消えてしまったけど、かろうじてエレファントカシマシとの再スタート(2008年~)の記録が残っていて嬉しい。そして、読み返すといろいろと猛省することもあるけど(笑)

私が写真を撮って日記をつける行為。ミヤジからの影響ではないにせよその目的というか、お題をくれたのは間違いなく宮本浩次その人である。ミヤジ自身、今はこんなバカげたことをする時間などないであろうが、こういった彼が仕事上で残した本、「明日に向かって歩け」「東京の空」「風に吹かれて」「俺たちの明日(上下巻)」が彼の記録であり、いつか読み返して懐かしむ時間が訪れるかもしれない。

そんな、貴重な資料…なんだよね。私もまた、これらの本を読み返してみたいと思う。

 

宮本浩次(エレファントカシマシ)『東京の空』

宮本浩次(エレファントカシマシ)『東京の空』

 

 

エレファントカシマシ

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30th Anniversaryの先を見据えてる…もっと先を

ツアーも紅白も新春も終わったけどまだまだ!ツアーファイナルのさいたまスーパーアリーナ、翌日のスピッツミスターチルドレンとのスペシャルライブも控えていて、2018年春まで息つく暇なんてない。

メディアへの露出もつづき…31年目を良い雰囲気で迎えられそうな感じだね。

 

ex.yahoo.co.jp

いみじくも本日の東京は雪景色になりました。水分の多い重たい雪です。晴れればすぐに溶けてしまうかもですが、積もって寒ければ固く凍りつく雪です。

それでも東京の雪は儚い。儚い雪に何かインスピレーションもらえるといいよね。

このQ&Aから間もないのに東京に雪…とにかく宮本は何かを持ってる男だよね…。特に自然現象を味方につけてるって凄い強み。

台風を避け、大きな虹で空を彩り…いつか描いてみたい題材の雪をも降らす…。不思議な力をもっている。

 

 

『何があっても平気さ、全部乗り越えてきたんだ』って気分なんですよ。は、私が思っていたことを宣言してもらった感じで嬉しい…。

この先、またエレカシ(宮本)に困難が訪れたとしても彼らには怖いものなどない。そのくらい曲がりくねった上り下りの人生だったのだから。

男は毎日が「RESTART」・・・今をどう賛美するのか? - ほゞ、エレカシ漬

 そして、私が唯一持ってるミスチルのアルバム「深海」をミヤジも最高!って褒めていたことがこれだけでも嬉しい(笑)

 

 

mantan-web.jp

WOWOW録画観終わったぁ! なんつうか…昨夜、リアタイで観ながらTLとかやったり見ないでよかったなと思った。これは、一人でじっくり観るものだったわ…。 うん。今なら言える…旦那よ昨夜は早く帰ってきてくれてありがとう(笑)  2018/01/22

ミヤジとメンバーの距離感は2014年にライブモンスターに出演した時に、同年のメトロックに出演した時の模様が紹介されて、ミヤジ以外は楽屋の外にいる風景を知っていた。
あの頃からなのか?いつからそうなのかはわからない。でも、雑誌のインタビューでもバンドで中学高校からの友達だからと言って、仲良しこよしだけでやっていけるわけもなく…ミヤジにとっては「職業=ロック歌手」なわけで、これを仕事として生活をしている。メンバーも生活をし家族を支えている。

だけど、それだけではないのはメンバーが抱いてるバンドへの思い、宮本への思い…。メンバーがエレファントカシマシを続ける理由、宮本浩次への思いにはなんの迷いも変化もない。どこを切っても変わらない外の人間には計れない思い。

単純な信頼とも違う。「尊敬」からきているのはもはや納得している。
例えが適切かどうかはわからないけど、一家のために働く“主人”のことに誰が疑いを持つだろう?逆にその家長を支えたり気持ちよく仕事をするための努力や工夫を家族はするもの。

それに何か似てると、感じた。
 
エレファントカシマシはロックバンドであることで、リスナーに夢とか希望とか勇気とか知らず知らず与えているけれども、その根幹、基盤は自らの「生活」を成立させるという大義の基のバンドなんだよね。

言葉はあまりよくないけれどもキレイごとでやっているバンドではない。とは解っている。慈善事業を含まない(表立っては)ある意味、希少なバンドではないかと思う。

“自分のことで精一杯なのにいったい何をしろというの?” なのね(笑)

 

俯瞰して自分を見つめて話すミヤジの顔は…本人から一瞬抜き出た魂の姿に見えた。「もったいないよなぁ…」

俯瞰して見る…が、そのまま画になっていた。

実体と魂とのせめぎ合い。ミヤジは30年間、こうして自分と戦い続けて、51歳になって別次元で自分をみつめることができたらしい。

今、ザ・ストーン・ローゼズベック・ハンセンのLIVEに足を運んでいるのは、世界で受け入れられているサウンドを模索しているのでしょうか?いや、むしろ彼らと自分の才能に差があるとは思えなかったのではないか?

“もっともっと、オレは認められていいはずなんだ! ”

そんな、言葉の叫びは…真実の心の叫び。彼の目指してるところ…は高い。ファンは自分の手の届くところで愛でたいのであろう。私もその一人…彼が目指す高みがどこなのか知っていたけれども、あまり遠くに行ってほしくないファンのエゴ…。

彼の才能は世界屈指なのに…

「一人になると泣いてしまうんですよ。」

「こんなにすごい才能なのに…もったいないよなぁ…」って…

自分を肯定(才能を)するって大事。でも、わかってもらえない虚しさで泣ける…仕事に真剣に向き合えば合うほどなんだろうな…。日本には彼を世界の舞台に誘える人はいないのだろうか…?もどかしい…

いつか誰かのラジオ番組でLIVEでやる曲予想みたいなことやっていて、私は洋楽なんか歌ってくれたら嬉しいって、twitterで言ったことがある。その時のパーソナリティはそのTLを拾ったけど、洋楽を歌うことに完全否定した。

「絶対ないね!」って…その場では確かにない事だったけど、ミヤジが洋楽を歌うっていう事を否定しているニュアンスが感じられた。「いつか、聞いてみたい」という希望もない感じがして、私はそのパーソナリティに対して可能性を考えられない人なんだなって、その意見に対し勝手に抵抗を感じていた(笑)

でも、ミヤジの口から洋楽のカバーもやってみたいって聞いたら、それだけでも嬉しい気持ちになった。きっと、リハや個人的な範囲では歌っていたかもしれないけど、歌ってみることで何か新しい歌の世界が広がるなら、洋楽のカバーだっていいと私は思っている。

2018年のエレファントカシマシも躍進するだろう。多少の休息は必要だけど、彼はたぶんわかってる…今はまだそんなに休んでる時じゃない…と
エレファントカシマシ㊗NHK紅白歌合戦初出場!! - ほゞ、エレカシ漬

やっぱり…富山での楽屋での一言は、間違いじゃなかったね。

「浮かれてる場合じゃないですよ。まだまだ、やることはありますから」

これは単純にスピッツミスターチルドレンとのスペシャルライブまでのことではなくて、もっとその先を見据えたことなんだろうと思っている。

私はこのLIVEを“戦う前から勝利をもたらしてる”…から、やっと勝負の舞台が用意されそこに立つ気がしてならない。『眠れない夜』はもうおしまいにする戦になるのではないか?と…。

彼は目先のことはみていない。もっと先を見ている人であろう。特に51歳になってからは明快に叶えたいことが形になってきているように思う。

それがなんなのかはもちろんわからないけれども…きっと2018年の春以降もでっかい事をやろうとしているんじゃないか?でっかい事のための準備をはじめているんじゃないかって…。

だから、私も目先のことではなくてこれからもずっと先をずっと高みをみて、あなた達を応援していく。

「売れなくなることは、もうないと思いますよ!」

この清々しいまでの力強い言葉がついて行かせる何よりの理由でしょう。

 

 

 

私が抱く宮本浩次への2018年の期待

宮本浩次は言った

「エゴのない良い歌を歌いたい」 と、

これはマイナーでありキャッチーではない、いろんな人の日常や普遍的なことを詩にしたいってことかな…。
自分の心ではなくて…他の人の心とか…「彼女は買い物の帰り道」とかそんな感じの曲かな?って思うけど…どんな感じのことかな?

内向的な詩ではなくて社会的なこととか…旅で見てきた人々の営みとか…

今はもう「怒り」もないし、そもそも「闘う」対象もない…現時点ではHappyな気分が彼の多くを占めていて、しかしそれも経験値でいつかなくなるかもしれないという不安があるからその不安を何かで補う…。

そう、人は常に「敗者」そのくらい考えが肝にあることは乾きがあって何か良いものが作れる気はする。あまり、キレイにまとめてはほしくないな。

栄光の架橋(紅白でゆずのトリ)で、ゲストの桐生選手が話したエピソード。走る前に栄光の架橋を聴いて9秒台出した。このくだりで、ミヤジの目が少し見開いて“ほぉほぉ”と頷いてた。

いい歌は歌い継がれる。土壇場で火事場の馬鹿力をださせる。己のエゴ(内省とか感傷、感情)をなくして歌った歌がどこかの誰かのための歌になっている…。

 

色々と私なりに考えてみたんだけど、一つ『普遍的』で歌い継がれていく歌。と、言う点で考えたのは…宮本自身が音楽と言ったら合唱団で歌ったであろう童謡であったり、テレビやラジオから流れてくる歌謡曲のヒットソング…。

そこで、思い出したのが2012年の10月から放送された、佐野元春のザ・ソングライターズの最終回。佐野自身が講義した回(シリーズのSEASON4)です。

これのVol.9・Vol.10は昭和の歌謡ソングヒットメーカーなかにし礼さんがゲストだった。そこからの延長のような気もしたのだけど、歌い継がれる名曲にはいろんな要素や時代背景、そこに暮らす人たちの営みに合致した時に生まれる…そんな内容のことが語られていた。宮本が言っていた

「エゴのない良い歌を歌いたい」

「エゴ」は、自分の事であるかもしれないけど、他人からも共感を得られるそんな「エゴ」であれば人々の間に広まるって思う。

この佐野元春のザ・ソングライターズを宮本が観ていたとは思えないのだけど(笑)ここにはいろんなヒントがいっぱいある。宮本の中ではきっと形となってまとまっている、創作ノートももっといい感じに具現化できるのではないか?そんな感じ。

エレファントカシマシの最大のヒット曲「今宵の月のように」も、宮本の個人的な感情から生まれた曲だったかもしれない。だけど、その時代の人に共感できる詩とドラマブームでのタイアップが絶妙に咬み合うという、健全な流れでヒットしたのだと思う。

エゴ=利己主義

と、考えがちだけど自らの中にある固定観念もエゴだし、とっちらかったイメージを押し付けるのもエゴ。たぶん、こういうエゴの事なんだ…って、最近のインタビュー記事なんかを読んでいて感じた。

つまり自分に関わる人達のことも“尊重”したときに、良い波長が生まれるんだって気がついたんだね。だから、そういう曲ができて唄った時、長く歌い継がれる良い曲になるのではないか?と、考えた。

それで沢山の人がCDを買いダウンロードして聴いたり…増えていくだろうし…。分かりやすい指標として「売れる」

売れなくとも名曲、良い曲は沢山ある!むしろ、多いかもしれない。ただ、歌と言うのは人や年代、年数を経て成長し継がれていくというロマンもあるから…そうね…著作権が消滅するくらいまで歌い継がれたら、ミュージシャン冥利につきるのかもしれない。

 

・自己の開放と癒し

・関わり合ってる人達との共感

・普遍性を求める思考

・知らない人達からの理解

 

2018年今までとはまた違う良い作品を生みだすのではないかな?最近楽曲を聴いてもそう感じるし…今はアルバムに向けてまとめの作業に入っているかもしれないけど、時間が許せばもっといろいろと作ってほしいな…という気持ちも多い。

じっくり創作に向かえる時間があればいいな…そして、自信作のアルバムを聴きたい。そこからLIVEへも脚を運びたい。